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短編小説 【贖罪のメリーゴーランド】


 閉園十分前。土砂降りの遊園地。誰も乗らないメリーゴーランドは私だけを乗せて、楽しい音楽と煌びやかな電飾で、最上級の虚しさを演出していた。そこで一人、真っ白な白馬の上にて、私は吐血した。冷や汗が止まらないのに、メリーゴーランドは止まらない。地獄のような悪夢のような現実をぐるぐる回す。職員は気づかない。ロボットのように機械を動かし続け、それが終われば閉園の準備を進める。私はこのメリーゴーランドの最後のお客であるようだった。
 傘をさした子連れの家族、あるいは学生たちが楽しそうな悲鳴をあげながらゲートへ向かう。血と雨に塗れた手で傘を持つ。耳元で鳴る音楽が遠くに聞こえる。一人で深夜病棟くらい行けるけど、誰でもいいから大丈夫?とか言って欲しかった。そんな気がする。らしくない。
 スマホで呼びつけたタクシーに乗り込み、情けなさそうなおっさんに「ここから一番近い病院まで」と伝える。案の定情けない顔でおっさんは振り返り、
 「お兄さんどうしたの?遊園地帰り?お連れさんは?大丈夫?」
 と捲し立ててきた。
 「…いいから」
 あんなに欲しかったはずの「大丈夫?」にひどくイラついた。調子が強烈に悪い。おっさんはその情けない顔を歪めながら向き直ってアクセルを踏んだ。なんとなく、『吐血 原因』で検索をかけてみるが、ストレスとか、そういうのばかり出てきたのでブラウザを閉じた。この世の病気の原因は全てストレスなのではないだろうか。
 
 「お兄さん、着いたよ」
 二十一時の病院は小さくて頼りなさそうな佇まいだった。私はシートから立ち上がれずにぼんやりと病院を見つめた。ふと良いアイデアが浮かんだ。
 そうだ、私はこのまま死ねるじゃないか。このまま私が死ねば、すべての責任は、誰だ?
 素晴らしい復讐を思いついた私はにやり笑った。
 「お兄さん…?」
 「おっさん、やっぱりここに向かって。」
 私はおっさんに自宅の住所を見せる。
 「えぇ?大丈夫なの?おじさんここで待っててあげるよ?」
 おっさんは私の顔をチラチラと見ながら、こちらまで情けなくなりそうなことを言う。自分のことをおじさんと呼ぶタイプになんとなくがっかりした。
 「急用が出来たんだ。」
 気分は良好だった。

 私の趣味はひとり遊園地である。妻と小学一年生の息子と中学二年生の娘がいるが、それでもひとりで遊園地へ行く。子どもたちは私に従順なので、私がひとり遊園地に行こうとしても何も言わない。妻はそもそも私にも遊園地にも興味が無い。何も問題は無い。
 遊園地で特に好きなのはメリーゴーランドで、あのキラキラでいかにもな感じとか、楽しくするのが使命であるような感じだとか、目的も無くただ回っているだけなところとか、そう言うのが堪らなく好きであった。年間パスポートはいつも鞄からぶら下げているパスケースに入れてある。年間パスポートを見ながらあのメリーゴーランドに想いを馳せるだけでも気分が良い。いつの日か、子ども達がこれに触れようとしたことがあったが、躾に二回ずつ殴ってやった。
 
 わたしの趣味は漂白である。紅茶のカップに茶渋が付いているのを見つけてしまうと酷く気分が悪くなる。腹が立つ。六歳の息子が初めてわたしに淹れてくれた紅茶のカップに茶渋が付いていたのを見つけた日には、腹を蹴飛ばしたくらいだ。そんな日の夜はわたしが家中の食器を漂白する。妻は匂いが酷くて寝られないと文句を言うが、わたしは塩素の匂いで充満した部屋にいると、自分まで漂白されたような気分になり清々しかった。もちろん、その日の妻はわたしが殴って黙らせた。

 そもそも罠に嵌められたのはわたしの方だったはずだ。指輪が欲しいと言われたので指輪をあげた。子どもが欲しいと言われたので産ませてやった。なのにずっと。なぜだ。

 とても良い気分でワタシはワタシのマンションのエントランスに到着した。オートロックを妻に解除させ、エレベーターに乗り込む。体重が増えたり減ったりする感覚に陥り、意識が飛びそうになるのをなんとか耐えた。我が家に到着する。家の鍵を妻に解除させる。扉が開くと妻が笑顔で包丁を持って立っていた。
 それが視界に入るや否や、ワタシは本日二度目の吐血と共に広い玄関に倒れ込んだ。妻の顔が一瞬、歪んだ気がするのは気のせいだろうか。
 

 さぁ、全ての責任は誰だ。いるなら決めろ、神。
 
 ミゴトなまでの、贖罪の山羊じゃないか。

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