ほがらか🐱

2023年9月22日からnote始めました。特別支援学校常勤講師/2023年教員採用試…

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2023年9月22日からnote始めました。特別支援学校常勤講師/2023年教員採用試験合格/職業柄ここでは教育関係の時事ネタを載せていきたいのと、趣味の占い関連記事を書いていこうと思っています。みなさまよろしくお願いいたします^ ^

最近の記事

東日本大震災が開示した『不都合な真実』

東日本大震災。 2011年3月11日に日本を襲ったこの自然の猛威は、高度な科学技術・文明を誇る現代人に、人間の無力さを見せつけてあまりある出来事であった。 だけど同時にこの震災は、わたしたちが新しいタイプの危険ー自らの行為・選択の帰結としてもたらされる危険ーにさらされる「リスク社会」を生きていることをあらためて突きつけるものであった。 大量の放射線物質の流出をともなう福島第一原子力発電所事故は、安定したエネルギー供給源として最近ふたたび脚光を浴びはじめた原発への希望

    • 学歴社会を生み出す要因

      「学歴社会」という言葉は、専門用語としてだけではなく、一般的にも非常によく使われる言葉である。 しかし、つきつめて考えてみると、それがどのような社会を指す言葉であるのかを明確に示すのは意外にむずかしい。 辞典には「個人が到達しうる社会的地位が、学歴によって規定される程度の高い社会」などと定義されているが、その場合の「高い」とは、なにとくらべて高い場合を指すのだろうか。 まず第一に考えられるのは、過去とくらべた場合である。 近代化とともに身分制度が撤廃され、教育

      • 学校のある世界と学校のない世界

        現代社会にはあたりまえのように学校があり、人々は学校に通い、そこで学歴を獲得して職業に就いていく。 こうした現代社会のしくみ=構造の特徴を考えたり、今と異なる社会のしくみを考えるには、学校教育と「教える・学ぶ」という営みとを分けて考えることが重要である。 わたしたちは、学ぶとは学校に通うことであり、教えるとは教師が担うものだと考える。しかし、日本で学齢期の子どもの大半が学校に通うようになったのは、1900年以降のことである。 近代化以前の農林漁業中心の社会では、多く

        • いじめ問題〜学校におけるいじめ〜

          いじめは現代の教育問題のなかで、もっとも多くの人が直接経験したことのある問題であろう。小・中・高校で1度も身近でいじめが起こったことがない人は少ないと思われる。 いじめを定義するならば、「同じ集団内における相互作用過程においてなんらかの意味で優位に立つ者が、劣位にある者に対して継続的に精神的、身体的攻撃を加えたり、排除したりすること」となるだろう。 いじめとは同じ集団(クラスや友だちグルーブ、部活動、会社の部課など)に属するメンバー同士のあいだで起こるものであり、そこ

        東日本大震災が開示した『不都合な真実』

          家庭でもできる音楽あそび 〜音楽は使い方しだい!〜

          ★音楽療法とは? 皆さんは音楽療法について知っていますか? まだ世の中には根づいていないようですが、音楽活動を通じて子どもの成長をうながすなど、音楽以外のことを目標としたユニークな療法です。 今回は、家の中にいる時間が長いこの時期に適した楽しい活動をご紹介します。 まず、他の療法とは異なる音楽療法の特徴について簡単にご説明しましょう。音楽には、 ①その楽しさが療法の目標達成を促すこと、 ②演奏を通して集中力の維持向上を促すこと、 ③楽器演奏により運動能

          家庭でもできる音楽あそび 〜音楽は使い方しだい!〜

          不登校・長期欠席・不就学

          学齢期の子どものなかには、かなりの数の、学校に行かない状態にある子どもがいる。そのうち大半の子どもは就学義務があり学籍のある子どもだが、そのような子どもの場合、現在は年間30日以上欠席すると長期欠席という扱いになる。学校の基本調査では、長期欠席の理由は「病気」「経済的な理由」「その他」「不登校」の4つに分かれている。 2000年後半に中学校で「不登校」が約10万人にのぼったとされているが、その値はこの4番目の理由の人数を指す。 文科省は不登校を「なんらかの心理

          不登校・長期欠席・不就学

          教師の多忙化・バーンアウト

          文科省の調査によると、2010年からの教師の病気休職者数は8500人以上、このうち精神疾患による休職者数は5000人以上である。 この13年間に両者とも増加している。病気休職者数の在職者数は1パーセント未満であるが、特徴的なのは、病気休職者に占める精神疾患の割合の高さであり、90年代の43%から2000年代62%と増加している。 また、朝日新聞社が全都道府県・政令指定都市の教育委員会に対しておこなった調査によると、公立の小中高校と特別支援学校で中途退職する教員は、全

          教師の多忙化・バーンアウト

          教師の役割~生徒へのまなざし~

          教師の役割は、社会状況、きに対する人々のまなざし、教師の文化、教師生徒関係などの社会文化的な理由によって変化してきた。 高度経済成長期の教師は、生活水準の向上を願う国民の学校に対する要求と、社会人の養成という社会的な要請が互いにかみ合って、経済的な目標を助ける手段としての役割を人々から期待された。だけど、高度成長が安定した70年代後半から、社会からの要請と国民の学校への要求とのあいだの関係性が終わり、学校はさまざまな個人的利益をめぐる思惑が交差する場所となってきた。

          教師の役割~生徒へのまなざし~

          みんなに役立つ記事を書きたいなあ

          みんなに役立つ記事を書きたいなあ

          インターネットと子ども

          現代社会における子どもの生活環境として、スマホやインターネット、テレビなどの電子メディアは無視できない。メディアとは一般的には伝達のための手段・ツールといった意味であるが、より究極的には、人間が生きる上での基本的な空間をつくりだす「媒質」である。媒質とは、力や波動などの物理変化を伝える役割をするものを指す言葉であり、音は空気という媒質が存在してはじめて伝わっていく。このような意味で考えれば、現代社会では電子メディアが媒質となって独自の時間的な空間が構成されており、それが人々

          インターネットと子ども

          学校における男子をめぐる問題

          教育現場において「男子問題」に関心が向けられるようになったのは、ごく最近のことだ。少なくとも1990年代半ばまでは、「ジェンダー問題」といえばほぼ「女子問題」であると見なされてきた。そのもっとも大きな理由は、男子よりも女子の方が教育上不利を被っているという見方が大きかったことである。日本における進学率の男女差は、高校レペルでは1970年代に、大学・短大では1980年代に解消したが、男子では高校進学者のほとんどが大学に進学するのに対して女子では半分以上が短大に進学するという傾向

          学校における男子をめぐる問題

          ジェンダー差別のない学校現場であれ

           戦後の日本では、中等教育以降の段階において選択できる学校種が男女で異なっていて、それぞれに異なるカリキュラムが課せられていた。例えば、男子向けの中学校では、国のエリートの養成を意識して、修了年限の5年間で、漢文や法律•経済が教えられ、外国語や理数系の科目に多くの時間が配分されていた。一方、中間層以上の女子が学ぶ高等女学校では、「良妻賢母主義」の教育理念のもとで、家事、裁縫、音楽なども教えられていた。  戦後になると、憲法の「両性の平等」や教育基本法の」男女共学」原則のもとで

          ジェンダー差別のない学校現場であれ

          障がい者と学びたい

           インクルーシブ教育とは、社会の大多数によって排除され、あらゆる局面で制約を受けてきた集団を再び社会の中心部に含み込み、教育することである。  「サラマンカ宣言」では、すべての子どもが独自の学習ニーズを持っていて、「特別なニーズを欲しがっている人々は、そのニーズに見合った教育を行えるような子ども中心の普通学校にアクセスしなければならない」とし、その成功がすべての子どもたちに質の高い教育を提供することになると提言されている。  ここで、インクルーシブ教育を実践する上でキーとなる

          障がい者と学びたい

          性的マイノリティと教育

          性的マイノリティの子どもが直面する問題について考察してみたい。 われわれの社会は男女の二極化的な区分と異性愛を明らかにする基準によって成り立っているため、性的マイノリティの人々は、日常生活においてさまざまな差別や困難に直面している。とりわけ、生活時間の多くを学校で過ごし、心身の発達の途上にある子ども時代には、そうした問題はより深刻なものとなる。 学校は、子どもが社会に巣立つための専門機関であり、教師という監督者のもとで子ども同士が集団生活をする場所である。したがって学校は、

          性的マイノリティと教育

          ニューカマーと教育

          日本に帰化した子どもや日本国籍をもつ国際結婚の子どもなど「外国にルーツをもつ」子どもをニューカマーと呼ぶ。 日本の学校にニューカマーの子どもたちが入ってくるようになると、異文化への対応が模索されることになる。 忘れてはならないのは、ニューカマーの子どもたちにとって日本の学校こそが異文化だという事実である。ニューカマーの子どもたちが日本の学校で経験する困難には次のようなものが考えられる。 第一に言語の問題である。まずはニューカマーの子どもたちが外国語として遭遇する日本語の問題が

          ニューカマーと教育