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「発酵食の歴史」を読む。現代の常識を疑え(1)

発酵食の歴史」を書いたマリー=クレール・フレデリックは食品や料理を専門とするライター、ジャーナリストであるが、私が漠然とながら考えていた、「通常言われる歴史認識の「常識」はおかしいのではないか?」という疑問に応えてくれた本で、非常に頷くことが多々あった。冷凍保存も無かった時代にどうやって食料を「保存」していたのかという疑問だ。

現代人にすると、賞味期限とか、消費期限とかが設けられている食料品を購入してて当たり前に考えているが、本来「食べ物には期限がある」というものは20世紀の大量生産の時代から国によって食品衛生法とか法令化が義務付けされているが、100年以上前の食料品にはそんなものは存在しなかったのだ。自己責任と言えばそうでもない。

発酵と腐敗を分けるのは「文化」が決める

究極を言えば「発酵と腐敗を分けるものは「文化」が決める」ということで、これは発酵学者の小泉武夫氏の受け売りであるが、要するに食べて食中毒にならなければ、匂いを発しても「発酵」と呼んで差し支えないということだ。島泰三「魚食の人類史 出アフリカから日本列島へ」で紹介されていた「スカベンジャー仮説」というものがある。アフリカ内で活動していた類人猿であるアウストラロピテクスから、ホモ・サピエンスに至るまで大型肉食動物の食べ残しを漁っていたという仮説である。自尊心を傷つけられるだろうか?よく考えて欲しい。私はこの説は支持できる。

残り肉だけではなく、人類は石などの石器を使用して、栄養価の高い骨髄を取り出して食べていたというもので、骨の栄養はカルシウムが多いことは当然であるが、タンパク質、脂質ともに多く、鉄分に至っては肉の5倍前後に達する。現代人でもスペアリブや骨付きのフライドチキンをバリバリと食べるが、人類はもしかして両手に骨を持って食することを覚え、直立二足歩行が、生存に有利に働いたとも言えないだろうか?詳しくは「魚食の人類史 出アフリカから日本列島へ」を読まれたし。

発酵をどこで意識的に覚えたのか、それは相当昔のことであろうことは難くない。何よりメソポタミア文明時代にはすでにビールの生産は行われてきたのであるし、肉の熟成、スモーク、魚介類の天日干しも行われていたというから驚きである。魚や肉でもそうだが、解体後すぐに食するより、涼しい部屋などで寝かせてから食べた方が美味しくなることが多い。私もこれは釣り船の取材や渡船の大将から教えてもらった。漁師にとってこれらは「常識」ではあり、身や肉が固くて食べづらいし、イカについても絞めてから一晩寝かせた方が身も柔らかくなって美味しい。私はその場で食べたこともあるが、吸盤が口内に引っ付いて食べにくかったことを覚えている。醤油で絞めてから食べたらこの上なく美味しかったことはよく覚えている。醤油漬けも「発酵」なのは言うまでもない。

脱線してしまったが、どこで「発酵」を覚えたというより、保存する過程の中で実際に食中毒になったこともあったかもしれないが、「発酵」という「方法」を覚えたことで、人類は最低限の食料確保が出来る様になったことは言える。集団生活を営むメリットの多くはここにあるし、それらが組織化されたことで、酒類の独占とか(中世ヨーロッパで教会によるビールやワインの専売独占があった)、そのレシピや種菌(ロシアでのケフィアとか)の囲い込みなどで、権力者が優位に立ったりと歴史の「行間」を調べると結構こういうケースが出てくる。

発酵食が集団生活を送るに当たって、「儀式」や「行事」に取り込まれていったことは民俗学や文化人類学の調査などで多く見つけられる。韓国ではキムチを漬ける際には集団行事であったし、日本でも漬物を作る際は組合で取り決めした行事も多い。冬にかけての食料を保存することは生きる上での死活問題なので、発酵食は冬を過ごす際の必需品であった。今の人はすぐに臭い匂いを「腐っている」と言うが、実際は冷凍したからと言って、食中毒を完全に防ぐことは出来ない。

発酵食の歴史」を書いたマリー=クレール・フレデリックによれば、発酵食品こそ、新石器革命の真の原動力だったと述べる。よく考えればわかるが、小麦や大麦、稲、トウモロコシなどの穀物は、多くの難点を抱えている植物である。ではなぜこれらの穀物を栽培する様になったのか?この疑問に対する答え方が、多くの歴史学者が間違えた点ではないか?と著者は述べる。この続きは(2)で述べたい。

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