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ジェンダー差別のない学校現場であれ

 戦後の日本では、中等教育以降の段階において選択できる学校種が男女で異なっていて、それぞれに異なるカリキュラムが課せられていた。例えば、男子向けの中学校では、国のエリートの養成を意識して、修了年限の5年間で、漢文や法律•経済が教えられ、外国語や理数系の科目に多くの時間が配分されていた。一方、中間層以上の女子が学ぶ高等女学校では、「良妻賢母主義」の教育理念のもとで、家事、裁縫、音楽なども教えられていた。
 戦後になると、憲法の「両性の平等」や教育基本法の」男女共学」原則のもとで、基本的には、男女は同じカリキュラムのもとで学ぶことになった。しかし、学習指導要領では、1958年から30年以上にわたって、高等学校家庭科に関しては女子のみ必修とされ、保健体育や中学校での技術•家庭科に関しても男女で異なる処遇が明記されていた。つまり、男女に異なる知識•技能を与え、男女を異なる方向へと教育することが、国として正当化されていたわけである。
 しかし、1985年に日本が批准した女子差別撤廃条約ではカリキュラムにおける男女別の規定が差別として禁じられていたことから、その後の改訂によって学習指導要領における男女別の規定は無くなった。

 子どもたちは、日常的な学習環境や、教師および他の児童生徒との相互関係からも影響を受けている。こうした、学校において明示されることなく暗黙のうちに伝達される知識やルールのことを隠れたカリキュラムと呼ぶ。学校の内部にスポットを当てた教育学の研究は、この隠れたカリキュラムを通じて、児童生徒に対して、男性優位や性別のタテ割りに対応したジェンダーの価値が伝達されることを明らかにしてきた。
 例えば小中学校の教科書の分析からは、固定的な性差観を助長する挿絵や記述が各所に見られること、国語では作者や登場人物の比率において圧倒的に男性の割合が高く、社会科では女性についての歴史記述が極端に少ないことなどが判明した。学校の学習環境については、担当学年や職階が上がるほど男性教師の割合が高まるという教員の職階構造や、各国男子が先」の男女別名簿などが、男性優位の価値を伝達している可能性が指摘された。また、教師には、意図せずして、女子よりも男子に多く働きかけたり、ステレオタイプ的な男女像を提示したり、男女を異なる基準で評価したりする傾向があることも確認された。さらに、学校外で習得した知識を使って子ども同士が主体的にステレオタイプ的な性別規範や男性優位のルールをつくり上げている側面も明らかにされた。

各地の学校においては、男女混合名簿や、男女を平等に処遇するための実践の導入を促してきた。その結果、互いにいがみ合いがちだった男子と女子が仲良く自然に交流できるようになったり、教師たちの間で、これまで児童生徒を個人ではなく男子/女子という属性でひとくくりにして見がちであったあったことへの気づきが得られるなどの効果も見られた。

 同時に、こうした過程で、ジェンダーによる先入観を取り除くことが男女平等教育であり、男女混合にすることが男女平等教育の実践であると短絡的に解釈される場合もあった。しかし、児童生徒が学校外から固定的な性差観を持ち込む場合のように、教師だけの努力でジェンダー先入観を完全に取り除くことには限界がある。また、理科の実験などを男女混合で行うと、男子が中心、女子が脇役という役割分担が発生して、女子が十分な学習機会を得られない傾向も報告されている。こうした場合には、あえて男女別のグループで作業させた方が、男女がより対等な学習機会を得られることができる。
 
 こうして、最近では、男女平等を目指す教育を、単なる「男女を分けない教育」ではなく「ジェンダーに敏感な教育」としてとらえる考え方が広まりつつある。それは、教育現場で共存しているジェンダーが、児童生徒の学びや人間形成にいかなる影響を与えうるのか、どうすることが児童生徒にとって最善なのかという観点から、教師として介入するかどうか、「分ける」か「混ぜる」かを、その場その場の状況に応じて模索するという実践である。ジェンダーとカリキュラムに関する教育の研究は、単に現実を告発して批判するものではなく、そうした実践の基盤となる知識も提供するものである。

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