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性的マイノリティと教育

性的マイノリティの子どもが直面する問題について考察してみたい。
われわれの社会は男女の二極化的な区分と異性愛を明らかにする基準によって成り立っているため、性的マイノリティの人々は、日常生活においてさまざまな差別や困難に直面している。とりわけ、生活時間の多くを学校で過ごし、心身の発達の途上にある子ども時代には、そうした問題はより深刻なものとなる。

学校は、子どもが社会に巣立つための専門機関であり、教師という監督者のもとで子ども同士が集団生活をする場所である。したがって学校は、ある側面では、一般的社会以上に性に関する社会的基準が厳格に適用され、まわりの監視の目にさらされやすい場所でもある。例えば、戸籍上の性別のみに基づいて、男女で明確に区別された制服、運動部のような男女別の活動、「同性」同士での着替えなどを強制されたことについて、子ども時代の苦痛を語る性的マイノリティは多い。性的マイノリティを無視したブラック校則もメディアに取り上げられるくらい確かに存在している。

また、性的マイノリティの子どもは、自己イメージの形成や自己受容における困難も抱えている。子どもが性的マイノリティに関する適切な知識を得られる機会は極端に限られているため、自分がマジョリティとは何かが異なることに気づいても、それをどう意味づければよいのか、自分を何者として理解すればよいのかといった困難に直面する。また、多数者との違いによって差別的な扱いを受けたり排除されたりしやすい。そうした事態を避けるため、異性愛者の女性または男性であるかのように振る舞う子どもたちもいるが、それでも、他人に「本来の自己」を開示できない、自己を肯定的に受容できないといった悩みを抱えることになる。さらに、理想的なモデルとなるような性的マイノリティの大人の肯定的な生き方を目にする機会がほとんどないことにより、将来への展望を形成しにくい。

こうした現状では、生きることに望みを持てない性的マイノリティな子どもたちも少なくない。

 近年、法務省の人権擁護機関では、「性的指向を理由とする差別をなくそう」「性同一性障害を理由とする差別をなくそう」を年間協調事項に含めた啓発活動が行われている。また、性同一性障害と診断された子ども側からの訴えにより、小中学校で性別変更を認める事例も各学校で見られる。しかし、人々の間での性的マイノリティに関する知識はまだ充分とは言いがたい。日本の教育学研究には、性的な二極化と異性愛をあたりまえなこととして成り立っている学校文化や教育カリキュラムのあり方を、こうした性的マイノリティの視点から問い直すことも求められているといえるだろう。

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