自分のために生きるとは、自分が信じることを信じて生きていくことだと思う。
今まで、なんとなく見えていた未来をなぞって生きてきた。
これくらいの成績をとって、
これくらいの進路を目指して、
これくらいの人間関係を築いて、
そうすれば、これくらいの人生になるだろう、と。
楽な道を選んできた。
楽で、"それなりに" よく見える道。
普通じゃない選択をしたように見えたとしても、実際は普通から大きく外れたわけじゃなくて。
だって、その先の未来もある程度は予測できた。
なんだかんだいつもプラスになるように計算していた。
自分が一番よく見える道、また、よく見える未来に近づくための道しか選んでこなかった。
軸はいつだって私じゃない誰かだった。
「好きだから」「やりたいから」なんて言いながら、たくさんの保険がかかった道しか選択肢にいれない、浅ましい私がいつだって選択権を握っていた。
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まだ私はそういう人間で、メインストリームから大きく外れた道を選べない。
結局他人の評価を基準に道を選び、その達成のために無意味に自分を消費させていた。
だけど、私、もうこういう人間をやめたい。
大学に進学してからの4年間、いろんな人に出会った。同じような人もいたし、そうじゃない人もいた。
その中で自分はどう生きていきたいのかを考えるようになった。
私は、自分のために生きていける人になりたいと思った。
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自分のために生きることはとんでもなく難しいことだと気付いたのはいつだっただろう。
結構早いうちから気付いていたようにも思うし、最近のような気もしてくる。
自分のために生きるとは、自分が信じることを信じて生きていくことだと思う。
思想を持つことは、苦しい。
だけど、それを信じて道を選び、歩むことは、もっと苦しい。
その道で拾えないものがたくさんあるからだ。
どれほどキラキラ輝いていようと、どれほど簡単に手が届こうと、自分のために生きるにはそれを拾ってはいけないのだと思う。
きっとその輝きにいつか私は苦しみ、それは濁っていくから。
それだけでなく輝きを拾ってしまったという変わらない過去を後悔するから。
だから、私は自分を幸せにしてあげなくていいと思うべきなのだと、思う。
名誉も、肩書も、名声も、賞賛も、肯定も、お金も、友情も、愛も、
全部私を一瞬だけ幸せにしてくれるけど、同時にそれを得ようとした自分を嫌いになり、うまく得られない自分を嫌いになる。
だからもう、一瞬の幸せを望むことをやめるべきで、私は自分の思想に沿う尤もらしさだけを目指すべきなんだろう。それが苦しくても、不幸せでも。
誰かのために生きるのは、案外簡単だ。
思想なんていらなくて、「誰か」が行動の指針になるから。
社会は思想を優先する人間を前提にしてできていない。
「上」を目指すこと。結婚して子供を産み育てること。寿命を全うすること。
これが前提で、これを守っていれば社会も他人も優しい。
自分のために生きることは、未来が見えなくなるということだ。保険がないということだ。
楽な道しか知らない私は優しくない社会の中で生きていくことに耐えられるのか、まだわからない。
見えない道を楽しみと言えるほど私は強くないけど、その道を選んだ自分の方が好きだな、と思う。
できるのかな。わからないけど、頑張ってみたい。
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