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【映画コラム vo.1】もはや純文学にみえてしまう『シン・仮面ライダー』7回鑑賞譚

3月公開の『シン・仮面ライダー』は6/4で劇場公開が終わりました。終映予告も少し話題になりましたが、PRには力が相当入っていたように感じます。
『シン・ゴジラ』から始まったシン・シリーズのなかでは一番の不発と評されることもあります。興行収入を調べてみると以下のとおりです。

『シン・ゴジラ』(2016) 約82億円
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(2021) 約102億円
『シン・ウルトラマン』(2022) 約44億円
『シン・仮面ライダー』(2023) 約23億円

確かに一番低いので不発と言えなくもありません。コロナ禍の影響で公開延期などあり、2021年から毎年シン・シリーズが公開されたので、ちょっと飽きてきたのかなという気もしますね。(2年ぐらい空いたらまた違ったかも)

まさかの劇場7回鑑賞映画

とここまで『シン・仮面ライダー』に対してネガティブなことを書き連ねましたが、私は劇場で7回も鑑賞しました。もちろん7回も観たのは初めての経験です。
ちなみにそれまでの最高劇場鑑賞記録は2回です。『ノルウェイの森』と『トップガン マーヴェリック』と『THE FIRST SLAM DUNK』だけであり、それをゆうに超える7回はすごいですね。それだけ私にとってはたまらない映画だったわけです。

どうして7回も鑑賞されたのかといえば、「2回目以降が本番の映画」だったからでしょう。並の良い映画なら2回も鑑賞すれば満足ですが、本作は2回観てから作品世界の深淵さを知り、このあと何度も味わいたいと思ってしまったのです。

同じ映画を2回目鑑賞された経験のある方はわかると思いますが、2回目は細かな演技や演出にまで目がいくので作品をより深く味わうことができます。
劇場じゃなくてものちに配信になってから時間をあけて見ると、時代や年齢による変化によって感想も変わってくるでしょう。
ただ今回の7回劇場鑑賞ともなるとその間に急激に年をとるわけでもないし、心境や時期にもほぼ変化はありません。それなのに7回全部感想が違うという事象が起こりました。
初回はサラッと流してしまった”それっぽいセリフ”が「そういう意味だったのか!!」と気付くことがどんどんあって、7回観ても新発見だらけで毎回新しい感想をくれます。

最初は情報量が多くてよく理解できていない部分もあったのですが、とにかく魂が震えていました。この魂の震えはなんなのか。もう一回観なければならないと2回目鑑賞したところ、そこから先は涙腺が崩壊してしまいました。
そこから3回4回と回数を重ねるごとに泣くタイミングが早くなっており、4回目鑑賞時には冒頭15分ぐらいのクモオーグ戦で号泣してしまっています。隣で見てる人には泣いてる意味がわからないことでしょう。

何回も繰り返し観ることで味がでる映画はまるでスルメ。一方好き嫌いが別れる映画はまるでパクチー。スルメでありパクチーでもある『シン・仮面ライダー』を7回も観た私は本作をもはや純文学のように感じてしまっています。

ということで「もはや純文学にみえてしまう『シン・仮面ライダー』7回鑑賞譚」を寄稿いたします。長文ですがどうぞ。

激しい命の奪い合いも、終われば泡になって何も残らない切なさ

初回の鑑賞時はアクション映画として観ていました。もちろんサイクロン号のガシャンガシャンガシャン!って変形シーンがカッコよかったり、ダブルライダーがポーズを決めて目が光るのもカッコよさを感じました。
原作オマージュ部分を追いかけるのも楽しかったです。その見た目の格好良さに隠れてしまって見逃してしまっている人物描写が作品にはたくさんあります。

鑑賞記録でいえば4回目からでしょうか。なんだか純文学作品のように行間を味わう映画に変わっていた感じがするのです。
主人公が苦難を乗り越えて成長する様はドイツ文学のようでもあり、『機動戦士ガンダム』のようでもあり、まさにビルディングス・ロマン(教養小説)。あとは改造人間の悲哀も描かれており、カンヌ系映画のようにも見えるし、純文学のようでもある。
原作オマージュですが、仲間たちは死ぬと泡になります。仲間たちがどんどん泡になって消えていく喪失の物語なのです。少し前まで互いの主義主張をぶつけたり、激しく争ったりしたいので死んで溶解したら遺体も残らない。
遺体が残っていれば悲しむこともできますが、何も残らないなんて残酷じゃないでしょうか。主人公は戦いのあとに毎回黙祷をします。何も残らず死んでいく者たちへ哀悼の意はせめて黙祷という形で残すのでしょう。

本作を批判する方は「CGがしょぼい」「アクションがプロじゃないから下手」等のいろいろな指摘があるのは承知ですが、そんなことは本質ではないと感じています。
まあ仮面ライダーなのでスカッとする活劇やアクションを楽しみたいと思ったら、そうじゃなかったという気持ちになるのも理解はできます。
登場人物は説明的なセリフが多くて全部説明してくれてる感じがあるんですが、それ以上の設定と”行間”がこの映画には存在します。展開が早すぎるゆえに聞き流してしまう説明や伏線が多すぎるのです。そういうのは何回も観ることでようやく分かってくるものであり、人物像も大事なポイントです。少しまとめます。


主人公 本郷猛:父親を世の中の不条理によってなくしている。「父のように優しくありたいし、父と違って力を行使できるようになりたい」という思いがある。その思いは彼を改造した緑川博士にも伝わっており、結果的に人を簡単に殴り殺せる力を得ることになってしまいます。またマスクを装着すると暴力に歯止めがきかなってしまい、自らの行なった恐ろしい行為に心を強く痛めることになる。彼には「父のように優しくありたいし、父と違って力を行使できるようになりたい」という思いはあるのでショッカーと戦いますが、手に入れた力の暴力性に畏怖してしまい、思うように力を行使できない場面もあります。

ヒロイン 緑川ルリ子:ショッカーによって作られた生体電産機。崖から落ちても無傷という描写もあり、普通の人間ではない。生まれてからほぼショッカーの中で過ごしてきたので、親の愛情などを知らず、感情は頭で理解しているようだが表現はあまりしない。映画の前半はほぼ無表情です。

ハチオーグ(ヒロミ):ルリ子の友達に一番近い存在であり、ショッカーの上級構成員の一人です。ルリ子をルリルリと呼びますが、本当はルリ子を悲しませたいと思っており、さらにはルリ子に殺されたいと思っている模様。


アクションじゃない、行間を感じてマスクの下の演技を観よ

まず本郷猛から。彼には「父のように優しくありたいし、父と違って力を行使できるようになりたい」という思いがあって、仮面ライダーになることで力も得ましたがうまく行使することができません。マスクには暴力の加減をなくすシステムがプログラムされており、マスクに身を任せると力を使えますがそれは暴力であって優しくはなれません。
初戦のクモオーグ戦まではスプラッター映画のように血が吹き出すシーンが多かったですが、それ以降は血がなくなっていきます。原作のおやっさんにあたる人から「優しいのは本郷の良いところでもあるが弱点」というセリフも印象的でした。
つまり血が吹きだすシーンが少なくなっていくということは、本郷がマスクの暴力性を精神力で抑えられるようになったからではないかと。ハチオーグ戦ではマスクをしょっちゅう外していましたし、マスクは暴力性を助長するのでつけたくないのです。

その伏線と思われるシーンは序盤からあり、クモオーグが「あなたも人を殺す幸せを覚えましたね!」と挑発したときのこと。「そんな幸せ、僕ははない!」と叫びながら本郷はクモオーグの顔面を殴りつけます。
思わずのけぞるクモオーグの前にはそ山と青空をバックに仮面ライダーがまっすぐにただずんでいます。マスクをしていたらマスクの下の顔は分からないだろうと言っていた方がいましたが、マスクの下は怒りに震えていたり悲しんでいたり、感情が渦巻いているけど感情を押し殺している。そんな顔が見えました。本郷は父のように優しく人を守りたいと思っていますから、「あなたも人を殺す幸せを覚えましたね!」は琴線に触れる一言であり、本郷の逆鱗に触れる一言だったでしょう。戦闘中に饒舌なクモオーグやハチオーグとは対照的に寡黙な本郷が感情的に放った印象的なセリフです。

このように感情を抑えて、マスクの暴力性に支配されないように戦っている本郷ですが、それゆえ優しさは弱さとなり、ハチオーグにとどめを刺せなかったり、第二バッタオーグに負けたりします。第二バッタオーグには足を折られて動けなくなった隙をつかれて、突如乱入したK.Kオーグにルリ子が殺されてしまいます。死んでいくルリ子にどうすることもできずに震える本郷の姿も悲しいです。

そもそも本郷は緑川博士から言われた「ルリ子を頼む」と言葉をよりどころに仮面ライダーと名乗ってここまで戦っていたんだと思います。でもその程度の動機づけでは本気になれなかったのです。優しさゆえ本来の力を行使できず、緑川博士との約束も守れず、ルリ子を亡くしてしまいます。鑑賞歴が浅いときはルリ子消滅シーンで号泣しましたが、まだまだそれは浅かった。
自分の中途半端な態度の結果がルリ子の死という悲劇を招いたのだと本郷は自責の念にかられます。

村上春樹や機動戦士ガンダムは「喪失」が一つのテーマになっています。ガンダムで言えば「人は大事なものを失って成長する」という場面もあります。
ルリ子を失った本郷はようやくそこで「父のように優しくありたいし、父と違って力を行使できるようになりたい」を本気で体現できるようになったのではないかと。

そのあとはルリ子の意思をついでチョウオーグとの最終決戦に一人で向かうのですが、それまで着ていたコートを脱ぎ捨てるのも印象的ですね。死んでもいいほどに覚悟を決めたわけです。一人で戦う覚悟を決めた本郷の元に一文字隼人が助けにくるのは鑑賞回数を重ねることに号泣しちゃいますね。
原作でいうところのショッカーライダーたちとの戦闘は暗闇のトンネルではじまります。暗くてよくわからんとかいう批判もよく観ますが、私は涙でスクリーンがよく見えません!
もちろん暗くて何やってるかわからないけど、とにかくエモくてかっこよくて泣いちゃうシーンには違いありません。
マスクの下の顔の演技を推しはかるように、暗闇のなかで行われていることも推しかはかって観るものなのだと思いました。

感情のない生体機の二人、命尽きる前に感情のプログラムが動き出す

続いてルリ子とハチオーグです。
その前に最近観た庵野秀明監督の『キューティーハニー』の話をしたいと思います。庵野監督の映画に詳しい方たちは『シン・仮面ライダー』を観て、「キューティーハニーでやりたかったことはこれなんだ!」という感想を持っているようです。その視点で観るとたしかになと思える部分は随所にありました。『キューティーハニー』にはクモオーグみたいなやつもでてきましたし、敵組織の思想も似ていました。

そのなかでも私が面白かったのは主役のキューティーハニーこと如月ハニーです。如月ハニーは心があるアンドロイドという設定です。心はあるといってもアンドロイドなので人間の言葉をそのまま受け取ったりしてしまうのでコミュニケーションがうまくいきません。それでも人間たちとの付き合いを通じて徐々に心が通じ合うという描写があります。これが本作のルリ子と重なる部分があるなと思いました。
ルリ子はキューティーハニーのような力はありませんが、生体電算機と言われており、普通の人間ではなくショッカーによって生み出された人造人間のような存在です。崖から落ちても無傷だったり目からプログラムをインストールするような能力があります。

庵野監督のインタビューにもありましたが、ルリ子は生まれてからほぼショッカーで過ごしたため人間関係が狭いです。劇中のセリフによると父がルリ子にしてくれたことは「外の世界を教えてくれたこと」とあります。感情を表現するようなこともなく「他人を信じない」「用意周到なの」とよく言います。
一方で「誰かに甘えてみたかった」「父のバイクの後ろに乗りたかった」ということも言います。

組織の中にいる間はそういうことに関心がなかったが父を通じて外の世界を知ることにより、ルリ子のなかで人間性が芽生えたのではないでしょうか。またショッカー脱走後に家族以外の人間である本郷とかなり親密に外の世界で過ごすことになり、ルリ子の人間性がどんどん育っていきます。
友達に近い存在のハチオーグ(ひろみ)の死に悲しんだり、ヒステリーにも見える甘え方を本郷にしてみたりと、今までなかった感情が爆発する描写がたくさんあります。バッタオーグとして改造された本郷は人間性を失わないように過ごし、生体電算機として人造されたルリ子は徐々に人間性がうまれていきとともに行動する二人は対照的で面白い組み合わせです。

ハチオーグ(ヒロミ)もショッカーで生まれたという設定があるようなので、ルリ子と同じようにショッカーで過ごし、やがてハチオーグに改造されたと推測されます。年齢も近い二人は友達に近い関係として一緒に過ごしてきたと思いますが、思想の違いから戦うことになります。

劇中のハチオーグの部屋はまさに反社の事務所のよう。日本刀やたくさん飾られており、ハチオーグも極道の妻のような出立ち。
それを見てルリ子は「相変わらずの趣味ね」といいます。ハチオーグも極道に憧れて、その趣味嗜好を凝らした部屋を用意してそこで過ごしていたのでしょう。だから”なんちゃって極道”なんだと思います。

ハチオーグは子分を従えてルリ子と本郷に勝負をしかけます。そのときに「ルリ子を泣かせたい」「ルリ子をせつなくさせたい」と叫びながら攻撃してきます。それまでのハチオーグもルリ子と同様に感情をみせることのないクールビューティーだったのですが、マスクをかぶったせいでしょうか、随分気性が変化しました。ハチオーグの日本刀攻撃を受け止めた本郷はとどめをさすときに「ハチオーグ覚悟!」と言います。これはこのぐらい気持ちを込めないとルリ子のいわば友達であるハチオーグにとどめをさせなかったのでしょう。

でも精神力で力の暴走を抑え、ハチオーグを殺さずにマスクを外しました。結局はそのあと政府の男たちにハチオーグは殺されてしまいますが、ハチオーグは死ぬ間際に「ルリ子に殺してほしかった」と言います。ルリ子の友達に近い存在ではあるが、お互いに感情を見せあったりしたことがなかったのでしょう。ルリ子の感情をだすために過激な手段を取る以外に方法が思いつかなかったとしたら、なんて切ない話でしょう。ハチオーグ編は4回目以降ずっと泣いちゃってますね。

すごい映画を観てしまった。。

本作の映画レビューを読むのが辛い。
辛いという時に横線を一本足せば幸せになるとルリ子はいいますが、自分が大好きな映画を映画を心からぼろくそ言われると辛いものである。ただこの映画は賛否両論のパクチー映画。同じように大好きという人、同じように何回も繰り返す観る人、『シン・仮面ライダー』が大好きな同志もたくさんいます。

辛いに一文字足して幸せになる、というセリフについてですが、もう様々な考察サイトや動画があがっていますが、あえてここでも触れていきます。改造されてしまった本郷猛は最初とても辛かったわけです。ルリ子のいうよりに一文字を足したかったが、それがなかった。ところが後半、一文字隼人という一緒にショッカーと戦ってくれる仲間ができます。結果的に本郷は死んで、その魂は一文字のマスクに継承され、二人で一つ、仮面ライダー02+01になります。ラストのバイクで走る抜けるシーンはとても爽やかでした。

一文字隼人、一文字、辛い、幸せ。そうです。本郷は一文字と一緒になることで辛いが幸せになったのですね。こういう言葉遊びも面白いですよね。この映画は後から評価されるような気もするので、今は映画レビューサイトをみるのが辛くても、のちのち再評価されて幸せになることを祈っています。

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