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誰の身体だったのか?

いつからだろうか。

自分の胸元に罪悪感にも似た「肩身の狭さ」を感じ始めたのは…。



幼少から成人するまで、私は女性であることを母親に否定され、異性と接触も許されず、ペットと灰かぶりのミックスみたいな生活をしていたのに。



いまは小胸さんを「シンデレラバスト」と呼ぶこともあるらしい(もちろん❝本家灰かぶり❞とは関係ない)。

たぶん、私が「私はシンデレラバストです」と言ったら苦情が来る。


とりたてて小さくも大きくもない。
平均よりはやや小さめだろう。




別に男性と交際しなくてはと焦ったりする気持ちが全く無かったわけじゃない。
とは言え、そんな気持ちは2%くらいしか無かった。

それなのに、胸元を大きく見せることに10代の頃はこだわった。

20代の頃は薬の副作用で体重が倍増したので、大きく見せる…というより下着のサイズを探すのが大変だった。

30代になって体重が平均値まで落ち着いて、きちんと採寸してもらって下着を買うようになった。
仕事をしていた頃に、ちゃんとしたメーカーのものを同僚にすすめられて、着用するようになったのだ。

すると私の胸の形の特徴として、円周があり高さがないということがわかった(女性でも知らない方がみえるが70Bと65Cは容量が同じである。逆に70Dの人が75Cを試着してみてぴったりなことがあるのはこのせいだ)。

すると、私の場合、実際のカップの容量より一段大きなサイズを買い、隙間をパッドで埋めるのが一番「自然に見栄える」のだ。
アンダーを上げるとゆるゆるだから…


私はそれ以降、同じメーカーの同じシリーズをリピートする形をとってきた。
胸元の容量が変わったとしても、円周(バージスライン)はあまり変わらないからだ。

ここ数年はあまり買っていなかったが(緊張性疼痛や手の手術などで下着を使用できない時期もあった)、もともとこのメーカーのものは手洗いして丁寧に扱っていたから、物持ちは…良い。
良すぎた。


だが、下着をつけたシルエットと実際の素のシルエットの差に最近「虚しさ」を感じるようになっていた。


いつも通り、
首まで覆った化繊のニットに、
革ジャン羽織って。

鏡に映る自分は。
………。



「自然と見栄える」下着を着けてきた自分に違和感が出てきた。


最近、「胸元を小さく見せたい女性のための下着」も開発されているようだ。




(ずっと下着の新調はできていなかった。
まぁ必要なかったしね…ボロくならないから)

私は初めてパッドのない下着を使ってみることにした。



何と言うことはなかった。


痩せ型の身体つきに釣り合ったスマートな胸元。

むしろシャープで格好いいと思った。



今まで私は私の身体を「誰の身体」だと思っていたのだろう?


何にしがみついていたのか?

男と生きていこうとか思えないくせに(笑)。

男の気持ちだって知らないくせに(笑)。



いま、わかる。


「アタシはアンタのせいで不幸になったのよーっっ!!」

そんな風に喚くハハは自分の胸元が小ぶりなことを極端に気にしていた。

私は自分の胸元が小ぶりだったら「不幸になる」気がしていたのかもしれない。




最近、やっとスージングタッチ&サポーティブタッチ(自分を労り慈しむ目的で自分の皮膚に触れる行為、と私は解釈している)をしてもいいかとチャレンジしている。
背中が痛くならない程度に仰向け(つまり後ろはクッションもりもり)になって鎖骨に両手を置いてみている。

今までも、無意識に恐怖を感じたときに丸まったり、自分の背中をさすったりしてきた。
痩せこけているから自分を抱きしめた時に後ろに手が回る。
だから楽器のギロみたいに肋骨をごりごりさすっていた。

たぶんそれもたまにはまだやるんだろうけど…。



いま、不思議と自分の身体を「細マッチョやのう」「引き締まっとるやん」と思える。

こんな貧相な身体つきで申し訳ないとか、罪悪感とか…そんなこと思って生きてきたんだなぁ。




……パッドなし下着を着けてみて今までいかに自分を「否定」してきたか気づいたひと。


赤裸々すぎるけれどね、大切なこと。

自分のことを愛せないって、心だけじゃなくて身体も粗末にすることだから。




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