見出し画像

南海の名城・高知城〜追手門編〜

こんにちは!hm384352です。
今回は高知城の追手門についてです。
国指定重要文化財で現存十ニ城天守、日本百名城にもなっている高知城の追手門はどのような門なのでしょうか。

追手門は石垣の上に渡櫓を載せた櫓門で、城の大手(正面)に相応しい堂々たる構えを持ちます。

江戸初期、追手門は「大手御門」と呼ばれていましたが、延享4年(1747年)から「追手御門」と呼ばれるようになりました。

慶長年間に創建後、寛文3年(1663年)に崩壊しましたが、翌年に再建されます。その際には、
見物に来た人々にお酒などが振る舞われたそうです。

元禄11年(1689年)、城下で起こった火事により追手門は焼失、その後は再建と修復が繰り返されています。

現在の追手門は享和元年(1801年)に再建されたものですが、昭和20年(1945年)の空襲で半壊状態となりました。しかし、昭和23年から26年の解体修理工事により元の姿に戻されました。

追手門は城の表にあたる為、敵が1番最初に攻めてくることになります。敵が攻めて来ると裏口にあたる搦手門から城兵が回り込み追手門前の枡形内に敵を追い込み四方から攻撃を加えることが出来ます。

門前は枡形になっており、防御時には石垣上の狭間塀や門上から攻撃出来るようになっています。

また門の2階には石落としもあり敵の直上から石を落としたり槍を突くことが出来るようになっています。

それでは次回の記事から高知城の中の建物等を紹介していきますね!


高知城追手門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?