創価神・若本

あれ、いくつか記事を書いたはずなのに消えてるな。何故だ?

創価神・若本

あれ、いくつか記事を書いたはずなのに消えてるな。何故だ?

最近の記事

随筆 チンゲン革命(2)

私はXにて「日蓮大聖人被害者の会(代表)」を名乗っている。 大聖人を恨んでいる訳ではないのだが、大聖人による教学上の主張は問題だと思っている。 今日は、その教学上の問題に関する話題だ。 日蓮義を批判する際には、以下のようなことを言えばそれで終わる。 ・日蓮が根拠とした五時八教は、仏典の成立と矛盾するので現在は通用しない ・法華経は釈尊の直説ではなく、後世に書かれた創作物だ ・とりわけ、無量義経については中国撰述だろう いずれも、近現代の仏教学や文献学の成果を用いて日蓮義

    • 随筆 チンゲン革命(1)

      創価ネタと私みんな、創価学会の言うことは嘘くさいと思うかい? 彼らの発表が信じられないのかい? 私も同じなんだ。創価学会が発表した内容を信じられないんだ。 そうなると、先生の訃報も信じられないということになる。つまり‥ 先生は今日もお元気に執筆されています! どうも若本です。 この3ヶ月ほどは、創価ネタで頭を使うことが多かったのよ。 チンゲン革命を書くため、過去の経験を思い出す必要があったからね。 今の私にとっては、何かを考えるよりも、何かを思い出すことの方が難しいの

      • チンゲン革命(最終回)

        中学生になった私は、思春期を迎えた。 一般的には、異性やら自分の見た目に羞恥心を抱くようだが、私は創価学会員であることに羞恥心を抱いていた。 その頃の私は勤行唱題をするだけであり、他の活動は特にしていない。 当然だが、新聞啓蒙もしていない。 自己完結型の信仰スタイルだ。 誰に対して表明するわけでもない。 それなのに、どこか恥ずかしく、やましい気持ちがあった。 例えば、学校の書道の時間である。 墨汁による床汚しを防ぐために、新聞紙を持参せねばならなかった。 おそらく多くの家庭

        • チンゲン革命(11)

          【読者への事前注意】 今回は、学歴ネタや偏差値ネタをイヤな感じで取り上げます。「〇〇大よりも△△大の偏差値が高い/低い」の類の話です。 その手の話題が嫌いな方は、今回は飛ばして頂いて、次回を読んでくださいね。 さて、創価要素の相対化に大きな役割を果たしたものがある。受験だ。 隠してもしょうがないので書くが、私は創価学園を受験し、一度失敗している。 私の学力と受験の履歴は次の通りだ。 ・創価中学  小6の終わりがけに受験を思い立ち、受験はしたが思い切り落ちた。そりゃそうだ

        随筆 チンゲン革命(2)

          チンゲン革命(10)

          先に小学校の環境について概観しておくと、あまり品の良い環境ではなかった。 具体的には聞かされていないのだが、別のクラスでかなり酷いイジメがあったらしい。 教員の入れ替えなど、子どもにも異常と分かるくらいの組織改編がなされたのを覚えている。 校内暴力のように派手な混乱ではなく、何とも陰湿で不穏な空気に包まれている感じだ。 5年生だったある日、私は帰宅時の通学路で中学生数人に呼び止められて殴られた。全くの原因不明だ。 友人は、道を歩いていたら何者かにエアガンで撃たれた。これも

          チンゲン革命(10)

          チンゲン革命(9)

          前回までの記事をまとめよう。 小学生低学年の私から見た世界は次のようなものだった。 ・宗教的権威としての最上級は、総本山の法主(当時は阿部日顕氏) ・世俗的に偉大なのは池田大作氏だが、法主の方が宗教的に偉い ・その法主に認められているのだから、池田先生は凄い つまり、【在家の創価よりも出家の日蓮正宗の方が偉い】という序列意識である。 このことは、前回の記事で小学生文化新聞を引用した通りであり、当時の創価学会は宗門を立てる形で報道していたわけだ。 そんな関係性が何十年も続

          チンゲン革命(9)

          チンゲン革命(8)

          創価大学、とにかく広かったね。 広いし、坂や階段が多い。 山ごとドーンと買ったのかね。 23区内の狭いキャンパス出身の私からすると、良い具合に緑もある創価大学のキャンパスは素直に凄いなと思った。 目当ての図書館もさ、椅子や机からして新しいし奇麗なのよ。 一般人でも1000円払えば当日から利用できる。勉強する分には良い環境。 ただし、私は歩くのも暑いのも寒いのも苦手なため、これだけ広くて緑豊かな環境でのキャンパスライフは逆に耐えられなかったと思う。 個人的には「巨大なビル

          チンゲン革命(8)

          チンゲン革命(7)

          時系列で書くと、以下のような年表になる。 1984年(昭和59) ・1/2 池田大作 法華講総講頭に再任 1990年(平成2): ・7/16日蓮正宗上層部が創価学会破門に向けた「C作戦(創価学会分離作戦)」を計画…創価学会側の主張 ・ 7/17 創価学会、宗門との連絡会議の席上、法主上人・宗門を一方的に批判し席を立つ…日蓮正宗側の主張 1991年(平成3): ・11/28 日蓮正宗、創価学会及びSGIを『破門』 1993年(平成5) ・9/7 創価学会 現行本尊(日寛書写の

          チンゲン革命(7)

          チンゲン革命(6)

          純朴な少年の若本君が小学2年かそこらの頃である。 今とは異なり、当時の創価学会は総本山の大石寺や法主を立てていた。少なくとも表向きは、仰々しいほどの言葉遣いだ。 何せ「御法主上人猊下」である。 「御」も「上人」も「猊下」も、全て敬称の類だ。 つまり「法主様様様」のようなことである。御御御付けかと。 全体的に、日蓮正宗/顕正会/創価学会あたりは敬称の付け方が仰々しいのよね。日蓮大聖人様や大御本尊様もそう。 日蓮正宗の古い文書には「日蓮聖人」という呼称もあることから、近代以降に

          チンゲン革命(6)

          チンゲン革命(5)

          御開扉の行列待ちで、私は日蓮正宗と創価学会の微妙な関係を認知することになった。 当時、私は東京に住んでいたのだが、大石寺は静岡県の富士宮である。正直、交通の便は悪い。 電車で行くとすこぶる面倒くさそうなのだが、私たち一家はバスだった。 団体貸し切りだったと記憶している。 バスだったためか、交通の便の悪さを感じた記憶があまりない。 「そんなら交通の便が悪いとか書くなよ」という話なのだが、それはそれ。これはこれ。申し訳ないけど、電車で行く気にはなかなかなれないよ。私くらいに

          チンゲン革命(5)

          チンゲン革命(4)

          そんな戒壇本尊を日蓮正宗では「一閻浮提総与の御本尊」や「本門戒壇の大御本尊」と呼称している。 普通にネーミングが長いし、日蓮門下において戒壇を名乗る本尊が他にないため、ここでは戒壇本尊と呼称するが、許されたい。 日蓮正宗において戒壇本尊というのは、日蓮が書いた他の曼荼羅とは全く別格の扱いをされている。 「日蓮大聖人御真筆の曼荼羅であっても、日蓮正宗に格護されたものでなければ功徳が出ない」といった説明をする。 そりゃ、他門も怒るわな。自分のところにある曼荼羅が、それも日蓮直

          チンゲン革命(4)

          チンゲン革命(3)

          このあらすじの通り、今回のお話では若本少年にとんでもない衝撃が走る予定だった。 前回、私は読者の皆に約束したのだ。「次回は若本に衝撃が走るぞ」と。 何せ私が自分で書いた文章なのだから、ハッキリ覚えている。確かに私は皆に約束した。 しかし、しかしだ。 約束というのは破るためにあるのだ。 法華経が権門の理を破るように、私も読者との約束を破ろう。堂々と。 それでも読んでくれるというのだから、私は貴方に感謝せねばならない。 万感の思いを胸に、私は全力でこのしょうもない小説を書き切っ

          チンゲン革命(3)

          チンゲン革命(2)

          親の実家(真言宗)に行けば、仏壇に向かって「ジャシュー!」と叫ぶ。 友人と道を歩けば、キリスト教の教会を指して「あれはいけないものだよ!」と言って謗法禁断を説く。 それが幼児の私だった。 神社の鳥居をくぐるなどもっての外である。 私くらいになると、そもそも神社に近づくことすらしない。リスクマネジメントというやつだ。 とは言え、世の中には回避できないリスクというのがあるものだ。 神社というワードから思い出される定期イベントがある。 母は、私と弟を連れて自転車で買い物に行く

          チンゲン革命(2)

          チンゲン革命(1)

          以下、オッサンの自分語りだけど、読んでくれたら嬉しい。 「人間革命のダジャレで何か良い響きが無いかな〜」と思い立ち、足りない頭を捻りまくって出したタイトルがチンゲン革命。 そんな、憐れさ極まるオッサンの自分語りだ。 まずスタートは私の誕生から…いや、生まれる前から始めよう。 どうだ、生まれる前から始めるとは思わなかっただろう。 ただのオッサンの話だと思って舐めていただろう。 この時点で読む気が失せたかい? まあ、もう少しゆっくりしていきたまえよ。 大丈夫。痛いのは最初だ

          チンゲン革命(1)

          「ブッダという男」読んで

          あまり読書をしない私ですが、この本は気になりました。 まず、タイトルが良い。 ジェンダーフリーが叫ばれる昨今にですよ。 こともあろうに、仏教の開祖様を指して「という男」ときたもんだ。 顔だけみて異性を選ぶ的な感じで、タイトルに惹かれて買いました。 でも、買って良かったし、飲む時間を犠牲にして読む時間に充当して本当に良かった。 以下、あまりネタバレさせたくないので、引用はほぼないです。 中身を知りたいなら買って読んだ方が早いです。 本編の概要としては、アマゾン(出版社)

          「ブッダという男」読んで

          大法鼓経 現代語訳(2)

          その時、世尊はマハーカッサパに告げました。 「この諸々の修行者たちは清らかであり純一、真実であり、粗いカスからしっかり離れていて、この大法鼓経を聞かせるだけの資格を持っているだろうか?」 マハーカッサパは仏に申しました。 「もし修行者がいて律に反し戒を犯した場合、これはマハーモッガッラーナが指摘することになります。私そのような者とは行動を共にしません。申すまでもなく、世尊、いま集っている者たちはビャクダンの林のように清浄で純一なのです。」 仏はカッサパに告げました。 「今

          大法鼓経 現代語訳(2)