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出品と対談:自分の"地元"を物語る旅

8月19日 日誌

これまで、何度かご紹介頂いた「研究的実践を組みなおす」の著者です。
山崎さんから、日誌を書く機会を頂いたので、文学フリマ出品から、山崎さんとの対談までの旅を振り返ってみたいと思います。

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7/9(日)、文学フリマ札幌8に「研究的実践を組みなおす」 を出品した。
書いたものを売るだけだからと、半ばドライな気持ちで参加したが、本を売るという体験は、思いがけず感情を揺さぶられる体験であった。

当たり前のことと思われるかもしれないが、自分の本を買ってもらえると、この上なくうれしい。目の前の購入者に「買ってくれて、ありがとう!」と伝え、握手を交わし、話し込み、「このまま一杯飲みに行きますか?」と言いたくなるくらい、うれしい。こんなにうれしさを感じるとは、売り場に立ってみるまで気づかなかった。

また、売り場の前で立ち止まってくれた人に「もし興味があれば、お手にとってご覧ください」と声をかけ、その場で買うか/買わないか"吟味"してもらうのだが、この吟味の時間が永遠に感じられるほど長い。そして怖い。
吟味の結果、本が戻された時の、なんとも言えない、もの悲しさも、これまで味わったことのないものだった。

そんな思いをして、本を売った翌日、山崎さんからメールを頂いた。
そこには「一気に読了し、思わず感想を送ってみたい衝動にかられました」とあり、熱い感想が綴られていた。
手紙を書き、ビンに入れて、海に流したら、遠い国の人から返事が来た時のような嬉しさ、「本当に誰かに届いたんだ」という感動があった。
文学フリマではそうした体験をすることができた。

思えば、なぜ文学フリマに本を出品しようと思ったのか?
それは「本を企画して、書いて、印刷して、売る」というプロセス全体を自分で体験してみたかったからだと思う。
企画する、文章を書く、フォントを決める、紙を決める、表紙をデザインする、販売価格を決める、印刷部数を決める、売り場を決める、売り場をデザインする、本を運ぶ、購入者の顔を見ながら販売するなどの一連のプロセス全てに携わることは、これまでなかった。
だから、やってみたかったのだ。

ではなぜ、一連のプロセス全てを経験してみたいと思ったのか?
理由はおそらく複数ある。
一つは、私が「いいな」と思う人が、一連のプロセスを手掛けていたからという、やや軽薄な理由である。
例えば、庵野秀明はエヴァンゲリオンというコンテンツの制作者であると同時に、株式会社カラーの代表取締役社長として映像製作全体を指揮してもいる(「プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン」参照)。
また、東浩紀は哲学をバックボーンに持つ書き手であると同時に、株式会社ゲンロンを創業し、哲学や批評を取り巻く事業全体(書籍販売、イベント開催、プラットフォーム開発)を手掛けてもいる(「ゲンロン戦記」参照)。
言うまでもないが、山崎さんもフェス主催者や観光の研究をしながら、「SAIHATE LINES」や「homeport」を主宰している。
一般的には、"周辺" と思われるような作品制作のコンテキストを含めて、映像や哲学の本質と捉え、社会の中で、より良い形で存在し続けるための方法を探る、実験的取り組みを続けている人たちであると思う。
そんなことを私もやってみたかった。

もう一つの理由として、研究にまつわる実践が、自分にとってブラックボックスであるという現在の状態を少しでも脱したかった(組み直したかった)ということもある。

しかし、最大の理由は "衝動に駆られたから" である。
すなわち「なんだかわからないけど、やってみたくてしょうがなかったから書いて、売った」というのが、正確な気がする。
先に示した2つの理由も、初めからあったわけではなく、本を書き進めるうちに、事後的に見えてきたというほうが正しい。
興味深いのは、山崎さんが私にメールをくれた理由も「衝動に駆られたから」であったことだ。

衝動という言葉は、「衝動買い」という言葉に代表されるように、あまりポジティブな意味として使われない印象がある。
しかし、衝動に任せて、今まで歩いたことのない環境を歩くという体験、偶然の出会いに身を投じるという体験をすることで、自分のルーツ(地元)が、必然的な物語として遡及的に読み直される(拾いなおされる≒訂正される)ことがあるのではないか。
「本を書いて売る」という体験をした今、そんなことを考えている。


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8/18(金)、はじめて山崎さんとお会いした。
お会いすることを決めたのも、もちろん衝動である。
しかし、お盆の飛行機代は、私に冷静さを取り戻させるような金額ではあったので、何か口実が欲しくなった。
そして、またもや衝動的に「山崎さんと対談して、その内容を本に書いてまとめれば、取材経費ってことでトントンだ!」などと、何がトントンなのかも定かでないままに、口実をうまくつけ、対談させて頂いた。

対談後のテーブルの上。当日は山崎さんが大切にする「郊外の社会学(若林幹夫著)」「家族の哲学(坂口恭平著)」の内容にも触れながら、3時間の対話を行った

こちらの対談の内容は、2月の文学フリマ@広島で販売する予定でいる。
興味のある方は手に取ってほしい。
(執筆した本は、homeportにも置いてもらえたらうれしい)

対談の後、food&bar ZaCaPaでメキシカン料理をいただき、夜の大通公園でコーヒーを飲みながら、対話を続けた。
翌朝は、hato coffeeでモーニングを頂き、北大を散策し、対話を続けた。

hato coffee のモーニング。パンもカフェオレもジャムも、とても美味しかった
羊と北大。街を歩いていたら、突然羊が登場したので、ついはしゃいでしまった
山崎さんの"地元"の話を、"地元"を歩きながら聞いた

その中で気づいたのは、山崎さんの自己紹介や研究紹介は、札幌を歩いたり、お店で食事したり、北大を散策したりすること、すなわち「環境の中を、身体を伴って移動すること」と密接につながっているということであった。話すだけでは、伝わらないところも含め、コミュニケーションしていただき、心から感謝している。

書きたいことは、まだまだたくさんあるが、これくらいで。
そう遠くないうちに、札幌を「再訪」できたらと思う。

(担当:田中)

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