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暗黒太陽伝 ブラック・ドット・ダイアリー(12)(13)(14)

第12話 奇書『BDD』の謎


 ツキモト先輩から借りた、黒い小冊子。
 BDDブラック・ドット・ダイアリー────。
 読む前と読んだあとで、世界が違って見えるとか、そういうことにはならなかった。
 ここに書かれているようなオカルト的な現象が実際にあるのかないのか、今さら問うても仕方がない。
 人類が何千年も考えて答えが出ていない問題に挑むほど、ぼくも暇じゃない。
 ただ、無視していいものではないことも理解している。
 古代の神話も民話も、現代の映画も小説も、昨日アップロードロードされたYouTubeにも、オカルトネタはあふれている。
 太古の昔から、人々のオカルトに対する興味は決して尽きることがない。
 幽霊は存在しなくても、幽霊を見た人は存在する。
 占いやお守りやおまじないが虚構の産物だとしても、それを信じて生活する人も大勢いる。
 オカルトが人間の心に影響を与え、現実世界を動かす力を持っていることは否定できない。
 
 ぼくは親戚の家を訪ねて、従姉弟のアキちゃんの連絡先を聞いた。
 この小冊子に書かれていることが、何らかの事実に基づいた手記なのか、まったくの創作物なのか、確かめてみたかった。
「ケイジ君、あれ読んだんだ……」
 珍しくぼくが連絡してきたと思ったら、いきなりそんな話になって、アキちゃんは電話の向こうで絶句していた。
「菅原さんとか沖村さんは、アキちゃんの当時の同級生でみんな実在の人物だよね。マクスウェルという人も実在したの?」
 ぼくは親戚宅を訪問した際、叔母の目を盗んで、アキちゃんが使っていた部屋に入り込んで、10年前の卒アルを確認していた。BDDの登場人物は「レイライン協会」の関係者以外、全員そろっていた。
「さあ、どうだったかな。もう昔のことだからね……」
 関西の大学院で学んでいる、従姉弟のアキちゃんこと西堀亜紀にしぼりあきは、ぼくに言った。あまり答えたくないような雰囲気だ。
「ここに書かれているようなことが本当に起きたなんて、ぼくにはちょっと信じられないんだけど」
「そう思うのが普通だよね」
「ぼくの想像では10年前、2ーCの教室で実験的な授業中に集団ヒステリーみたいなことが起きて、収拾がつかなくなるようなことがあったんだと思う。責任問題なので先生たちの間でその話はタブーになっているんだろう。BDDは、その事件をもとにして書かれた一種のエンタメ小説だと思うんだけど。で、実際はどうだったの? アキちゃんはそのとき、現場にいたんだよね?」
「……」
2ーCが今でも閉鎖されたままなのも気になるんだ。これは偶然なのかな? それとも、加賀見台中事件と何か関係があるのかな?」
「ごめんなさい。あたしの口からは何も言えない。悪いけど、自分で調べてみて」
 アキちゃんに情報提供をきっぱり断られ、ぼくもこれ以上は突っ込みようがなかった。
 ただ電話の終わりの会話は妙に意味深だった。
「……そうか。じゃあ、次はケイジ君なんだね」とアキちゃん。
「え、ぼくが、何だって?」
「……まだ知らないんだ」
「ちょっと待って、ぼくが何かやるの?」
「……ううん、何でもない。あとはケイジ君が自分で判断して決めればいいよ」
 BDDの中で、アキちゃんは主人公の菅原をいじめるグループの一員だった。
 悪役だったから、何も言いたくないのかもしれない。
 当事者に話を聞いて諸々もろもろの謎が一挙に解決するかと思ったがさにあらず、一歩進んで五歩も六歩も下がった感じだ。
 とにかく、十年前の加賀見台中事件の結果がなぜか今、自分に降りかかってきそうな気配だけは濃厚なのだった。


第13話 2ーCの秘密


 放課後の図書室で謎の小冊子を手渡されてから、今日でちょうど一週間。
 何と、休日である。
区立加賀見台中学校開校87周年」の記念日だった。
 図書室でツキモト先輩と会った辺りから、どうもすべて仕組まれていたような気がしてきた。
 でも、約束は約束だ。
 夕方、ぼくは制服に着替えて学校へ向かった。
 校門をくぐると、玄関の前に誰か立っていた。
 学校用務員の熊谷くまがいさんだ。
「西堀さん。お休みの日に、ご苦労様です」と、熊谷さんが言った。
 今まで話したことはないが、よく脚立を抱えて校内の管球の取り換えなどをしているおじさんだ。いつもは作業服を着ているのだが、今日はスーツ姿である。
「中で、お待ちになっています。どうぞお入りください」と熊谷さん。
「どうも」
 何でこの人が……と不思議に思いながらも、ぼくは頭を下げて校内へ入った。
 廊下の向こうに、ツキモト先輩がいた。
「来たわね」
「どうも」
「行きましょう。こっちよ」
 月本礼香つきもとれいかは白いシャツにネイビーのパンツスーツを着ていた。身長はぼくより5センチくらい高いので170近い。この姿だと、とても中学三年生には見えなかった。
 ぼくはどこかの会社の広報の人に案内されるように校内を歩き始めた。熊谷さんも後ろからついてくる。
 自分が通っている学校なのに、今日は違って見える。
「これ、お返しします」ぼくはBDDを先輩に返した。
「読んだのね。感想は?」と先輩。「おもしろかった?」
「中学二年生が書いたにしては、よくできていると思います」
「それだけ?」
「この学校でここに書かれているようなことはなかった、と思いたいですね」
 先輩はぼくの顔を見て、くすっと、声を出さずに笑った。

 ぼくたちは階段を上がっていった。
 4階の図書室へ向かうのかと思っていたが、先輩は2階で降りた。
 ぼくたちは、旧2ーCの前で歩みを止めた。
 熊谷さんが、鍵束から一本の鍵を選び出して、2ーCの扉を開けた。
 ついに封印が解かれる瞬間が来たようだった。
 しかし────。
 果して、扉の向こうに、また壁があった。
 ガラスに黒い模造紙を貼ってあると思っていたのだが、それはもう一つの「黒い壁」だったのだ。
「驚いた?」とツキモト先輩。
 熊谷さんが一歩下がると、今度は先輩が壁に向かって、手をかざした。
 何やら低い電子音が響いて、黒い壁が横にスライドしている。

 黒い壁の中は白い部屋だった。
 教室の中にもう一つ、別の部屋が作られていた。
 何もない真っ白い部屋に、一つだけ学校の備品と同じ机と椅子が置かれている。
「西堀さん」
 熊谷さんの声がして、ぼくはビクッとした。
「どうぞお座りください」と熊谷さんが言った。
 ニコニコしたおじさんだが、ニコニコしたまま拷問ごうもんしそうな雰囲気もある。
 今日ここへ来たのは、ぼくの意志である。
 何が起きても、ぼくの責任だ。
 ぼくはうながされるまま、その席に着いた。


第14話 ユニオンジャックの旗のもと


 白い部屋の中でぼくが座った席の、左側にツキモト先輩が、右側に熊谷さんが立っている。
 弁護士の接見を待つ容疑者と警備員みたいな配置になってしまった。
 やがて、正面の白い壁が、今度は上にスライドして、大きなモニターが現れた。
 まるでSF映画のように電子制御された空間である。
 モニターがオンになると、そこに一人の女性が映し出された。
 小説『ザ・ウェーブ』のようにモニターにヒトラー総統が映って、横の二人がナチス式敬礼でもしたらどうしようかと思ったが、そうならなくて助かった。
「ニシボリケイジさんですね」女性が言った。
「はい」
「初めまして。国際レイライン協会日本支部代表代理の菅原です」
「どうも」
「私は今、英国留学中で、スコットランドのエディンバラという町から中継しています」
 モニターの女性は、BDDの主人公で超楽観的な中学生だった菅原かえでの10年後らしかった。
 あの小説を読んだ者としては「あらまあ、ご立派になられて」と言いたいところだった。
「あなたは、西堀亜紀さんの従姉弟いとこですね。アキちゃんは元気ですか?」
「はい。関西の大学で環境社会学の研究をしています」
「そうなんだ。私はエディンバラ大学で社会人類学を専攻しているの。あんな経験をすると、学びたい分野も似かよってくるのかもね。沖村君はアメリカのコーネル大学で物理専攻だけど」

 BDDの登場人物たちの「その後」が語られたところで本題に入った。
「あなたは2ーCの教室に興味を持っていろいろ調べていたようですね。それでどう? 謎は解けたかな」菅原が言った。
「はい。かなりの部分は」
「何か質問はある?」
「『ブラック・ドット・ダイアリー』に書かれていたことは、どうも実話だったようですね。信じがたいことですけど」
「そうですね。筆者の沖村君は、史実に基づいたノンフィクションノベルと言っていましたよ」菅原が笑った。
「みなさん実名で登場していましたが、敵役かたきやくの〝赤神晴海あかがみはるみ〟は仮名でしたね。たぶん、あなたのクラスメイトだった黒海陽菜くろうみはるなさんがモデルだと思いますが」
「よく調べてあるわね」と菅原。
 赤神という人物は存在しない。
 これは、アキちゃんの卒アルで確認済みだった。
「彼女だけ仮名なのは、国際レイライン協会のプライバシーポリシーですか?」
「それもありますが、協会としては黒海さんはあくまで太陽黒点に起因する魔術を宿した何かの依り代ヨリシロとして機能してしまっただけで、彼女自身に罪はないというのが公式の見解です」
「やはり黒いあざが魔女の本体というわけですか」
「その辺りはまだ研究課題ですね。太陽黒点魔術の現象面は確認できても、その具体的なメカニズムは不明なの」
 この場に、月刊ムーの編集長か、ネタに困っているラノベ作家がいたら喜びそうな話題だが、ここにいる三人にとっては大まじめな話のようである。
「確かなことは、太陽活動の上昇とともに、世の中が不穏な状態になること」菅原が言った。
「11年周期の太陽黒点の増加に合わせて国家間の戦争や宗教紛争、民族紛争が勃発したり、階層間の政治的な対立が激しくなったり、犯罪件数が増加することは、すでにご存知かと思います。そして太陽活動がピークに近づくと、どこからともなく黒点魔術の使い手が現れ、ある種のエネルギーの通り道であるレイラインを悪用する魔術で、地球上の紛争や混乱を激化、増幅させるのです。前回の周期では加賀見台中が、その中心的な舞台となりました」

 黒点魔術師との闘いはBDDに余すところなく描かれていた。当時の国際情勢があれ以上悪化しなかった裏には、この加賀見台中の中学生たちの活躍があったようだ。
 その中心となった人物────現国際レイライン協会日本支部代表代理の菅原楓。
 ぼくは今、世界を救った英雄と会話しているわけだ。
 ぼくの中二病も相当なものだと思うが、ここにいますのは世界最強レベルの中二病らしい。
 
 菅原は続ける。
「私たち人間には太陽活動をコントロールすることはできません。でも、太陽の影響を受ける人間をコントロールすることは可能なはずです。国際レイライン協会は、その国際的なネットワークを用いて太陽活動の影響で巻き起こされる世界的な混乱と騒乱を緩和させる活動をしています。特に日本支部には、悪意を持って黒点魔術を使う者の行動を食い止める大きな役割があります。西堀さん、あなたが今、座っている2ーCは、その最重要拠点なのです」
「最重要拠点⁉ ここがですか?」菅原が真に迫った表情で主張するので、ぼくは思わず聞き返していた。
 突然モニターが二つに分割されたかと思うと、左半分に赤茶けた髭モジャの外国人男性が大アップで映し出された。
「そのとーり、そのとーりでーす」男性が片言の日本語で話し始めた。
2ーCは、セカイのカナメ、なのでーす」
 髭は同じ色の髪の毛と完全につながっている。
 赤茶色の中に青い目が光り、高い鼻が突き出ている。
 まるで深い森の上空から山と湖が見えているようだった。
 ぼくが唖然として黙っていると、男性がゆっくりと話し始めた。
「もうし、おくれ、ましーた。はじめー、ましーて。アイム・アーサー・ゲイブリエル・マクスウェル、でーす」
「こちらは、国際レイライン協会名誉総裁のマクスウェル卿です」モニターの右側から菅原が紹介した。
 出たな。
 マクスウェル。
 やはり、こいつも実在の人物だったか。
「ニシーボォリサン。カエデ。すいません。かいぎで、おくれました」
「マクスウェル卿は地中海のマルタから中継しています。彼は現在、英国連邦の高等弁務官としてマルタ島に赴任しています」菅原が説明した。
 英国連邦高等弁務官……いかにもすごそうだが、中一にとっては宇宙艦隊総司令官並みに現実感の薄い肩書だった。
 カメラに近すぎることに気づいたのか、マクスウェルが少し後ろに下がると、部屋の壁に英国の国旗「ユニオンジャック」が飾ってあるのが見えた。
 そこはどうも高等弁務官の執務室のようだ。
「ニシーボォリサン、2ーCはベリーインポータント! これはジョークではありません」
 そこからマクスウェルは早口の英語で話し始めた。
 しかし、英単語がたまにわかる程度で、内容はまるでわからない。
(つづく)

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