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何の取り柄もないおっさんとウェルビーイング

いい大学に入って、いい会社に入るのよ。

毎年お年玉上位ランキング
に入る親戚のおばさまに
言われたセリフである。

居間のテレビ
では「クレヨンしんちゃん」が
流れている。

幼い心に「これが王道だ」と
思わせるには十分だった
であろう。

何者にもなれなかった40歳

いい大学、いい会社に入れたかどうかは
別として何とか生きてきた。

ただ他人に誇れるものは何ひとつない。
挫折だらけの40年間。

平凡が一番。
ささやかな幸せがあればそれが一番。

その自分の信念に嘘偽りはないのだが、
平凡でもささやかな幸せっていうのは
いったい何なんだろうか。

ウェルビーイングという言葉がある。
ここ数年猛烈な勢いで
メディアに登場してきた言葉である。

この言葉は、すべてが満たされた
状態かつ継続性のある幸福
をさして使われているようだ。

ウェルビーイングが
指す「すべてが満たされた状態」は、
世界保健機関(WHO)憲章に
以下のように示されているようだ。

健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。

公益社団法人 日本WHO協会より

ということは、「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態」がウェルビーイングということになる。

うーん。
よくわからない。
当たり前のことを言って
いるようにも思えるし、
非常に多義的な言葉に聞こえる。

がんばって専門家の人の本を読んでみたが、
分かったような、分からないような
不思議な感覚。
まだまだ考える必要がありそうだ。

私のような凡人、取り柄のない人間の
ウェルビーイングはどこに
あるのだろう。

野原ひろしにもなれない現代のおっさんたち

冒頭で紹介された、
親戚のおばちゃんに日本で一番短い
人生の王道を説かれていたとき、
テレビに流れていた「クレヨンしんちゃん」

主人公のしんのすけの父親である
野原ひろし。


いま凡人サラリーマンのささやかな幸せは
彼に象徴されるのではないだろうか。
少なくともストーリーの中ではとても
幸せそうに描かれている。

野原ひろしは、
会社ではぱっとしない係長、
家庭内での地位も低い、
いわゆるダメ親父として描かれている。

しかしそれにもかかわらず、
落ち着いて設定を見ると、
多くのサラリーマンにとって
彼のプロフィールは
ハードルが高いことがわかる。

・商社勤務の35歳
・子供2人
・役職は係長、年収600万円(諸説あり)
・一軒家持ち
・自動車持ち

ちなみに、2020年の
国税庁による『民間給与実態統計調査』に
よると、給与所得者1人あたりの
平均給与額が433万円である。

年収600万円ほどといわれているひろしは、
平均より約170万円も高い収入を
得ていることになる。

いくら原作の連載開始からの時代の流れが
あるとはいえ、ダメ親父として描かれている
部分を置き換えるといささかギャップがある

一昔まえの当たり前の幸せ
手に入れづらくなっているのだろう。

もちろん今は今で、
よくなっていることもたくさんあるし、
価値観もちがう。

「昔はよかったね」ということを
言うつもりはない。
ただ野原ひろしを凡人サラリーマンの
ウェルビーイングの
ロールモデルにするのは
難しそうだ。

おっさんがウェルビーイングになるために

われわれ凡人サラリーマンの
ウェルビーイング
のロールモデル探しは暗礁
にのりあげた。

凡人は幸せになってはいけないのか


いろいろ足りない脳みそを
フル稼働してみるものの、
なかなか浮かばず。

ここで読者のみなさまにでも
公募でもすればいいのかも
しれない。
そんなことも考えてはみたものの、
いったんは
やっぱり自分で定義してみたほうが
健康衛生上いいと思い立つ。

われわれは総理大臣にも大谷翔平にも
柳井正にもなっていないのだから。

自分なりの「あり方」を考えたほうが
窮屈にならずにすみそうだ。 
これならできるかもしれないし、
読者のみなさまにお役立てできそうだ。

金を残して死ぬのは下だ。
事業を残して死ぬのは中だ。
人を残して死ぬのが上だ。

最近まで元プロ野球監督の野村克也
の言葉だと思い込んでいたが、
後藤新平の言葉だと知った。

まぁこんな昔の偉人たちのような
ことができたらいいよね。
ただ才能のない我々は自己満足でいいから
ウェルビーイングでありたい。

凡人サラリーマンのおっさんが
「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態」
であるためには何をしたらいいのだろうか。

守るべき3つの資産

我々凡人には3つの資産がある。
これをしっかり守っていくことはウェル
ビーイングの土台を作ることにつながる。

自分なりの物差しで3つの資産を数値化しておこう

(1)健康資産 
  これは言うまでもない。 
  何事も身体が資本。 
  人間は年齢をへればあらゆるところ、
  身体にガタがくる。 
  外出がおっくうになったり、
  今まで当たり前のように
   できていたころができなくなる。 
  人は衰えには逆らえないことを
  わかった上で、
  それに少しでも抗うことが大事である。

(2)金融資産
 これも言うまでもないかもしれない。
 ただ一番ではないだろう。
 身体が不治の病に侵されたら、お金で
 は解決できない。
 お金で幸せは買えないけど、
 不幸は避けられる

 それは真実だ。

(3)人的資産
 これは少し説明がいるだろう。
 端的にいうと、
 ①あなたが困ったときに
  損得勘定なしに助けてくれる人。
 ②あなたが損得勘定なしで助けたい人。

このふたつの数字の合計で決まる。
2017年に発表された
国立長寿医療研究センターの研究で
約9.4年にわたる追跡調査の結果、

「同居家族と支援のやりとりがある」
 「配偶者がいる」「友人との交流がある」「地域のなんらかのグループ活動に参加している」「就労している」のどれかに当てはまる人は認知症になるリスクが低くなるということがわかっている。

 人は一人では生きられない。
 だから誰かとつながっていたい。
 そんな生き物である。
 認知症になってしまったら、
 自分が自分ではなくなり、
 周りの世界はどう変わって
 しまうのだろうか。

 想像もつかないが、
 たとえ
 年を老いても多くの人に囲まれている人は
 魅力的だし、なにより幸せそうに見える。

凡人ウェルビーイングの道を極める2つのキーワード

この3つの資産の重要性については
理解いただいたことで、これを守ること
で得られるものはなにか。
2つあると私は考えている。

ひとつは社会的つながりである。
定年退職したおっさんが、
家族と会社の人間関係を
取り除いたとき何も残らないとしたら、
あまりにも悲惨だ。

仕事に没頭しすぎて、
家族にも見放されてしまった
残念な物語はいまも昔もあふれている。
趣味をもったり、新しい場所、
サードパーティーとなる
居場所を見つければ、
あなたの幸福度を高めることができる。

もうひとつは選択である。
健康でお金があれば自由に自分の
人生を選択できる。
どこに行くのか、何を食べるのか。
ある程度の縛りはあったとしても、
自分で選択できること。
かっこよくいえば、
自分の最後まで責任を持てること。
だれかに強制されるものでなければ、
ストレスも感じない。

このふたつを追求していけば、
凡人でもより幸せになれるのかもしれない。
偉人たちとちがい、私たちは間違いなく、
自己満足のコントロールのできない
制限のあるゲームの世界に生きている。

いまからでもできることはある。

最後まで読んでいただいた
あなたと一緒に前をむいて 
頑張っていきたい。

なんの取り柄もない
おっさんでもウェルビーイング
を諦めてはいけないのである。




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