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さよならマエストロを見ていたら青春を思い出して、自分の変化に気づいた話。

こんばんわ。

みなさまは必ず見ているドラマはありますか?

わたしは最近、さよならマエストロの存在を知り、一気に見ている次第でございます。

見始めたきっかけは、芦田愛菜さんが出てたので、なんとなくで見始めましたが。

これが、なんかいろんなところにクリティカルヒット!するのです。

その中でも、みんなで作り上げる演奏の過程。
壊れてしまった家族をもう一度作り上げる過程。
たくさんの人が関わって変わっていく過程。

不協和音がありながら、思いがひとつになってつくり上げていく、音楽や関係性や、自分自身。
音楽ならば「作る」ではなくて、創造の方の「創る」がぴったりくる。自分の中で。ちょっと中二っぽいかも笑

それは、私の青春とリンクする。


私は、中高と吹奏楽部だった。

それはそれは打ち込んだ。本当に打ち込んだ。
学校をサボっても、部活だけは行っていた(え?)

私の高校は新しくできた学校で、私が入ったときでちょうど開校3年目。
部活の歴史もなくて、編成も最小。
専任の先生も、新卒の若い先生で、ベテランと比べたら指導力とかは違ってたのかもしれないけれど。
私たちは、寄せ集めででこぼこで技術力は普通で、だけど音楽が好きで、勢いと熱意だけあるような人達が集まっていて。

思えば、他の部活も熱意が強い部が、多かったかもしれない。歴史がないからこそ未知で、可能性があると信じてのしあがろうとしている部活動が多かったように思う。

先生は、そんな私たちの熱意を大事にしてくれて。
ベテランや上手い人がいないからこそ、型にハマらず自由にしてくれたのかもしれない。

これだけでも青春の1ページなんだけれども。
わたしの中で青春の1ページの最高峰となる瞬間がある。

それは、高3の大会の演奏のラストもラストの最後のたころ。

バンバン盛り上がりを高めていって、ジャジャシャン!!的な感じで終わるのだが。
このラストの音ではなく。
この、ジャン!!の最後の一音が会場中に広がり、その一瞬後にその余韻が会場中に広がり、全てが包まれたように感じた。

その余韻の広がりに、ものすごい達成感と最後の寂しさを感じた。

この余韻が、わたしの青春の最高峰で、代表となる瞬間だと思っている。

いろんな揉め事や、問題があったりするけど、何かひとつのものを、みんなで同じ方向に進んで、創り上げた達成感っていうのは、青春以外の何者でもない、と思っている。

この青春は、若い時にしかできないことだ。
あの時、打ち込んでいてよかったな、と思っていたけど。

大人になってからもこんな青春めいた達成感は体験することがあって。

たとえば。
居酒屋でバイトしていた時。
開店から途切れることないお客様の来店、予約。
死ぬほど忙しい時間帯が果てしなく続く時。
お互いが声を張り上げ、ジェスチャーなどで合図を送り合い、仲が良いスタッフも仲良くないスタッフも協力して、声を張り上げなんとか乗り切ろうと走り回る。
そして、閉店までそれが続き、とうとう終わった時のあの達成感。
仲良くないもの同士もハイタッチする瞬間。

この時、あの大会の青春の余韻が重なった。

何かトラブルが起きた時。
一気に青ざめた空気に変化。
そこからの高速で指示出し、みんながトラブル回避に向かって動く。
無理!!となりながらも、なんとか回避。
回避が済んだ後、みんなでガッツポーズとか。

そんな時も、青春の余韻を思い出した。

要するに、私の中の青春は、みんなで同じ目標に向かって、同じ気持ちで走り抜けたときの『達成感』なのかも知れない。

何かに似てるな、と思うけれど、登山にもしかしたら少し似ているのかもしれない。
みんなで頂上を目指す、的な?
違うような気もしてきた笑


人生の中に青春の余韻はいくつもあって、私は好きだな、と感じている。

HSPの私は、集団が苦手で、たくさんの人と協力して、という場面は、たくさん気を遣うし疲れるし得意ではないのだけれど。

気持ちがひとつになることは、意外と好きなのかもしれない。

いつもは無理だけど、たまに、青春の余韻を感じたいなとは思う。

ここ2年くらい、基本引きこもりで、ひとりがデフォルト化している。

けれど、青春の余韻を思い出して、楽しかったな、と思えるのなら。

私の中に変化が起こっているような気がしてきて、それがポジティブだったから、嬉しかった。

そろそろ、青春の余韻を味わってもいいステップにあがっているのかもしれないなぁ。

とはいえ、苦しくなって、泣きながら過ごす日々もまだある。
少しづつ、少しづつ、人の役に立てることができるようになると良いな。


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