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『虐待児の詩』 新潮文庫の一冊

「深夜特急(3) インド・ネパール」


生まれて物心ついた時に、自分の最も身近に存在し、すべてを委ねるしかない者(肉親、里親など)に対する子供の信頼は計り知れないほど大きいものである。
そんな子供たちの中には、貧しさ故に口減らしのため捨てられる子供たちも多い。もちろん、その日の食事さえままならない状況でも子供を捨てずに貧しさに耐えながら、なんとか生活を続ける親も多くいるだろう。

貧しい国ならどこでもあることなのだろうが、著者が旅をしていた当時のインドもそんなところだったようだ。

ところで、皆さんにお伺いしたいのであるが、親から捨てられたが施設に入って衣食住を確保できた子供たちと親から捨てられなかったが衣食住もままならない生活を強いられている子供たちのいったいどちらが幸せなのだろうか?

その答えが、この第三巻の中にある。
少なくとも私はそう実感したのだが、果たして皆さんはどう感じられるのだろうか。
私がどう感じたのかは言わないでおこう。きっと著者もそう感じたであろうし、皆さんもそう感じるに違いないと思うから・・・。
ただの旅行者として通り過ごしてしまったなら、決して理解できずに、いやそれどころか誤解をしたままになってしまうだろう。

著者の体験を通して当時のインドのカーストと言う差別待遇を肌で感じることができる。
今のインドではカーストはどうなっているのだろう。彼らにとっては差別することが当然なのかもしれないが、あまりに悲しすぎて、熱いものがこみあげてくる。
インドは今や核を保有するほどの国である。カーストなどといったばかげた制度が無くなっていることを祈るばかりである。

よく行く書店の通り道にあるので、いつも気にはなっていたのだが、まだ一度もはいったことの無かったタイ料理のレストランにふと入ってみたくなった。オフィスビルの地下にあるその店はテイクアウト用のカウンターが入り口から少しはなれたところにあり、その外観は、タイ風の大衆食堂と言ったところだろうか、テイクアウトをする気は無かったので入り口のところまで行ってみた。
そこにはランチメニューが外に掛けてあったので見てみると、オフィス街のレストランにしては900円と少々割高である。高いなとは思いつつ、吸い込まれるように一歩足を踏み入れると、そこには一流レストラン並みの豪華なキャッシュカウンターがあり、可愛いお姉さんがいた。
奥に進むように促されたが、狭い通路に隔てられたその奥は全く見えない。入り口に値段が表示してあったのだから、それ以上取られても消費税くらいなもんだ。そう腹を括って先へ進んで通路を抜けると、なんとそこは別世界だった。
チャイナドレスにパンタロンを組み合わせたような民族衣装、もちろん着ているのは日本人の可愛いお嬢ちゃん達なのだが、・・が現れて、タイに来ているのじゃないかと錯覚してしまうくらい店内は異国情緒満載だった。
そんな中で、料理が運ばれ来るまでの間に、この三巻を読んでいたら著者と同じ世界を共有しているような妙な錯覚にとらわれてしまった。もっとも、著者がタイで過ごしていたのは第二巻なのだが・・・。




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