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太古の空と繋がる。

…仮に私が大昔に生まれていたら、どうしていただろうか。

別の時代に生まれていたら、どうしていただろうか。

人類の歴史を振り返って、『自分』と近いポジションの人々がどのような役割を持っていたのか、ふと考えを巡らすときがある。



◎感覚過敏

これは私自身、発達障害からくるものと虐待によるPTSDからくるものがミックスされているため「コッチ!」と断言できない。
しかし、今回は発達障害からくる感覚過敏として捉えよう。

他の人が気にも留めない音や光、肌触り、匂いを敏感に捕らえ下手をすれば体調を崩す。
何人もの話を同時に聴き取ってしまう。
後ろにいる人の靴下の色がわかる。

古代ならシャーマンだったかもな…

今の時代だからこそ、脳の造りが一般の人と違うからだと「病気」みたいに扱われるけれど、医学とかの概念が無かった時代には「神秘的」だったかもしれない。
予言や神託をする巫女だったかもしれない。

良い言い方をすれば勘が鋭いわけだから。

恐山のイタコなどは世襲が多く、この手の職種が遺伝的要因も噛んでいたことは想像に難くない。


◎子供を持たない女性

いまだに日本では肩身が狭い、子供を持たない女性。
私もその一人。
どんどん増えつつあるとはいえ、やっぱり肩身は狭い。
もう、日本は子供がこの国からいなくなる前提で政策を打っていくしかないようにすら思う。
産めと言われて無責任に産めるものではないのだから。

さて、そんな子供を持たない女性にもちゃんと昔から役割があった。
西洋では修道女。
日本では巫女。

神につかえる役割?

いやいや、実のところは「平等な母性を持っていること」が重要だったのだ。
当たり前のことだが、自分に子供が産まれたら、「うちの子が!うちの子が!」になる。
そういうふうに人間の脳も出来ている。
そうじゃなきゃ子育てができないのだから。
それに私は被虐待だからハッキリ言える。
世の中の子供がいる人には「うちの子が一番かわいい!!」でいてほしい。

子供がいない女性には、「うちの子!」という贔屓の目がない。
何よりもまず目の前の子供をただ「子供」として認識して、「我が子と比べてどうか」とか「我が子にとって脅威か」とか考えない。

その「平等な目」が社会には必要だった。

昔は今よりずっと出産時の女性の死亡率は高く、孤児も多かった。

わざわざ修道女は純潔でなくてはならないなどルールを設けたのも、平等な目を失ってしまわないようにだ。


決して引け目に感じる必要はない。

昔から、こうした「出産をしない女性の頭数をキープするシステム」が作られていたくらいなのだから。

「平等な目を持つ女」として堂々と生きたらいい。

……まぁこれは5年前に読んだ「子なし女性の生き方・考え方を論じた本」の受け売りなんだけど…。


◎青い空の下

たぶん、古代も中世も今と同じように空は青かっただろう。

転がる空き缶の音。
工場に出入りするトラックの扉を閉める音。

きっとこれらが無かった時代は聴覚過敏を持っていても、まだマシだったろうな…なんて思いながら。
(案外、鏃(やじり)職人に苦情入れていたりして…)

風速13mの地上を散歩する。

桜のつぼみはまだ固いけれど、この寒の戻りがやわらいだら咲くのだろうね。

相変わらず、あちこちへ話題や意識が転がり放題。

シャーマンか…

空を見上げる




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