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小樽にあって、札幌に無いもの。

昨年、住まいを札幌に移してからしばらく経ちました。
あることをずっと感じていたのですが、今日という日に確信に変わったことがあります。

札幌は、私が生まれ育った小樽とは違って都会です。
改めて書くことではないのですが、札幌には便利な物、楽しいものがたくさんあります。

しかし、一つないものがあります。

「海」です。

私が生まれ育った場所は、窓を開けると遠くに海が見えるところ。
風向きによっては潮風が流れてくることもあったし、体の大きいカモメがカラスを追いやってゴミを漁っているのもたまに見ていました。

楽しいことがあった時も、苦々しい思いを抱える日も。
海はいつもそこにあるもので、どんな感情も広い海が受け止めてくれたのだと思います。

しかし、隣町とは言え地元から離れて暮らしてみると、海が観られないことに息苦しさを感じるのです。

札幌は「腰が痛くなる街」

麻雀を打つために札幌へ通い出した18のころ。
札幌駅前に五番館西武というデパートがありました。

Wikipediaに在りし日の写真がありました。

札幌駅の南口を出ると、真っ先に目を引く茶色の外装がモダンな建物。
平成9年当時は、小樽から丸井今井が間もなく撤退する時期で、入り口からたくさんのお客さんがひっきりなしに出入りする様子を眺めて、札幌がいかに都会なのかということを実感していました。

それと同時に、建物の高さに比例して「空の狭さ」に息苦しさも感じていました。
また、ついつい建物を見上げながら歩くので、通っていた夢道場に着くころにはいつも腰が痛くなっていました。

ただ、このことへの共感はあまり得られないかも知れません(笑)。
しかし、僕は今でもその症状に悩まされていて。
田舎者だからなんでしょうね。

「故郷は 遠きにありて 思うもの」

タイトルは、明治から昭和にかけて活躍した詩人の室生犀星が書いた有名な句。
ご存じの方も多いかと思います。

この句にあるような気持ちのことを、俗に「郷土愛」などと言われますが、この「郷土愛」って、ずっと故郷にいる人にとっては気が付かないことなのではと考えています。

故郷を離れてみないと気が付かないことによって郷愁に駆られ、
「あぁ、故郷を大切にしたいな」
という思いが生まれる。
だから、「子どもに郷土愛を持たせましょう」なんていう教育は、実際のところ無茶なんだと思います。
それよりも、「可愛い子には旅をさせよ」に倣い、ちょっと離れたところに身を置く経験をさせるのが良いのかなと思います。

私にとっては、その経験(前に書いた、「真冬のランドリエ」みたいな)が今も胸に残っていて、心を豊かにしてくれたと思っています。
それが無ければ、僕はどこかで生きることを止めていたかもしれない。

故郷を離れて不自由は多いけれど。
改めて故郷のこと、親のこと、兄弟のことを大切に思えたのは、良かったかなと思います。

負け戦の総括。

先日、麻雀最強戦2023北海道最強位決定戦がありました。

結果は、惜しくもなんともない負け。
短期決戦がゆえに、材料に恵まれなければこういうこともあります。

その事実自体は、これまでの経験で良くわかっているつもり。
また、この舞台にたどり着いただけでも24/250の難関を突破出来てるわけで、十分に自分を褒めてやっても良いとも思います。

しかし、この日のために1年やってきたという思いが乗ると話は別。
昼過ぎに自宅へまっすぐ戻り、決勝の様子を眺めているうちに無念の情がどんどんこみ上げてきて、気が付けば日付が変わろうとしていました。

こんなとき、去年までは弓なりに続く海岸線を眺めているうちに気持ちが落ち着いていました。

でも、この日は自宅の椅子から一歩も動けず。
虚無感に苛まれ続けていました。

海が観たい。
生まれ育った町の空気が吸いたい。

ちょっと入れ込み過ぎて、疲れてしまったよう。

でも、来年に向けての戦いは始まっていくし、その戦いに身を置きたがっている自分がいます。

自分がこんなに海に執着を持つ人間だとは思わなかったんですよ。
泳げないし。
でも、この写真を観ているだけで、なんというか心がスッとする。
息苦しさが解けていくような感じがします。

来年の今頃、僕はどうしているだろう。

また「海が観たい」と泣き言を吐いていないことを祈るばかりです。


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