見出し画像

しじみ川の決闘

 私の家から少し離れた所に、小さな川が流れています。その川の向こうは隣村です。
 子どもにとっては、川の向こうは異世界でした。川を越えて遊びに行くことは滅多にありませんでしたが、行く時は、必ず三、四人で行きました。

 その川が湖に流れ込む河口には、流れに運ばれてきた砂がたまり、遠浅の浜辺のようになっていました。子どもたちの格好の遊び場で、「しじみ川」と呼ばれていました。
 昔はしじみが獲れたらしいのです。

 私が小学五年生の時でした。
 田おこしは終わっていましたが、水は張られていなかったので、田植え前の四月の終わり頃だったと思います。

 子どもたちは、早く田んぼでドジョウを獲ったり、川で遊んだりしたくて、春を待ちかねていました。

 川遊びにはまだ少し寒かったのですが、誰かが「しじみ川に行かないか。」と言うと、皆が賛同して、土曜の午後に行くことになりました。

 土曜日、学校から帰ると、そそくさと昼食を済ませて、着替えもせずにしじみ川に向かいました。
 私たちは四人でした。私、三年生のY、同級生のTくん、その兄さんの中学一年のHくん。

 川沿いの畦道を行くと、川が湖に注ぎ込む辺りにはヨシが生えています。そのヨシの茂みを抜けると、砂浜が広がっています。

 久しぶりのしじみ川に興奮して水飛沫を上げながら走り回ったりした後、砂遊びを始めました。
 小さな山を作り、そこにトンネルを掘ったりして遊んでいると、人の声が聞こえてきました。

 手を止めて見ていると、ヨシの茂みから知らない子どもたちが現れました。隣村の子どもたちだと思います。
 男の子が三人、女の子が一人でした。

 隣村の子どもたちは、私たちから少し離れた所で遊び始めました。

 しばらくしてお互い緊張が解けてくると、向こうの一番小さな子が落ち着きなく走り回り、私たちに水がかかりました。
 向こうの女の子が「○○、やめな。」と叱るのですが、少しするとまた走りだします。
 そして、私たちが作った砂山を踏んでしまいました。
 たまらず私たちは、その子を強く叱りました。

 すると、その子が泣き出したので、向こうの子どもたちが怒って、私たちに文句を言ってきました。

今のしじみ川

 こちらも言い返し、口喧嘩になりました。向こうが砂をつかんで投げてきたので応戦すると、どんどんエスカレートし、つかみ合いが始まりました。

 しばらくして、誰かが「一対一でやっぺ(やろう)」と言いました。

 私たちは、砂が乾いている所に移動し、決闘することになりました。

 向こうは、喧嘩の原因を作った 小学校に上がるか上がらないかのチビ。女の子。この二人はやらないだろうから残るは二人。一人は私たちとあまり変わらない体格ですが、もう一人は背も高く、がっしりしていて、中学生らしい。

 歳の小さい方から始めることになり、
 こちらから三年生のYが出ていきました。
 Yが「三年だ。」と言うと、向こうからも出てきて「俺も三年だ。」と言いました。

 私は、その時「あのでかい奴は中学生だから、俺の出番はないな」と、ほっとしました。

 Yと向こうの子の体の大きさは同じくらいでしたが、向こうは坊主頭で、ちょっと汚く粗野な感じがして、強そうでした。

 二人はつかみ合い、くんずほぐれつしていましたが、Yが倒され乗っかられてしまいました。懸命に抵抗するのですが、顔を砂に押し付けられて何もできません。
 「まいった」と言わないので、ぐいぐい力まかせに顔を砂に押し付けます。

 Hくんが「やめろ、やめろ。Yの負けだ。」と言って、二人を引き離しました。

 次に、向こうの中学生がのっそりと出てきました。
 私は「強そうだなあ。Hくん、やられてしまうかな。」と不安な気持ちで見ていると、そのでかい奴が「俺、五年。」と言いました。
 全く予想していなかった展開に驚きました。
 Tくんも私と同じ五年生なので、私は「Tくんが行ってくれないかな。」と期待しましたが、Tくんも怖気付いているようでした。
 こちらから誰も出て行かないでいると、向こうの女の子が言いました。
 「青い服着てる人五年だよ。名札に書いてあったもん。」と言いました。私です。
 学校から帰って、着替えないで来たので、名札が付いていたのです。

 「うわぁ、俺かよ。絶対勝てない。あのでかい奴に殴られたら痛いだろうな。やりたくねぇ。」などと思いながらドキドキしていました。
 するとその時です。

しじみ川の河口

 Hくんが、「終わり、終わり。こんな事やってても、なんにもなんねえ。帰っと。(帰るぞ)」と言って、敵に背を向け、さっさと歩き出しました。

 私は ほっとして、Hくんの後を追いました。

 背後からは、隣村の子たちの勝ち誇ったような罵声です。

 田んぼの畦道を引き上げる時、Yが悔しそうに泣きじゃくりながら、「風邪ひいてなかったら、あんな奴に負けなかった。」と言いました。
 Hくんは、「ああ、お前が負けるわけねえ。もう泣くな。あんな奴ら、相手にしてもしょうがねえ。」とYをなぐさめました。

 私は、Yに同情しながらも、自分はやらなくて済んでよかった、という ほっとする気持ちの方が強かったのです。

 私たちは、隣村の子たちの悪口を言いながら帰ってきました。

 あの時のことを思い出すと、「Hくんが決闘をやめさせたのは、なぜだったのだろう。」などと考えたりします。
 Hくんと会うことはないし、聞いたところで、決闘のことなど覚えていないと思います。

 五十年以上も前のことですが、「自分は、あの頃とあまり変わっていないなあ。」などと考えたりもします。

 勝ち目がなくても、仲間がやられたのだから、「俺が仇を取ってやる。地面に叩きつけられたら、むしゃぶりついていって、脚に噛みついてやる。」というような気概が、私にはありませんでした。

 気概や勇気に欠け、臆病な所は今も変わりません。

 大勝負や賭け、冒険ができるような性格だったら、人生が今と少し違うものになっていたのかなあ、などと考えます。

 写真は今の「しじみ川」です。
 護岸工事され、昔の砂浜はなくなり、すっかり様子が変わってしまいました。
 「しじみ川」などと言う人もいません。

 子どもの頃は、田んぼの畦道を歩いていったせいか、遠く感じましたが、今は護岸工事された堤防がアスファルトの道路になっているので、毎日の散歩コースになっています。
 しじみ川の辺りを通ると、ふと昔のことを懐かしく思い出します。

#エッセイ #思い出 #決闘 #喧嘩
#幼き頃

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?