56.中世のイギリスとフランスNo.3
①ジョン王の息子はヘンリ3世。
続き。ジョン王の息子ヘンリ3世は父親に時代に貴族たちに押し付けられたマグナ=カルタをよく思っていなかった。できれば無視したかった。ということでヘンリ3世は無能ではないので貴族の制限を無視した。
怒る貴族。そして反乱が怒る。中心的貴族はシモン=ド=モンフォール。
シモンは瞬く間にヘンリ3世を捕らえることに成功する。個人的にはヘンリ3世も無能だろと思う。父親が父親なら子供も子供。
シモンは貴族だけではなく、市民も集めて話し合いを行った。これをシモン議会。貴族だけなら会議。しかし、シモンが死ぬと続かずに終了。組織で一人だけができてもダメで、持続性があることが大事。
②イギリスの内乱を笑って見ていた奴。
黙って見ていたのはフランス王。このままイギリスが戦い疲れればフランスが領土に侵攻できると考えていた。
ヘンリ3世の息子エドワード1世はフランス王の思惑を察した。
エドワード1世は貴族たちや市民たちごちゃ混ぜにして話し合いの場を設けた。これを模範議会という。
イギリスに民主政治が生まれていく。ありがとう無能なジョン。
③模範議会を見ていた奴。
イギリスが議会を設置したことを見ていたフランス。なんと真似をする。
三部会という議会を開いた。
そうして英仏に議会が開かれた。
④民主政治とは
民主政治とは皆が話し合いの結果、意思決定がなされること。しかし、その過程においては多数決が行われ少数派が黙殺されていく。君主制はその黙殺する主体を君主にすることができる訳で、憎しみの対象を君主にできる。ダモクレスの剣ですね。しかし、民主政治では意思決定の所在が国民にある訳で政策の失敗を誰かのせいにできない。そして人々は自分たちで作り上げた話し合いを放り投げて思考をやめ、一人のカリスマにすがる。カリスマは次第に独裁者となっていく。独裁者は外国によって倒されて、正義ヅラした他国が自国を占領する。自らのアイデンティティを失った国民は盲目的な平和を生きる。この状況を憂いた革命家がまた独立して最初からやり直すのだ。
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