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土地への想像力ー始まりの予感(3)

(前回記事はこちら(始まりの予感(2))

 前回の「始まりの予感」の記事から、約半年が経過した。この連載は、2022年6月30日にhomeportを公式に始めて間もない頃、突発的にhomeportの拠点となる場所を探そうと思い立ち、スタートしたものである。
 前回の記事に書いた通り、筆者にとっての地元は、北海道大学の北20条門を通過して、すぐ左手にあるケモノミチだった(出品と対談:自分の"地元"を物語る旅)。2008年当時、北20条と北大の境界には正式な門はなく、非公式な北20条の入口から侵入し、ケモノミチに分け入り、少し進むと右手には低温科学研究所が見えてきて、正面には小さな森が広がっていく(低温研OBの石川君曰く「カメムシの森])。その森は、春になると一面にエゾエンゴサクの花が咲き乱れる。このケモノミチを通るとき、私は、いつも原点である北大大学院観光創造専攻の場所を思い出す。それは思い出ではなく、現在の自分と共に在る。だから「北20条にあるもう一つの母校(港)」と銘打ったhomeportをつくり続けているし、homeportとは私そのものである。

 homeportの場所とは探すものではなく、既にあるものである。だから、今のhomeportは自邸であり、そのケモノミチを見下ろす場所に住んでいる。でも、いつかは客を招き入れた宿、研究工房のような場所をつくりたい。そんな気持ちを持ち続けてもいる。だから、この半年は、homeportの学友と北24条のビアガーデンに行ったり(「君たちはどう生きるか」)、定山渓ビューホテルに宿泊したり(「地元の発見~定山渓ビューホテルを巡る一考察(1)」)、美香保公園でテニスをしたり(「休日にテニス」)した。homeportでは「かもめ-研究者の音楽をライブレコーディングする場所-」を開催した。
 この一連の行為は、何となく、リベラルアーツになっているのではないか。先日、そんな話を田中君とした。この夏の田中君との出会い(「田中伸之輔(2023)『研究的実践をくみなおす』」)は、おそらくhomeportの歴史に深く刻まれ、後世に語り継がれることだろう。

 年が明けて2024年1月6日。新春のホームパーティー。宮崎くんとhomeportの敷地内にある大地の珈琲で待ち合わせて、パーティーの買い出しへと向かう直前の出来事。部屋へと急ぐ廊下で家主の人と出くわした。「今年も(継続して)住みますか?」と聞かれ、即答で「住みますよ」と私は答えた。すると家主はにこっと微笑んで「よかった」と返してくれた。賃貸住宅でなおかつ北大に隣接する部屋は、休みなく新たな人を迎い入れ、人はどんどん入れ替わっていく。だから「住み続ける」と表明した私の表情にはどこか伝わるものがあったのかもしれない。

 無意識に私は会話を続けた。自分は地元の研究をしている。研究者は国内外に出かけていって、地域コミュニティの喪失を研究しているのに、自らが住んでいる場所には無頓着である。だから、この北大ななめ通りを自らが住み、研究する対象として捉え、少しずつ活動をしている。homeportの概要をこっちいったり、あっちいったりしながら、時間にしたら1分にも満たない間に言葉にして伝えた。

 その中で、北大ななめ通りの謎が思わぬかたちで解けた。家主は約130年前からここで農業をしている地主で、その歴史は、隣接する札幌農学校と期を同じくしている。家主に、なぜななめ通りなのかと問うと、「ここら一帯はもともと泥炭地で、確かクラークさんか誰かが、ななめ通りの西側(北大に接しているしている土地)までは、農業ができる場所だと助言したらしい。うちも、もともと農家でこの土地で放牧をしていたんだ。」
 歴史の偉人ではなく、うちのじいちゃんぐらいの感覚で「クラークさん」が出てきたことに私は驚いた。よく考えると、今の家主の祖父や曾祖父ぐらの人たちにとって、クラークさんは歴史の偉人ではなく、まちのかかりつけ医のような存在だったのかもしれない。

 家主はもう一つななめ通りのとびきりの秘密を教えてくれた。ななめ通りに建設する建物には10メートルの高さ規制があるらしい。かつて、ななめ通りの先には、札幌飛行場があった。そのときに、ななめ通りには10メールの高さ規制が敷かれた。1945年の終戦後、進駐軍によって飛行場は焼き尽くされ亡くなるが、その規制だけは札幌市に今も残っているという。
 歴史の皮肉というか、飛行場があったおかげで、このななめ通りの広い空は保たれている。札幌飛行場を現代から捉え返すと、それは、負のレガシーであり、ダークツーリズムの対象物になると言えるのかもしれない。しかし、発想を転換すれば、このhomeportが生まれる土壌にもなったと、好意的に捉え返すことも可能である。

 家主は、「実は自分も、(ここに住んでた)医学部生の本をそのまま置いていってもらって、みんなに読んでもらえるようにしよう、と考えたことがあるんだ」と打ち明けてくれた。続けて「実はこの敷地内に使っていないビルがあって、今後の利活用をどうしようかと考えていたんだ」と家主。

 私はこの言葉を待っていた。ビルがあり、テナントが退去し、空いていることも知っていた。いつか、家主にこのビルのことを聞こうと思っていた。一方で、そのタイミングを計ってもいた。そのことを打ち明けるタイミングが重要で、ひょっとしたらそのタイミングは来ないかもしれない。来なければ、それが必然であり運命なのだろう。それでもいい。

 だからこの日の出来事は決して、意図したものではない。というのも実は嘘だ。予め準備していないとこの出来事は訪れていなかった。先日鑑賞した映画「耳をすませば」の中で、主人公の月島雫が恋する天沢聖司は、偶然を装って、学校やまちの図書館の貸出カードに、先手を打って自分の名前を刻んでいた。雫は、自分が手に取る本には偶然にも「天沢聖司」の名前が刻まれていて、その偶然が積もりに積もって、運命だと感じるようになる。

 偶然を必然に変える能動性。その過程では、homeportという媒体を通して、この半年の間に出会ってきた人たち、それぞれの固有の歴史が必然性となって輝き、宿り、この日の出来事へと繋がった。本当に幸せな瞬間だった。さて、次はいよいよ北20条にhomeport爆誕なのか。先の事は誰にも分からない。


homeportの前庭とケモノミチ
第2回ホームパーティー
春に咲き誇るエゾエンゴサク


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