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母が亡くなって、人は本当に死ぬんだってやっとわかった。

私はあまり母と仲良くなくてよかったなあと最近ふと思います。

大好きだったらもっと苦しかっただろうなと思うのです。
仲が良くなかったのに、
私は2年前亡くなった母を思い出さない日はありません。

父はもう30年前に亡くなり、父の時はここまで思いませんでした。
当時どちらかといえば父の方が好きなくらいでしたから、ほんとなら父の思い出をいろいろ考えそうではありますが、父は、なんていうか、とても好きに生きてきた人で、家族をたくさん悲しませたけど、でも、楽しいこともたくさんあって、

だからよかったなあって。やりたいこと存分にできてよかったねって。そして、父が亡くなった時たくさんのお金の問題も終わったので、家族中で、正直ホッとしたところもあったのです。

ギャンブルさえなければ
すごくおもしろくて優しい人だったから、
そして懸命に働き、大きな望みをかなえた人だったから
家の中はあんなに大変だったけど、
楽しかった思い出ばかりが残り、
良いことしか思い出せないのです。

でも母は、
そんな父に翻弄され、子どもたちに愛情をそそぐ余裕もなく、娘が2人いながら女同士の楽しみみたいのが一切無く、いつもカリカリイライラして私たちの顔をみれば小言をいい、娘から疎まれ、最期まで心が通じ合うことがありませんでした。

父が亡くなってから
母も母なりに楽しんで生きようとしていました。
趣味の絵画に没頭したり
筆耕の仕事で表彰状を書いたり
充実した毎日をすごしてはいたのです。

でも、私たち娘はなかなか寄り付かず、孫も寄せつかせず、母は、あんなに苦労して家を守ってきたのに、誰も自分を理解してくれないことに、きっと1人涙した日もあったことでしょう。

私はある日、
母との関係を今からでも修復したいと思い、
子供たちも大きくなってから、毎週実家に通いおしゃべりの時間をつくりました。

母はいろんな考えを話し、意気投合し、読んだ本の話などを熱く語ると、「ああ、話したって感じ!」と嬉しそうにしてくれました。

なんだ。もっとはやくからこんなふうにたくさん話せばよかったね。
パパのことも1人でママがかかえて大変だったね。

あんたたちには母親らしいこと何一つしてやれなかった。悪かったね。

そんな会話もして
普通の親子みたいになれて
私としては娘として責任を果たしたように思っていましたが

でも人間の絆とか魂とかって、
やっぱりそんな簡単なもんじゃない
っていうか

母は亡くなる最後に私に憎々しく吐き捨てるように
一番思っていたことを言って、亡くなりました。

私は母より後から生まれた人間として、
母のことを
母の人生を
そこまで背負うことはないのかもしれないとも思いましたが

でも、
私はもっと母のことを理解したかったということは
心残りとしてあり、

それはもういまから絶対にもどれないことで
ああ、母は本当に死んだんだな。
人は本当に死ぬんだ
なんだかすごく考えるようになりました。

そして、
夫ともっと仲良くしようと思うようになりました。

血のつながった母のこともこんなにも理解できず、
良い人間関係を築けなかったということが
むしろ
他人なんてもう無理に決まってるじゃん。という
開き直りみたいな気持ちにもなり、

理解するなんて永遠に無理だろうとわかったうえで
私はあなたを理解したいと思っているのだということを
自分の生きる姿勢で夫にみせていかなくちゃ

思うようになりました。

すると、
心底思っていることは伝わるんだという手応えを感じ、
今そのことを
しみじみと実感する日々を過ごしています。

夫のすることなすことに腹をたて
もうダメだと思ってきたことを思い出すと、
あまりの豹変ぶりなのかもしれませんが、

でも、これはけして、我慢ではなく、
自分と向き合うことなのだと感じるのです。

母は
結局私に大事なことを教えてくれたのかもしれません。




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