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安西水丸さんってモテただろうな。早稲田大学国際文学館村上春樹ライブラリーにて

この絵を描いたイラストレーターの安西水丸さんをご存知でしょうか。

これは村上春樹さんです

安西水丸さん(1942-2014)は村上春樹さんの著作の装丁や挿絵のお仕事をたくさんされています
その700点あまりの原画から約100点の作品が選ばれた展示が今、早稲田大学の敷地内にある早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)にて開催されています。

12月にたまたま、この「安西水丸展」のチラシをみつけたのですが、早稲田大学国際文学館にもいつか行ってみたいと思っていたので思わず大喜びしてしまいました。
しかも無料です。これはすぐに行かなくてはと次の週末に訪問を決行しました。

会場の早稲田大学国際文学館は、地図で見ると都電の早稲田駅からすごく近い場所にあることがわかりました。

早稲田駅にて

東京都に唯一残る都電荒川線は(「東京さくらトラム」という愛称で親しまれています。)大塚駅や王子駅をほぼ中間点として三ノ輪駅~早稲田駅間を運行しています。

久しぶりに都電に乗りました。

早稲田大学国際文学館村上春樹ライブラリー

早稲田大学国際文学館村上春樹ライブラリー
「安西水丸展・村上春樹との仕事から」
2023年11月17日~2024年4月9日 10時~17時
毎水曜休館・2024年1月22日~2月29日休館

チラシ・サイトより

早稲田大学国際文学館は建築家の隈研吾氏(早稲田大学特命教授・東京大学教授)によるリノベーションにより2021年4月に開館しました。また、同校卒業生でもある柳井正氏(株式会社ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長)が、この建物の改築費用の全額(約12億円)を寄付されたというのは有名な話です。

ここには村上春樹氏の著作や関連書が所蔵され、ギャラリーや閲覧スペースも充実しています。

村上春樹さんの書籍がたくさん!
気持ちの良い空間でした

私は以前この本を読んで、香川県のうどんのディープな世界を知りました。そして村上春樹さんがこういう内容の本も書かれていることに驚きました。

オーディオルーム

オーディオルームという部屋がありました。
村上春樹さんがコレクションされたレコードなどが展示されジャズがながれています。私が部屋に入った時かかっていた曲のレコードは、上記の写真のジャケットのものでした.
たくさんの人がこの部屋で思い思いにくつろいでいました。

大人気のイス

このイスはすごい人気で常に満席でした。
受付の女性に「申し訳ありません。順番でお座りください」と言われている男性をみかけ、ああみんな待ってでも座りたいイスなんだと知りました。(並んで待っているということはありませんでした)
座るところが広くとられていて、靴を脱いで座っている方もいました。周りはかなり高く囲まれているため、すっぽりと包まれるような落ちつきが感じられると思われます。
ちょっと周りをウロウロして、空かないかなと待ってみましたが、皆さんまったりと本を読んでいらっしゃる。
また今度挑戦しようとあきらめました。


2階が展覧会会場です

そんなに広くはないのですが、作品はたくさん!色と光にあふれていました。会場に入ってくる若い女性たちが「かわいいー」「きれーい」とニコニコしています。

私は、安西水丸さんの作品が以前から大好きでした
といっても、最初はパントーン・オーバーレイを使った作品しか知りませんでした。

パントーン・オーバーレイというのはフランスのレトラセット社が生産していた配色のために使うスクリーントーンで、必要な形に切り込んでつかうカラートーンです。

両親が経営していたデザイン会社にこのシートがあったため私も子供の頃使ったことがありました。色が豊富できれいな色ばかりなのです。この素材、私も大好きでした。現在は製造を修了しているそうです。

会場に貼ってあった説明
壁には背後から光を当てた状態での展示がありました。
パントーン・オーバーレイを使用した水丸さんの作品の良さが
とてもよくわかる方法だなと思いました。


色も形も線も構図もほどよくゆるくて、
素敵さは完璧です。
それに水丸さんの作品は、どれをみても全然古びていません。

原画はどれも丁寧で美しく、いままで印刷物を見ていた時より、さらに感動しました。
家に帰ってこうやって写真におさめた作品をみていると、ちょっと違うなと言う気がしています。
原画のワクワク感が伝わらないのです。残念。
原画はもっと素敵なんです。

「象工場のハッピーエンド」(CBS・ソニー出版 1983年)

この作品なんて、水丸さんの作品の良さがもうたくさん詰まっています。絶対楽しそうにお仕事してるなあって見ているだけでニコニコしちゃいます。

近づいてじっくりみてしまいました。
フランス絵本の「TIN TINシリーズ」も思い出してしまいます
「村上かるた うさぎおいしーフランス人」
(文藝春秋2007年)

水丸さんの作品って、よく見るとエッチな絵が多いなっていつも思います。(笑)絶対ふざけてるっていう絵柄も多数あり、お仕事仲間のみなさんと笑いながら批評してああでもないこうでもないと言っていたんだろうな。

水丸さんはきっとモテたと思うんです。
男の人にも女の人にも

絵を見ていても、そんなお人柄画滲み出ているような気がしてしまいます。

お姉さんが5人いらっしゃって、
すごくかわいがられたそうです。


小さい作品もすごくシャレていて、いいなあ。
透明感がいいなあ。
そして影がね、またいいんですよね。

「日出る国の工場」(1990)

上の作品の一部を大きくしてみました。パントーン・オーバーレイをこんな風に使っています。

水丸さんの描く線は適当みたいだけど、グッときます。

「日出る国の工場」(1990)小岩井農場の風景

今回の原画で、色鉛筆の作品もいいなあということに気づきました。

はっきりいって雑なぬりかたかもしれません(笑)が、
コレすごくきれいにぬった絵だったらこんな味のある絵にはならないと思うんですよね。
ああパソコンの無い時代の印刷前の版下ですね。
わたしもこういう時代にデザイナーをしていました。
線画も好きです。
ちょとしたコメントもついつい読んでしまいます。


水丸さんの文字も素敵です。
この書籍は、村上春樹さんから「表紙は水丸さんの字でいきたい」とリクエストがあって作った装丁だそうです。

「少しはかくし味があった方が良いかなと思って
パントーン紙を切って色を入れました」と水丸さん。
村上さんもこのデザインを気に入ったのだそうです。


水丸さんのコレクションの一部も飾られていました。スノードームがお好きってことはいろんなところで書かれていたので、知っていました。それ以来私の中では「安西水丸さんといえばスノードーム」というくらい、なんだか強いイメージができあがっています。

こけしとか民藝ものなどが飾られています。
スノードームは旅先で買い求めることが多かったそうです
「何の役にもたたないがロマンティックな発想が好き」と
おっしゃっています。


お二人が出会ったのは1980年でした。水丸さんは38歳。平凡社を退社された年でした。当時村上春樹さんは千駄ヶ谷でジャズ喫茶「ピーターキャット」を営んでいて、ある編集者がそこへ水丸さんを連れて行ったのだそうです。

「ピーターキャット」でかけられていたレコード。
その名残として、村上さん自身がデザインした猫のマークや、
手書きによる店名がみられる(早稲田大学国際文学館オーディオルームの説明にて)

村上春樹さんの装丁をはじめて担当したのは、昭和58年(1983年)に中央公論社から出た「中国行きのスロウ・ボート」でした。それまで村上さんの本はいつも佐々木マキさんがやっていたので、村上さんは佐々木マキさんの絵が好きだと思い、ぼくは自分の絵の最も特徴だと思っている線をはずし、切り絵風にしました。自分で書くのはおこがましいのですが、結構この装丁はあちこちで評判になり、つい最近でも、若いデザイナーからこの「中国行きのスロウ・ボート」を見てグラフィック・デザインの道に入ったなどと言われました。ぼくも気に入っている一冊です。その後村上さんとは何冊も共著を出し、装丁も、「村上朝日堂」シリーズや、「日出る国の工場」「やがて哀しき外国語」「うずまき猫の見つけ方」など多く関わりました。(中略)村上さんとの仕事で、彼の方から「こうして欲しい」だの「これはやめて欲しい」といった注文はほとんどありません。それでいて、何か、装丁する側をとても上手に導いていく空気のようなものを村上さんは持っているように感じます。彼はそういう点では名アートディレクターといってもいいかもしれません。

「イラストレーター 安西水丸」(クレヴィス)
上記の文章にでてくる「中国行きのスロウ・ボート」
線がないですね。

安西水丸さんは今はもういないのです。
それを考えるとウソみたいです。一度もお会いしたことないのに、寂しいだなんて言える立場ではないのですが、私のデザイナー時代にはいつも水丸さんの絵は隣にあって、憧れでした。

安西水丸さんは子供の頃絵を描くことが大好きだったそうです。
こんな文章が載っていました。

自分で決めた道
子供の頃から絵を描くのが好きで、いつも絵を描いて遊んでいた。絵を描くこと、それが楽しい遊びだったのだ。小学生になっても、絵の時間はたまらなくうれしかった。それは中学でも高校生になっても同じだった。絵がうまかったかというとそうでもなく、クラスには絵のうまい生徒はたくさんいた。しかし、おそらく描くことが好きという点では自分が一番だったのではないかと思っている。(中略)ぼくは美術大学に進み、グラフィックデザインを専攻し、卒業後広告代理店、ニューヨークのデザインスタジオ、出版社を経てイラストレーターになった。イラストレーターになりたいという夢は、中学生の頃からずっと頭に描いてきたことだった。一直線にこの世界に入ったといっていい。黒澤明監督の映画に「まあだだよ」という作品がある。映画の中で、主人公の老教授が子供たちに言う台詞が印象的だった。「よーく考えてごらんなさい。あなたたちは、自分のなかに何か好きなことが必ずあるはずです。もしもそれに気づいたら、大切に大切に育てなさい。それはいつかあなたたちにとって、かけがえのないものになるでしょう」正確ではないが老教授はそんなことを言ったのだ。そのとおりだと僕は思った。今、イラストレーターとして毎日絵を描いているが、絵を描いている時の血の騒ぎというのは子供の時と少しも変わっていない。(中略)今イラストレーターとして思うのは、自分は実に平凡な形でこの世界に入ってきたということだ。生き方に美しいとかその逆があるかどうかはわからないが、ぼくは自分なりに決めた道を歩んできたとは思っている。

「イラストレーター 安西水丸」(クレヴィス)

これを読んで、水丸さんは
楽しんで楽しんで絵を描き続けていたんだなあと思いました。
水丸さんの絵をみているとすごくそれがわかるような気がしました。



早稲田大学国際文学館1Fには「橙子猫-オレンジキャット」というカフェがあります。(余談ではありますが「橙」と言う文字は「だいだい」のことなんですね。恥ずかしながら今回初めて知りました。)
「オレンジキャット」という名前は、 村上ご夫妻が学生時代に経営をはじめたジャズ喫茶「ピーターキャット」の由来にもなっているピーターという 猫がオレンジキャットと言われる種類だったため、それにちなんで命名されたのだそう。 早大生が経営しているのだそうです。

ここで「オレンジキャット」という飲み物を注文しました。
オレンジピールがはいっていておいしかったです。

かわいいピンバッジが売っていました。

水丸さんのイラストをピンバッジにした商品です。
どれもかわいくて迷って結局選べず。
左にあるネコのバッジは早々に売り切れていました。
アンケートに答えるとランダムでステッカーがもらえます。

じつはひそかに真ん中下の色とりどりな飴?のステッカーだといいなと思っていました。そして、ピンバッジは落花生を買おうと考えていたのです。

でも、ステッカーは・・・

落花生でした。
イチョウの落ち葉と一緒に写してみました。

それで、なんとなくピンバッジも満足してしまって、買いませんでした。
なんでかな。

ピンバッジはつやつやキラキラしていて、水丸さんのパンテーン作品のときめきを思いださせてくれるから、ステッカーとは全然違うって、わかってはいたのですが。

やっぱり買えばよかった…

期間中に、もう一度行く理由ができました。

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