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山道で動けなくなった人と下山

明日香村を抱える高取町にはもう一つ有名な場所がある。
高取城」である。
日本三大山城の一つであり、古い町並みが今もなお残る土佐町を抜けると、その名にふさわしい険しい道になる。この険しい山道を当時の藩士たちは毎日のように登城していたのだろうか・・・。

高取城址 石垣

さて、昨日は小学校からの親友2人と、壷阪寺を通りその高取城趾を経て明日香稲渕、祝戸を通り、飛鳥(町名)の町中を抜け、香久山の西麓をかすめて三輪山近くまで戻るというプランだ。
実はウォーキングフェスティバルというローカルな行事があり、市体協の関係から23キロコースのアンカーをつとめなければならず、1人ではどうもつまらないので友達を誘ったのだった。

高取城趾のある山上まで登り、フェスティバル参加者が一人も残っていないことを確認してから下山を始める。
と、三分の1ほど下ったところで、1人の高齢男性が腰砕けで座っている。アンカーなので声を掛けないわけにもいかず、友達と「どうしましたか?」と尋ねた。
見るところ発汗が激しく、両足が痙攣していて歩けそうにない状態。
季節外れの異常な暑さで、軽い熱中症による脱水症状と推察した。
険しい山道はあと三分の2。先は長いが一緒に下りるしかない。
友だちの一人は腕を抱え、もう一人は男性の荷物を持ち、私は腰部のベルトをしっかり握り、かつ何回も休みながら、やっとこさ下まで降りた。
こっちは必至だったが向こうは少し余裕があったのだろうか、道中その男性からは結構冗談も口から出た。簡潔ではあったが、身の上話もしてくださった。
進入してこれる所まで救護班が車で来てくれ、そこから最寄り駅までお送りした。なかなか貴重な体験だったが、本人は大阪の茨木市にご無事に帰られたかどうか・・・、今となっては知りようがない。

動けなくなった方と休憩
明日香村稲渕の風景が優しく迎えてくれた

キトラ古墳近くで再びアンカーとして歩き出した。
稲渕から祝戸に入るあたりで遅い食事を急いで摂り、そこからゴールまではひたすらに・・・。

太もも、右膝あたりが重く痛くなってきたが、何とか完歩し、ゴールできた。日頃の運動不足を反省しなければ、来年は断らねばならないだろう。

高取城址までの登り道にて




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