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特集#2 保育視点から捉えなおす、「デザイン思考」の本質。〜前篇〜

みなさんは「デザイン思考」という言葉をご存じでしょうか?

「デザイン思考」とは、ビジネスの世界を中心に注目を集めている新しい手法。
サービス開発や人材育成など、さまざまな場面で生まれる課題に対して、建築物やアプリケーションをデザインするように「人間の体験」を軸に解決策を導いていく考え方です。

この「デザイン思考」を、保育の「環境」や「人間関係」のなかで実践しているキーパーソンがいます。
それが社会福祉法人 久良岐母子福祉会 くらき永田保育園の鈴木八朗園長です。

「最初から『デザイン思考』を意識していたわけではなくて、いろいろ試していくうちにそれが『デザイン思考』と呼ばれるものだと知った」と語る八朗園長。
ゼロから保育園づくりに挑んだ試行錯誤の日々には、人と人との関わり方、生き方を紐解く本質的な「デザイン思考」がありました。


【Memo】「デザイン思考」とは?
デザイナーがデザインを設計する際に用いている手法を、ビジネス上の課題解決に応用するために生まれた考え方です。
重要なのは、徹底的にユーザー視点に立って物事を観察すること。そこで得た発見や気づきをもとに、商品やサービスの本質的な課題を見つけだし、抜本的な課題解決を探っていくことが、この思考法の特徴です。人間中心のアプローチとして2020年頃から注目を集めています。


鈴木八朗
社会福祉法人 久良岐母子福祉会 くらき永田保育園
東洋大学社会福祉学科卒業後、日本社会事業大学研究科を経て母子生活支援施設くらきの指導員を経験。同施設の施設長在任時に、くらき永田保育園の新設にかかわり現職へ。現在は、保育の仕事を広めるために講演会や交流会、Youtubeチャンネルの開設など、幅広く活動している。著書に『子どもの育ちを支える「気づく力」: 保育者の自己成長を促す90のポイント』(中央法規出版)『0・1・2歳児の 学びと育ちを支える保育室のつくり方 ―5つのゾーンで構成する保育環境』(チャイルド社)など多数。


キャリアの原点は「社会福祉」。
格差をなくすために奔放していた日々。

ーー園長になる前は社会福祉士だったとお聞きしました。そのご経験から話を聞いてもよろしいでしょうか。

八朗園長:はい。20代半ばの頃に社会福祉士の国家資格を取ってから2002年にくらき永田保育園を立ち上げるまで、約10年間を福祉業界で過ごしました。
職場は母子生活支援施設。DVや虐待を受けているお母さんや子どもの安全な生活を確保するための場所です。​​
そこでは、利用者のメンタルをケアしたり、経済や教育の格差がなくなるように行政に掛け合ったりするのが主な仕事でした。

たとえばですが当時は、利用者の家庭が経済的な理由で固定電話を引けなかったりすると、それだけで子どもの学校の連絡網の一番下にされちゃうなんてケースがよくあったんですよ。
細かいことのように見えますが、こういうことの積み重ねが本人たちにとってはとても屈辱的なことなんです。
僕はこんなことで引け目を感じるのはおかしいと思っていたので、すべての人が固定電話を持てるように行政に掛け合ったりしていました。「この人たちのために、自分が闘わないといけない」という使命感を持っていましたね。

――「仕事」ということ以上に想いを強く感じます。

八朗園長:世の中の不条理さや社会の理不尽な対応への怒りや憤りが、僕の原動力になることは多かったんです。そうやって毎日全力で仕事に取り組んで、30歳を過ぎた頃に施設長になりました。

ところがある日、行政関係の仲の良かった友人に「はっちゃんのやってることは素晴らしいけど、そこには税金が何重にも使われているんだよ。それだけお金をかけていても、救われているのはひとり親家庭のわずか0.5%だけ。一部の恵まれた人たちだけが、はっちゃんのサポートを受けられているんだよ」ってことを言われてしまって。
事実としてはなにも間違ってはいないけれど、いままでそんなこと考えたことなくて……強いショックを受けました。
この瞬間に見えてた世界が変わってしまって、これまで来ていた利用者の方々にも「他に苦しんでいる人もいるんだから、もうちょっと頑張ろうよ」って思うようになってしまったんです。いままでのように接することができなくなってしまった。

――立ちはだかった問題が大きすぎた……ということでしょうか。

八朗園長:そうかもしれません。あのときは若かったから、現実を知った後にどうすればいいのかわからなかったのも正直なところです。今ならもっと違うやり方で続けられるとは思うんですけどね。

保育園のかたちをした福祉施設。
集団ではなく個と向き合う場所を目指して。

――そこから、何がきっかけで「くらき永田保育園」をつくることになったのでしょうか。

八朗園長:「この状態では 今までのように利用者さんのために闘えないな」と思って、所属していた社会福祉法人の理事長に相談してみたんです。
そしたら「今までの経験を活かして、21世紀に通用する保育園をつくってみたら」と言われて。当時は横浜市でも待機児童の多さが問題になっていたので、僕の考え方や経験を活かしてほしいとのことでした。
でも、保育のことは何も知らないし、最初は乗り気じゃなかったんですよ(笑)
ただ「21世紀に通用する保育ってなんだろう?」っていうのはちょっと気になって、まずは現場を見てみようと思いました。

それで、役所に頼んでいくつかの公立の保育園を丸一日見学させてもらいました。最初に伺ったところは、たまたま雨の日で。
午前中は室内で過ごすことになったのですが、「走るのやめなさい」とか「それダメでしょ」とか、先生たちが注意ばかりしていることに気付きました。
それはお昼ご飯の時間でも同じで、「何分までに食べないと電気消すからね」と一方的に伝えて、まだ食べてる子がいても電気をパパっと消して、お昼寝用の布団を敷きはじめちゃったんです。そして今度は、寝てる子の頭の上を跨いで食器を片づけて……そんな光景を目の当たりにして。

いままで僕が接してきたDVやネグレクトなど親からの虐待で心に傷を負っているような子たちが、同じような扱いを受けてしまったら堪えられない環境だろうな……と思ったんですよね。
この時に「この逆の保育園をつくろう」と決心しました。

――”逆の保育園”というと?

八朗園長:いくつかの保育の現場を見たとき、ここでは「集団を上手にまとめること」に価値を置いているんだなと感じたんです。
母子生活支援の仕事では、利用者一人ひとりの事情に寄り添うような「個別性」を大切にしていたので、その場にいる子どもたちを集団として括ることに違和感がありました。

集団としてコントロールしようとすると、子どもたちの行動はどうしても保育園が用意したルールに縛られてしまう。それって自分の意志で自分のことを決定できない状態なんです。前職での経験から、そういう自己決定が出来ないことの辛さや惨めさを感じていたし、そんなものはなくしたいと考えていました。

だから、くらき永田保育園では「選択を間違ったとしても、自分で選んで決定すること」を大切にしているんです。
細かいことなんだけど、たとえば、抱っこでご飯を食べるような0歳児の自己決定ってなんだろうとか、オムツ替えするときの子どもたちの自己決定ってなんだろうとか……そういうことをずっと考えるように心掛けている。
僕としては保育園ではなくて、「保育園のかたちをした福祉施設」をやっている感覚に近いんですよ。

子どもたちの行動を「感情」と「現象」で捉えると、
大切なことが見えてくる。

ーー「集団」としてではなく「個」として子どもたちと向き合うためには、どんな視点が必要なのでしょうか?

八朗園長:たとえば、まだ自分の意志を明確に示すことができない子どもがいたとして、それでもそれぞれの自己決定を尊重するためには、大人側の「見方」に少し工夫が必要です。
具体的には、子どもたちの行動を「感情」と「現象」の二つの側面に分けて見てあげると、子どもの行動の見え方が変わってきます。

たとえば、机の上に登っちゃう子や、おもちゃを奪っちゃう子がいるじゃないですか。集団をまとめる視点で見ると、その子たちは問題行動を起こす悪い子だって認識されてしまう。

でも、そうじゃなくて、「なんで登りたいんだろう?」「そこまでしておもちゃを使いたい気持ちってなんだろう?」と保育者が想像を膨らまして、子どもたちの感情を汲み取ろうとしないと、本当の意味での解決には至らないんですよね。

「感情」だけ見ても説明がつかないときは、「現象」として捉えてみる。
室内を走り回っちゃう子がいたとしても、よく観察してみると特定の時間帯だけ走り回っていることに気がつくんです。
台風が気圧の変化で発生するのと一緒で、意味不明に見える行動も一つの「現象」として捉えてみると、その子を理解する助けになるかもしれない。

誰もが「人との関わり」を持てるように、
デザインの力を取り入れはじめた。

ーーお話しをお聞きしていくと、改めて徹底的に子どもたちの「個」を大切にしている印象を受けました。人間の心や体が動く理由の部分までをも想像して理解しようとすること、それ自体が「デザイン思考」的な発想だなと思うのですが、そのような考えにいたるきっかけはあったのでしょうか。

八朗園長:明確なきっかけを思い出すのは難しいですね(笑)。でも、前職で人間関係を築くこと自体が困難な人とたくさん出会っていたのは大きいと思います。

DVや虐待で心に傷を負っている人たちは、僕ら支援者が関わろうとしても、なかなか受け入れてくれない。何かを問いかけても、こちらが思うようには返ってこないんです。

そういう時に表に現れることだけを評価しようとすると、感情や主張が無いように見えてしまうんだけど、そうではない。「感情を出す術」を持っていないだけなんです。だから、誰かが代弁しないと、その人たちの気持ちや主張は無いものとされてしまう

でも必ずしも代弁してくれる「誰か」がいてくれるとは限らないので、「人と関わるのが困難な人でも、誰かが気持ちを受け取ってくれて、そこに人との関わりが生まれる仕組みをつくれたらいいな」とは、常々思ってはいたんです。
それが転じて「人間関係のデザイン」ってできないだろうか……と考え始めたんだと思います。

ーー「人間関係のデザイン」ですか?

八朗園長:はい。デザインというと何かしら「モノ」をデザインすることだと思っていたんですが、「コト」もデザインできるということがわかってきて。
それなら、保育者と子どもの関係、子ども同士の関係も「デザイン」できるかもしれない。そうしたら、それぞれの保育者や子どもの性格とかキャラクターに関係なく「人との関わり」がつくれるんじゃないかなと。

ーーその想いが源泉となって、保育にデザインを取り入れていった?

八朗園長:そうですね。実は保育の業界に来た時、いろんな保育園や幼稚園の理念に出てくる「元気で明るい子」という言葉が引っかかっていて。
何でこんなに引っかかるんだろう……と、最初は自分でもわかっていなかったのですが、ある時、みんなが求めている「子ども像」というのは、「子どもたちが感情を表に出せること」を前提にしているなと気付いたんです。

でも実際には子どもの内面で何が起こっているかなんていうのは、そんなに簡単にわかるものではない。そこは前職で出会った人たちと同じでした。
前職にも共通する「人との関わりをどうつくるか」という課題をクリアしようとして、情報デザインや環境デザインについて勉強しているうちに、保育園の「環境構成」にデザインを応用できると感じて実践しはじめたんです。

たとえば、「子どもがちゃぶ台に登ったら叱ることは当たり前のことだろうか?」「それは本当に正しい指導といえるのか?」みたいなことを一時期すごく考えていました。
なぜなら、幼い子どもたちにとってちゃぶ台は、大人が当たり前に認識しているような「食事をするため」のものではないかもしれないから。これはアフォーダンス理論(注1)を学んで気付いたことです。

そう捉えてなおしてみると、単に「登っちゃだめ」と叱ってしまうだけでは、子どもの視点と大人の主観にズレが生じたままになってしまいます。それをそのまま見過ごしていいのかどうか、考え続ける必要があるなと。


※注1:認知心理学において、物や環境自体が特定の行動を引き出す性質を持っていることを表わす概念。「人間の行動をわかりやすく引き出すようなデザイン」を指す言葉として使われることもある。


>後篇につづく

撮影:飯坂大
インタビュー・ライティング:小島慎平(Rockaku)、森田哲生(Rockaku)
企画・編集:市川敦史(株式会社Reproduction

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