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映画感想文note【戦雲-いくさふむ-】

「私、丸腰だからさ、あなたも銃を置いてよ」

山里節子さんが、軍事施設の前に立つ自衛隊員に話しかける。
その言葉に応答はない。
声に対し響くものがないその不自然さが印象に残った。

2016年3月 与那国島 陸自駐屯地開設
2019年3月 奄美大島・宮古島に陸自駐屯地開設
2020年3月 宮古島 陸自駐屯地にミサイル部隊配備
2023年3月 石垣島 陸自駐屯地開設 ミサイル搬入

戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録  
沖縄自衛隊関連年表より抜粋

「戦争」が近くなっていることを感じざるを得ない、「戦争の準備」のようにも見えるこれらの動向。
ミサイルを積んだ車を運転する人、銃撃の訓練をする人、門の前で銃を構える人。
その一人ひとりは戦争を望んでいるのだろうか。
そうではなく平和を望んでいるのだとしたら、どうしてそこにいるのだろうか。
戦争の準備が進む理由の一つは、一人ひとりが「自分の声」を失った・失わされたことなのではないかと思った。

「公正を乗りこなす」の中には、

おのおのが違うニーズをもちつつも、それを達成するうえで独力よりもマシな選択肢として、わたしたちはみなで力をあわせつつ生きること━━「協業(cooperation)」━━を選ぶのでした。

とある。
組織という人はいないし、国という人はいない。
しかし、組織や国は存在し、その中には一人ひとりの人間がいる。
一人ひとりにニーズがあり、それぞれの達成のために集まった集団が組織なのだとすれば、何よりまず大事なのは、「自分の声(ニーズ)」を知ることではないだろうか。
自分を知ることは、簡単なことではない。
むしろ泥臭いプロセスだと思う。
しかし、「自分から逃げて組織の声になびくこと」や「なびいていることにさえ気づかないでいること」というのは楽なことなのかもしれないが、あまりに虚しい。
それで平和が実現されていくようにも思えない。

映画では、自衛隊員の家族の姿も見ることができた。
パンフレットでは瀬尾夏美さんが、

”有事”には、彼ら(自衛隊員)が最前線で国を守る……ということになっている。彼らの命や家族の抱える葛藤こそが、「多少の犠牲」に含まれているのではないか?

という言葉を寄せている。
戦争によって「多少の犠牲」になっていい人など一人もいない。


「見切りをつけて出ていくかもしれない」

宮古島に住む下地茜さんが話されていた言葉も印象に残っている。
自分が暮らす場所、これからも暮らし続けたいと思う場所に対して、理不尽な理由で「見切り」をつけさせられる。
なんて不平等なことだろう。
この不平等を生み出しているのは、僕たち一人ひとりである。
このことを「遠い空の下の話」と傍観し見過ごしているだけではあまりに無責任であると同時に、危機感が薄すぎる。
にわかに起きた戦争の準備がどこまで進んでしまうのか、想像してみてほしい。
僕は、見過ごすのではなく、社会の一員としての感覚を磨いていたいと思う。


先に、『戦争の準備が進む理由の一つは、一人ひとりが「自分の声」を失った・失わされたことなのではないかと思った。』と書いた。
「失わされた」としたのは、自分の声を聞こえなくしてしまっている「社会」があるからだ。
そして、その「社会」をつくっているのも、僕たち一人ひとりである。
「自分の声」を手放さず、探し、持ち続けようとすること。
一人ひとりの「自分の声」を無視しないこと。
『「自分の声」を大切にできる一人ひとりであり、大切にされる社会』になるよう生きていきたい。

*

今まで知らないことが多く、恥ずかしくなりましたが、みることができてよかったです。
おすすめの映画です。

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