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天敵彼女 (51)

 部屋の中に、縁さんの声だけが響いていた。奏は、俺の隣に座り、俺はひたすら前を向いていた。気恥ずかしくて奏の顔を見れなかったからだ。

「どうしたの? 峻君、さっきから変よ?」

「べ、別に普通ですよ」

「そう? 奏もどうしたの? まだ、顔赤いわよ」

「だだだ、大丈夫だから……お母さん、話続けてよ」

 奏の肩が俺の腕に触れた。

「あっ、ごめん」

「えっ? う、うん……」

 思わず、俺は横を向いた。一瞬、奏と目が合った。思い切り頬が熱くなった。

 俺は、しばらくうつむいたままやり過ごそうと思った。どうやら、奏も顔を上げられないようだ。

「あらあら、二人とも……」

 縁さんは、俺達の様子を興味深げに観察した後、また話し始めた。

 それから、俺は今まで聞いたことがなかった縁さんの子供時代の話を聞くことになった。

 縁さんは、地元で何代も続く会社を経営している家に生まれた。

 両親は、跡取りになる男の子を望んでいたが、子供は女の子の縁さんしか生まれなかった。

 幸い、両親が縁さんを邪険に扱うようなことはなかった。それどころか大切に育てられたそうだ。

 問題は、田舎特有のしがらみなのか、女である縁さんは家を継げなかった事だ。

 縁さんは、自分では両親の望みを叶えられない事に気付かされた。周囲の心無い噂が、容赦なく少女に牙をむく中、縁さんはあくまでも自分の役割を果たそうとした。

 縁さんは、誰に強制されたわけでもないが、将来は家を守る為に婿を取る事を受け入れた。

 俺は思わず、そんな男女差別まがいな事に疑問は持たなかったのかと訊ねたが、縁さんはあっけらかんと何とも思わなかったと答えた。

 俺からすれば、非常にストレスのたまる生き方のように思えるが、縁さんからすれば決められたレールの上を歩いていればいいだけなので、却って楽だったとの事。

 ちょっと信じられない気はしたが、縁さんの話を聞く限り嘘ではないらしい。

 ただ、縁さんにとって人生はずっと先まで筋書きの見えている退屈なドラマのようなものだったようで、いつしか頭の中で自由に考えを巡らせて遊ぶ癖がついたとの事だ。

 その成果が、物事を色々な角度から見るユニークな発想に繫がったのだろう。

 俺は、この人の話に何故か引き込まれてしまう理由が分かった気がした。

「初めに言っておくわ。峻君には悪いけれど、私に恋愛の事を聞かれてもうまく答える自信がないの。元夫とは、両親に言われるがままに結婚したので、恋愛という感じではなかったし、結婚してからも自分の役割として妻をやっていた感じがあったから、女性を良い気分にさせるのが得意なタイプだった元夫が何をしても反応が薄かったそうなの。わざわざ機嫌を取ってもらわなくても、ちゃんと役割はこなすのに、何をしてるのかなって思っていたもの」

「あっ……はい」

 俺は、言葉に詰まった。同じく恋愛関係に疎い俺でも分かる。

 これは、男の心を折るやつだと……そんな俺の反応を予測していたのか、縁さんは表情一つ変えなかった。

 ふと、奏の様子を伺うとこちらも無表情だった。

 恐らく、八木崎家では縁さんの恋愛下手エピソードは鉄板なのだろう。二人とも今更驚く感情が残っていない感じがした。

 フォ、フォロー……なんてことを考えている内に、奏が爆弾を投下した。

「結局、おじいさまの目論見通りにはいかなかったのよ。あの人、嘘つきだから」

「そうなのよね」

 俺は、一瞬奏が何を言っているのか分からなかった。一人取り残された俺に、縁さんが補足の説明をしてくれた。

「ごめんなさいね。奏が言っているのは、結局元夫が八木崎姓に入るのを拒否して、グダグダになってしまった事を言ってるのよ。ほら、峻君私の事を最初姫野のおばさんって呼んでいたでしょ?」

 俺は、ようやく理解した。例の人物は、結婚前から嘘つきだったという事だ。

 両親が付いていながら、どうしてあんな事故物件を……そんな疑問を封印し、俺は今度こそフォローしようとした。

「で、でも、そういうのも逆に……」

 もう何でも良かった。何でもいいから肯定的な事を言おうとしたが、縁さんが笑顔で俺の言葉を遮った。

「気を使ってくれてありがとう。もう私の中で整理がついているから大丈夫よ。それよりも、ここからはそういう話もあるって感じで聞いて欲しいんだけど……」

 縁さんが珍しく真剣な表情を浮かべた。

 俺は、奏の様子を伺うよりも先に縁さんに返事をした。

「はい、お願いします」

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