おっさんの働き方だけじゃないよね、いい意味で

クリエイティブである。

 唐突にいわれても「お前は何をいっているのだ」という話だとは思うのだが、この世に人がいる限り、毎日どこかで新しいクリエイティブ、デザインが生まれている。

 人間とは何かしらのデザインをしたくなり、デザインを欲しがる生き物なのだ。子どもは紙に白い部分を見つけたらつい絵を描いてしまう。
私もいい大人だがつい描いてしまう。
海に行って砂があれば、つい城を造ってしまう。

 21世紀になり、コンピュータがさらにパーソナルになったおかげで「つい何かを作ってしまう」行為そのものが高度になり、iPhoneやiPadの登場以降は、モバイルでなんでもできてしまうようになった。
絵を描いたり、粘土遊びや料理の真似事、写真やビデオを撮ったり、とにかく創作活動には事欠かないツールとして存在している。

 あまり子どもに触らせるべきではないという向きもあるが、私はこれっぽっちもそんな風には思わない。むしろ最先端には積極的に触れさせ、新しい創造力をブーストさせるべきだろう。

 触らせたくないといっている人の意見を聞くと、どれも大した理由ではないし、なんとなく周りの意見に流されているだけで、その論拠がよくわからない。例えば次のような理由だ。

・目が悪くなる →使い方を正せばいいだけの話。
・自然の中で遊ばせたい →我が子をターザンにでもするつもりか? 
・バカになる →なんでだよ?

「木登りは危ないからやめなさい」と親が注意したものだし、自転車の乗り方だって一生懸命に教えてあげるだろう。
ところが、ネットやスマホは、自身が子どもの頃には通ってこなかった道だからわからない、だから危険だというのでは、あまりにも短絡的だし情けないではないか。

 子どもが不用意にSNSを使うと事件に巻き込まれたり、イジメや誹謗中傷のきっかけになったりする現実に向かい合い、そのうえで子どもと一緒によりよい使い方とは何かを見つけていくことが、保護者や教育者のリテラシーではなかろうか。

 コンピュータはすべての人々の才能・創造力の増幅装置であり、頭の中のイメージを具現化して第三者に伝えることができる、とてつもない道具だ。でも、想像するだけでワクワクするような道具が発明されてから実はまだ40年ほどしか経っていない。

 もし500年前に発明されていたとしたら、今この世の中はどう進化を遂げていたのだろうか? 道具は人間の脳や手足の延長上にあって、考えを形にしていくうえで欠かせないものであり、またその道具も人間が考え、生み出してきたものだ。

 よくニワトリが先か卵が先かという話があるが、道具ばかりは人間が先なのだ。じゃあパソコンとは何か? 私は

「ハサミやペンと同じ、道具である」

と答える。
つまり、ハサミも便利な半面、使い方を間違えれば危険だし、ペン1本で人の気持ちを豊かにする作品を生み出すこともできれば、その逆に不幸のどん底に突き落とす言葉や絵を描くことだって出来てしまう。

だいぶ遠回りしたが、クリエイティブである。

 今やiPhoneだけで、子どもからお年寄りまでクリエイティブができてしまう時代。世界中の叡智が寄って集まってiPhoneやiPad用の素晴らしいアプリを開発し、パソコンがなくても好きなように写真を加工したり、ビデオを編集したり、指先だけで素晴らしい絵を描いたりすることが可能となった。

 iPhoneだけでなく、スマートフォン全体が、新機種が登場するたびにその可能性は広がり、よほど影響力のあるプレイヤーが「飽きた」というまでは、止まるところを知らない勢いで進化を続けていくのだろう。
特に、クリエイティブシーンに与えたインパクトは凄まじく、モバイルならではの、どこにいても仕事ができるということだけでなく、表現技法の可能性も広げた。

 いつの時代でも、生活や産業に影響を与えるような新技術が発明され、大きなうねりが生まれたときには、さまざまな理由で理解を拒む人達から反発を受けてきたのだろうが、それでも勝ち残ってきた技術がある。

 テクノロジーは子どもたちの未来のために存在し、その子どもたちが大人になって、次代の子どもたちのために新たなテクノロジーを生むエコシステムが過去から脈々と受け継がれ、人々の創造力を掻き立て、世界は進歩してきた。

 子どもたちの可能性を広げる最先端技術には積極的に触れさせよう。
世界を繋ぐプログラミング言語も小学校から必修科目にすべきだ。
テクノロジーの進化は、私のようなおっさんの働き方だけでなく、日常にさえ大きな影響を与えているのだ。

いい意味で。

※このコラムは2009-2015年までMacFanに連載していたものです。


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