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障がい者と学びたい

 インクルーシブ教育とは、社会の大多数によって排除され、あらゆる局面で制約を受けてきた集団を再び社会の中心部に含み込み、教育することである。
 「サラマンカ宣言」では、すべての子どもが独自の学習ニーズを持っていて、「特別なニーズを欲しがっている人々は、そのニーズに見合った教育を行えるような子ども中心の普通学校にアクセスしなければならない」とし、その成功がすべての子どもたちに質の高い教育を提供することになると提言されている。
 ここで、インクルーシブ教育を実践する上でキーとなるWHOの ICF(国際生活機能分類)に触れてみたい。ICFでは、これまで個人が克服すべき課題とされてきた障害を社会との相互作用の問題とみなす。ひとことで言うなら「障害をともなう人が生きやすくなるのも生きづらくなるのも環境次第」ということになる。このときの環境は、バリアフリーのような物的な環境だけでなく、人的な環境、すなわち周りの人々のものの見方なども含む。
 インクルージョンが世界の優勢となり、日本でも障がいのある子どもの教育は、」特殊教育」から「特別支援教育」となった。具体的にはLD(学習障害)やA D H Dなどの発達障害も支援の対象とすること、そして、障がいの種類や程度ではなく「特別なニーズ」によって教育しようという動きが起こった。しかし、日本の特別支援教育には世界の潮流に比べると少し問題がある。

 サラマンカ宣言では、具体的なインクルージョンの対象が、障がい児だけでなくギフテッド、ストリートチルドレンなど多岐にわたっている。例えば、フィンランドでは家庭環境の厳しい子どもや移民の子ども、ドラッグや窃盗など反社会的行動にかかわる子どもや不登校の子どもなども「特別な配慮が必要な子ども」としてインクルージョンの対象としている。
 もちろん、日本においても不登校対策や外国籍児童に対する教育支援は一定水準行われている。しかし、個別指導や別教室指導などその支援の選択肢は増えているものの、それらの教育のゴールとしてのインクルージョンがどの程度志向されているかは定かではない。

 特別支援教育の推進にあたっては文科省は「特別支援教育は、障がいのある幼児児童生徒への教育にとどまらず••••様々な人々が生き生きと活躍できる共生社会の基盤となるもの」と、インクルージョンを示している。しかし、特別支援学校に通う児童生徒の数はここ10年以上、増加の一途をたどっている。とりわけ自閉症•知的障害児童生徒を受け入れる学校の児童数が激増しており、そこには自閉症や知的障害と認定されて特別支援学校を選択する子どもたちが増えていることが推測される。

 このような状況は、一般教育が一部の学力不振の子どもたちを「障がい」と認定し、通常の学校から排除することになっているといえなくもない。これが示唆しているのは、日本の教育形態が依然として一部の子どもたちを排除しているだけでなく、特別支援の名のもとに新たに対象を増やしている可能性があることである。
 さらに、インクルーシブ教育において危ぶまれる課題として「いじめ」があげられることがあるが、いじめ問題は障がい児と健常児の共生の場所に限ったことではない。障がいのある子どもは、学校生活を送るために必要な力の遅れが他の子どもより顕著かもしれないが、そのことでいじめが起きたとすれば、それは障がいではなくそうした雰囲気がつくられる教育システムに問題があるだろう。
 
 インクルーシブ教育とは、実は通常の教育のあり方、すなわちマジョリティの教育の質が問われる重要な課題である。これまで日本の教育が障がい児をいかに排除してきたかを述べてきたが、一方で、通常の高校に特別支援の教室を設ける学校や高校の通常学級に知的障がいのある生徒を入学させる取り組みに挑戦している学校も増えてきている。日本が社会的弱者を排除することでしか成立できない社会でないことを願いたい。

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