我が「トーマの心臓」譚(連載No.12)-純愛信仰と信仰弾圧の中で起きた『殉教』(毎日新聞篇)
私はカール・マルクスの「資本論」を読んでみたことがあります。
私の実家は父親が光村図書出版の東京本社に転勤したあと朝日新聞を購読するようになりました。
それ以前は名古屋に在住していましたので中日新聞を購読していました。
何故朝日新聞であるのかは詳しく知りません。
当時の三大新聞は朝日新聞、読売新聞そして斜陽の毎日新聞と言われていました。
私は毎日新聞が経営危機に陥った詳しい経緯は存じておりません。
しかし何か不可解なものを子供の時から感じておりました。
毎日新聞が信仰の新聞社であるならその信仰に対して信仰弾圧(マウンティング)が行われたのだろうと想像が付くからです。
そういった信仰弾圧(マウンティング)はカール・マルクスの資本論によって巻き起こったと言われています。
何故ならばカール・マルクスは信仰弾圧(マウンティング)を廃棄し信仰を受肉することを説いたからです。
要は「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」において信仰弾圧(マウンティング)を廃棄し真の信仰を受肉する革命を指導したのです。
それはイエス・キリストの教えと同じでありイマヌエル・カントの啓蒙と同じあり方でした。
しかしそのような信仰は大粛清されスターリンやヒットラー、アメリカでのレッド・パージなどによって殲滅されていきました。
しかしそれは信仰弾圧による殉教のローカスと言えるものであります。
そのような殉教のローカスは奇跡を可能とするものであると言えるでしょう。
そのようなあり方は初期キリスト教の大弾圧時代と同等のあり方だと見做せます。
敬愛する柄谷行人先生は「トランスクリティーク カントとマルクス」を著しています。
私はその著書を五回ほど繰り返し読みました。
カール・マルクスの「資本論」にある象徴的一文がここにあります。
「貨幣は糞尿であるかもしれない。といっても、糞尿は貨幣ではないが。」
原敬のカトリックとは?
「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」をカトリックロゴス感覚という。
そして毎日新聞社は「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」を廃棄することでカトリックロゴス感覚・新聞としてメッセージを発する。
それは信仰の新聞社であるとともに信仰弾圧の対象となる新聞社でもあった。
そういった信仰弾圧のローカスは悲劇であるとともに奇跡を起こす『殉教』の在り方と見做すことができるだろう。
毎日新聞と原敬はそのシンボルと見做すことができるのです。
毎日新聞の紙面からメッセージとコミュニケーションを読み解く!
自殺事件は1989年12月18日(月曜日)に起こりました。
その詳細は新聞記事以外では分かりかねます。
何故ならば私の知人すべては一切私に話さなかったからです。
それは気遣いというより何かを暗黙に隠蔽する意図があるように感じました。
一言で評して情報遮断です。
しかし新聞というマス・コミュニケーションは時にカトリックメッセージを発します。
毎日新聞はその傾向が強く毎日新聞社社長であった平民宰相原敬(カトリック宰相原敬)ははっきりとキリスト教カトリック信徒でした。
日本国には何人かのキリスト教を信仰する総理大臣がいましたがカトリックは原敬だけだろうと思います。
ではここに毎日新聞の当該記事を示し分析を開始したいと思います。
千葉版の分析
記事内容
マンション屋上から飛び降り 船橋・女子中生自殺
最後の一文が歪であることは理解されるでしょう。
「遺書には友人関係についての悩みが記されており、同署はA子さんがこれを苦に屋上から三一・二メートル下の通路に飛び降り自殺したらしい。
この一文は明らかに文章的におかしい。
「同署は」がおかしいのかもしれない。
見開き右側
(見開き左側)
自殺記事の周囲の記事
「ベートーベンの第九(第4楽章)」の記事
「親切」の記事と「七つの家」の絵
「京葉線」の記事と写真
「北原派」の記事
「船橋の火事」の記事と写真
「小さな親切」の記事
「選挙制度問題」の記事
解析
ベートーベンの第九(第4楽章)を愛する人々
ベートーベンの第九は第4楽章にシラーの詩があり合唱が有名となっている。
確かTBS新社屋(ビックハット)の完成時にTBS社員が一堂に会しベートーベンの第九を合唱したことを私は記憶しています。
何故か永六輔が激怒して会場を飛び出していきました。
TBSのカトリック信仰が失われていくことを嘆いたのかもしれません。
TBSの企業ロゴも変更され確かに当時期のTBSはおかしくなっていましたね。
シラーの詩はイマヌエル・カントの最高善信仰(政治的最高善)の永遠平和の理念によっています。
だからベートーベンの第九(第4楽章)をこよなく愛する人がいることは理解できます。
私はベートーベンの交響曲全集を2つ持っています。
しかし本音を言いますとベートーベンの第九(第4楽章)以外は退屈です。
だから逆にベートーベンの第九(第4楽章)でいいのではないかと思うのです。
東京ディズニーランドからアンバサダーの似鳥千夏さん、ミッキーマウス、ミニーマウスが駆けつけたとあります。
ディズニーランドは千葉県立船橋旭高等学校の遠足で行きました。
ここ数十年はディズニーランドに行っていません。
収入がない今の私にとってディズニーランドは高嶺の花です。
港にある七つの建物(神の王国の到来)及び受肉を示している。
千葉県船橋市立高根中学校「7」(1987年3月卒業文集)
毎日新聞は京葉線を「シルバー地に赤色ライン」とレトリックで表現している
産経新聞では京葉線を「銀地にワインレッドのライン」とレトリックで表現している。
私の感想を言わせてもらうとワインレッドは血液を想起させる。
又産経新聞は「京葉線」の記事と写真の扱いが大きい。(しかし千葉版でもエリアが変わると格段に小さくなるのが不思議である。)
このレトリックの表現の違いは検討する価値があるだろう。
北原派の記事
朝日新聞の実名報道によると自殺者の氏名は北原奈美さんです。
自殺者の名字が隣の記事にあるというのは実名報道ではないが暗示的報道であるかもしれない。
船橋の火事の写真は何のメッセージだろうか?
この火災現場写真は信仰の火(光)を示しているように感じる。
何故ならば数日前の火災事件であるのに記事と写真の扱いが特別に大きく感じる。
東武野田線の塚田駅と馬込沢駅は千葉県立船橋旭高等学校の最寄り駅でありました。
私は自転車通学でありましたが船橋駅へ行くために塚田駅を利用したことがあります。
火災現場は船橋市丸山とありここは鎌ヶ谷市内にある「飛び地」として存在しているようです。
ここには「丸山ゴルフセンター」があり私も父に連れられて行ったことがあります。
ある時プロゴルファーの丸山茂樹選手が丸山ゴルフセンターのロビーにいました。
当時ゴルフ界の若いスターだった丸山茂樹選手がこのような練習場に普通に来ていることを知って吃驚しました。
その時に私が不思議に思ったのは丸山の姓と地名の関係です。
ただの偶然かもしれません。
何かあるのかもしれません。
ちょっと私には想像できなかった。
そして後に私は拓殖大学で選択スポーツ単位のゴルフ講義を取りました。
拓殖大学の八王子キャンパスを進んでいくと奥にゴルフ練習場があります。
そこはマムシが出るという注意書きがある危険地帯でした。
そして実際に蛇の子供が出現した時に他の学生たちは狂喜して蛇を嬲り殺しにしていました。
私はマムシなら仕方がないかなと思いましたが蛇にも同情しました。
話は戻りますが鎌ヶ谷市内に飛び地として存在している船橋市丸山は船橋旭高等学校から見て馬込沢駅の先にありました。
馬込沢駅と鎌ヶ谷駅の間にあるのが船橋市丸山という鎌ヶ谷市内にある「飛び地」でした。
ここで言えることは馬込沢とは幕府の馬を管理する場所だったということです。
馬込沢の名の由来もそこから来ているようです。
私の自宅近くにも野馬土手が史跡として複数存在しています。
しかし鎌ヶ谷には文化的史跡はほとんど見当たりません。
鎌ヶ谷市郷土資料館に行っても白井市郷土資料館に行っても文化的にはほとんど痕跡がありません。
ただ鎌ヶ谷市には馬頭観音の石碑が複数箇所あります。
JRAの競馬学校が白井市にあります。
私も何度か入口の前を通ったことがあります。
JRAの騎手はここで教育を受けるようです。
そして中山競馬場が比較的近隣にあります。
馬頭観音が祭(柳田國男)だとしたらJRAは祭礼(柳田國男)だと思います。
近所にある馬頭観音石碑です。
年代は一番古いもので大正八年とありました。
他に慈母観音などの石碑が存在しています。
史跡 野馬土手
鎌ヶ谷市郷土資料館
野馬
板碑に見る信仰と崇拝
日蓮宗の題目板碑
阿弥陀如来の種子板碑
鎌ヶ谷郵便局
東京新聞看板
白井市郷土資料館
釈迦如来の板碑と日蓮宗の題目板碑
釈迦如来の板碑は柳田國男が言う祭である。
釈迦如来の板碑が目を引く。
これは聖仏陀信仰である。
祭から祭礼へ(柳田國男)
鎌ヶ谷大仏駅から徒歩一分に位置する「露座の釈迦如来像」は柳田國男が言う祭礼である。
生食と摺墨
小金原
船橋市丸山は何故鎌ヶ谷市内に「飛び地」として存在しているのでしょうか?
それは江戸初期に行われた新田開発にその謎がありました。
この辺りは武家でもなく農民でもなかったのです。
そして士農工商の何れにも属していなかった。
その中で新田開発されたエリアは文化的であるとともに身分制度において武士に次ぐ農民の身分となっていたのです。
そのことが差別化を生み、鎌ヶ谷市内に新田エリアとして船橋市丸山が存在しているのです。
このエリアは身分制度問題(カースト制問題)とカトリックロゴス感覚の信仰の関係が非常に大きい。
又原始的段階に近いあり方として崇拝関係が「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」として形成される。
そういった狂信的なカルト集団が存在していると指摘することもできる。
ただカトリックは「至高の抽象化の高み」であり、徳川時代の身分制度が産み出すカルトと信仰の問題はキリスト教の禁教の影響が大きかったと思われる。
キリスト教にはカトリックロゴス感覚が存在し身分制度と相対立するからである。
しかし狂気のカルト集団は危険な存在でありその代表は一向宗(阿弥陀如来崇拝)だったと言える。
何故ならば身分制度(知の鵜呑み)はカトリックロゴス感覚(知の廃棄)を弾圧し、その一方でカトリックロゴス感覚(知の廃棄)は身分制度(知の鵜呑み)を最高善の神のもとに降らせるからである。
それはハインリヒ・ハイネの「流刑の神々」にある通りです。
この周辺は当時私が在学していた千葉県立船橋旭高等学校に非常に近いのです。
また鎌ヶ谷市に転居予定があったのでそこにも非常に近いのです。
鎌ヶ谷市内にある「飛び地」ですから当然です。
偶然の一致が私への符号一致偶像となってカトリックロゴス感覚のメッセージを示しているように感じられます。
千葉県立船橋旭高等学校旧サイト(ほぼ休眠状態)
千葉県立船橋旭高等学校は千葉県立船橋西高等学校と統合しました。
船橋西高校の校舎によって千葉県立船橋啓明高校として新たに発足したと言われています。
私は鎌ヶ谷市の市民体育館である福太郎アリーナで船橋啓明高校の女学生を見かけたことがあります。
運動部の練習用のジャージに船橋啓明高校と名が入っていました。
後輩と言えば後輩ですが校舎が船橋西高校ですので複雑な感覚です。
見開き左側
一見して秋元病院の創設者秋元豊氏の記事と選挙制度問題の記事だけである。
そして秋元病院は私が千葉県立船橋旭高等学校を卒業した直後に転居した鎌ヶ谷市に存在する。
そして偶然にもその秋元病院は私の自宅から徒歩10秒の位置にあります。
秋元病院の場所は私の引越し先と言っても過言ではありません。
薄いピンク色の一戸建てが自宅(表札が上に載っている)
奥にある白い施設が秋元病院
(見開き右側)
毎日新聞のカトリックロゴス感覚
ここで私は明確に毎日新聞のカトリックメッセージの存在を感じ取りました。
それはカトリックロゴス感覚のメッセージでありコミュニケーションです。
すっかり毎日新聞社の支持者となってしまいました。
ただ私は収入がないので毎日新聞を定期購読することができません。
本当は紙面版が読めるプレミアムプランに申し込みたいのです。
ただ収入がありませんから・・・残念です。
ただ毎日新聞の「御守」をメルカリで購入しました。
原敬が存命であった大正三年に発行されたメダルです。
これはカトリックの「御守」です。
カトリックロゴス感覚の護符
つづく
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