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《無誕生日》自分の年齢がわからなくても。

大人になってから自分の誕生日を祝う人はいないだろう。

ずっと勝手にそう思っていたし、あまり誕生日そのものを意識したことがなかった。




10年ほど解離しまくっていた時期があるため、私は『実感として』まだ25〜6歳のままだ。

色々と経験不足だろうし、未熟だと言われても反論はしない。



そんな風に言ってくる相手には私の過去は見えないのだから…と
「どうにもならないこともあるのよ?」
を飲み込む。


説明したところで訝しがられるだけ。



自分の実年齢と、実質生きてきた感のある年月に隔たりあり過ぎの状態で、ましてや自分の生誕を祝うなど有り得ないと思っていた。


死を望まれた我が身の生誕など祝いたくもない。


「産んでくれた親に感謝しなさい」

あちこちでそんなふうに言われりゃ、


くっ…、黙っといて!!


とも思い、なおさら誕生日などクソ喰らえ…もとい、う◯こお召し上がりください、だった。




それでも今年は行ってみたかった中国茶のお店に行こうかな。

予算は1000円♡




多分、数年後には私はこの土地を離れているから。

自分の身体が悲鳴を上げる中で、もっと親族と物理的に離れないとねって思い至った。
見つかる恐怖で仕事や健康に障りがあるなら、もう一度転居しようかね〜と自身(からだ)から意見が出ている。

そもそも人目につく仕事には絶対就けないもの。


結局、安らげないということは気力も体力も奪うのだ。



だからこの土地で最後の誕生日をこの年末は祝おうかと思う。




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