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【企画】日本語教師きっかけ~海外への興味と縁~

日本語=国語という考えの人もいると思うし、日本語教師って本が好きで、語彙力があって…というイメージもあるかもしれませんが、わたしは真逆。国語はほかの科目より成績は悪かったし、国語教師の親に子供のときから本を読めと言われていたけれど、まったく読まずに大人になりました。

そんなわたしがなぜ日本語教師になったのか。「海外に興味があったから」と「縁があった」ということが大きいでしょう。

中学生や高校生のときは、数少ないALTの先生との交流を楽しみにしていました。英語が好きというわけではなかったので、ただただ外国から来た先生と話したい!という気持ちが強かったんだと思います。

さらに、海外に興味を持った一番のきっかけは中学の担任がJICAの元協力隊だったということかもしれません。先生の話を聞いて、漠然と国際協力に興味をもつようになり、そこから日本語教師という仕事も知ることになりました。

ただ、当時はわたしの中で日本語教師=途上国で泥まみれで教えている人、というイメージが強く、「虫が苦手だから私には無理だ~」とか言っていたのを覚えています。

大学生になると、”国際交流”できるチャンスが増えました。留学生と交流したり、学内で日本語を教えるボランティアをしたりして積極的に外国人と話す機会を持ちました。そのときも、英語を話したい、とか日本語の言語に興味がある、とかではなくて、”ただただ外国人と友達になりたい”という思いが強かったと思います。

そんななか、大学4年のとき、ネパールで日本語を教えないか、という誘いを友達からもらいました。たった1か月ほどでしたが、何をどうやって教えるかなど、資格も何の知識もないなか、模索しながらの日々は今思えば大胆だったな、と思います…。

海外に行った学生のあるある?で現地ではきらきらした子供たちと毎日笑ってすごしました。渡航前は、「帰国前に周辺を旅行しよう」と思っていた計画も、「もっと子どもたちと接する時間を長く持ちたい」という気持ちのほうが勝り、とうとう旅行もせず滞在できる限り、ぎりぎりまで学校で子供と接する日々でした。

私が大学を卒業したのはリーマンショック間もないころで、東日本大震災もあり内定取り消しや就職できない学生も多くわたしもその中の1人でした。そんな中、唯一内定をもらったのが、外国人に安全で清潔な住まいを提供している団体でした。そこは住まいの提供だけでなく、日本語学校も運営し、地域の日本語教室も開く団体でした。

そこで事務として働くことになったが、同僚には日本語教師もおり、教師のほうが楽しそう、という印象を持ったことと、仕事の幅を広げたいという思いから養成講座に通うようになりました。

そして事務をしながら教師として授業もさせてもらえるようになり、結局は教師に専念したいと思いその職場を離れ、海外、国内で日本語教師として働き今に至ります。

いま思えばすべて縁なのかな、と。流れに身を任せているうちに自然に(?)日本語教師という道を選び、今は家でオンライン授業をしながら世界約11か国に住む方たちに日本語を教えています。今後はまた世界のどこかで生徒の前に立って授業できる日がきたらいいな、と思っています。




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