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依存症について

突然、昨日大谷選手の通訳の水原氏が、ドジャースから解雇されたというニュースが流れてきた。

大リーグでホームラン王となるという偉業をなし、巨額のマネーでドジャースに移籍してケガさえなければ、今年は三冠王さえも可能だと言われている最中に、とんでもないことになって、何も表現できない状態にある。

水原氏の発言が二転三転することによって、大谷さんもさえ疑われてしまうという危機的状態にある。

ネットから伝わってくる情報では、水原氏は、賭博依存症であることを告白しているようです。水原氏の収入から推測すると、6~7億も賭博に費やすことは考えられないので、おそらく依存症でしょう。

依存症となれば、國分功一郎氏の著書『中動態の世界』を想起します。

授業中に居眠りしてしまったことの責任などはたいした問題ではない。ならば、意志や能動性の有無 同じく曖昧であるが、問題としては深刻である事例、たとえばアルコール依存症の場合ならどうであ ろうか? アルコール依存に陥ったことの責任は本人にあるのだろうか?

人を強制的にアルコール依存症にすることは難しい。依存症者は、たしかに、自ら進んでアルコール の過剰摂取を始めたのである。その意味ではアルコール依存症に陥ったことの責任は本人にあるように も思える。

しかし、誰でも容易に想像できるだろうが、その人がアルコールを過剰摂取しはじめたのは、何か理 由があってのことである。一言でいえば、何か耐えがたいものを抱えていたがために、アルコールに よってそれに対処したのである。その意味では、アルコール依存症者がアルコールの過剰摂取を自らの 意志で能動的に選択したのだと言うのは難しいだろう。

アルコール依存症の場合、それが選択されてしまった経緯を理解してもらうことは、容易ではないと はいえ不可能ではない。アルコールは多くの人が口にするものであるから、何らかの極端な事情ゆえに それを過剰に摂取するに至った人の事例は十分に想像しうる。 つまり、アルコール依存症の場合ならば、 依存症者の曖昧な意志や能動性が、そのまま、曖昧なものとして理解されることは十分に考えられる。

ところが、法が絡むと事態は突如困難になる。 依存症の対象がアルコールではなくて、違法薬物で あったらどうだろうか? 人を強制的に薬物依存にすることは可能であり、またしばしばそうしたこと が行われるが、そうではなく、 違法薬物を自ら購入して使用した場合のことである。

この場合、その人は法によって罰せられる。つまり、自らの意志で能動的に薬物使用を選択したと見なされる。その依存症者はたしかに、自ら進んで違法薬物を入手したのである。

それゆえであろうか、多くの場合、薬物依存に陥ったことの責任は本人にあると考えられている。 特 に日本では、薬物依存から復帰できない人物はしばしば、「意志が弱い」と非難される。 違法薬物の中 症状のために病院に搬送された患者への治療を、医師が拒否することさえある。

しかし、事態を冷静に考察すれば、アルコールの場合と同様、違法薬物の使用もまた心身をめぐる何 らかの耐えがたさと結びついていることは容易に想像できるだろう。実際、違法薬物の依存症者も、そ の多くが幼少時に性虐待等の耐えがたい暴力を経験していることが知られている。 ならば、自らの抱え 耐え難い何かによって、法を犯す行為を促されたのだとして、そのことの責任はいったいどう考えれ ばよいだろうか? 何らかの罰は受けねばならないとしても、この行為を「本人の責任」と言って片付 けてしまってよいのだろうか?

そこには、たしかに自ら進んで手を伸ばしたとはいえ、自らの意志による選択なのかはっきり言うこ ともできず、強制されてはいないという意味では受動的ではなかったにせよ、かといって能動的であっ たとも言えない状態がある。そのことを考慮せずに一足飛びに責任を問うとすれば、それはあまりに粗 雑ではなかろうか?

『中動態の世界』P27~P28

本書のプロローグでアルコール依存症や薬物依存症の女性の自助グループとなっている上岡岡江さんとの対話をもとにした架空の対話があります。

上岡さんの言葉で衝撃をうけたのは、「回復とは回復し続けることだ」という言葉だったと國分は言うのです。

普通、回復とは健康になって病気の状態から逃れられたことだと思ってしまうが、そうではなくて、ただ回復していくプロセスだけがあるという意味なのです。ところがこれが皆に中々理解されないと上岡さんは主張しています。

しっかりと意志をもって依存症を断ち切ると思っていると、むしろ断ち切ることができないようです。芸能人で薬物摂取容疑で逮捕されて保釈されたとしても、何度も捕まっていることからも実証されています。

賭博依存症もアルコール依存症や薬物依存症と同一視して良いのかは、判断できないが、依存症である限りでは同じと見ても良いのではなかろうか。

依存症は大きく三種類に分けられている。物質依存、行為・プロセスの依存、人・関係の依存である。

物質依存は、アルコール、たばこ、薬物(違法薬物・脱法ハーブ・処方薬等)に依存してしまうことである。

行為・プロセスの依存には、ギャンブル・パチンコ・買い物・盗癖・ネット・ゲーム・性などへの依存がある。

水原氏の依存は、行為・プロセス依存に相当するようです。

水原氏のように、大谷選手という大リーグでも超スターである人物に通訳として仕えていると、彼の収入や身体能力などを常に仰ぎ見続ける度に、金銭感覚にも狂いが生じて、つい賭博にのめりこんでしまったということもあるのではと想像してしまう。

だからといって、水原氏と同様の立場の通訳やトレーナーに人たちも大勢いますが、すべての人が依存症に陥っているわけではないという現実もあります。

今後、水原氏は、厳しい処罰を受けることは確実でしょう。大谷さんは処罰を受けることなく、選手生活を続けることができることを望むだけです。この望みは、大谷さんが、賭博にはまったく関与していないということを前提としています。








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