寄せ集めのクラスに夢を求めるより安心して勉強できる場にしよう
最近、Xで小学校の教諭と称する人のポストが大炎上してとうとう削除されました。大きな注目を集めたのには理由があります。小学校が針の筵だった元子どもとして感じることを書いてみます。
発端となった「こんなクラスがいいな」
ポストが存在していたとき抜き書きしました。
「こんなクラスがいいな」というタイトルの元
・一生懸命にする
・忘れ物0
・話が聞ける
・楽しむ気持ちがある
・小さな優しさがある
・一日一笑
・やるべきことをやる
・あいさつができる
よく見かけるようなものです。忘れ物0とは随分厳しい目標ですが、特に目新しいものではありません。各目標の下に詳細があったのですが、書き写す前に削除されてしまいました。それにしても先生って「一生懸命」が好きですね。✨一生懸命努力する姿✨みたいな。
教室という密室で目標を掲げる影響
「これぐらい普通では」「理想を掲げるぐらいいいのでは」という意見もありました。でも、教室は先生という大人一人に子ども30~40人という密室です。子どもは大人の期待に応えようとする心理が働くようです。 親子間でもそうですね。言い方はあれですが先生と子どもたちの間に権力関係があります。
そのような環境で、目標は子どもたちには圧力になります。 ある人いわく決まり事警察が現れると。「あいさつの声が小さい」のようにできない子にダメ出しをするような。あいさつなんて毎日元気にできる方が稀なのに。小学生は残酷でストレート、できない子を突っつきます。 子ども同士できないことを指摘し合って、教室が息詰まる相互監視の場になります。私は小学生の頃、教室でターゲットにならないように息を潜めて暮らしました。
忘れ物をしない、あるいは減らすのはよくある目標ですが、クラスで目標にする場合、忘れた子が責められる構図になりがちです。それが理由で我が子が学校に行けなくなったという方がちらほらいました。私は忘れ物が多い方ではなかったのですが、つるし上げを喰らう同級生を見て相当な恐怖感があったと思います。「ああなったらおしまいだ!」。プラス忘れ物をしたときに母が烈火のごとく怒り狂うことの影響なのか、長らく忘れ物に無用な罪悪感を抱きました。対処法を考える方がずっと生産的なのですが、なかなかそちらに頭が向きません。
クラスは寄せ集め あてがいぶちの人間関係
クラスは同じ地域の同い年の子どもを寄せ集めた場所。 親子で選んで入門する寺子屋などとは違って、所詮あてがいぶちの人間関係です。長時間一緒に過ごすことを求められたら程度の差こそあれ神経疲れするのでは。
社会性を養う
団結
友情
切磋琢磨
✨
どこでもお友達を作れる驚異的な才能の持ち主なら教室で自然に社交できるのかもしれませんが、全員にそれを求めるのは無理があるでしょう。むしろキャラを演じて居場所を確保するのに労力を使う子の方が多い気がします。私が小学生の頃「面白いキャラ」でがんばっていた女子がいました。教室は安心して素を出せる場所にはなりにくいと思います。学校に楽しい思い出を持つ先生は、子ども同士の人間関係に理想を抱いている気がします。
社会性や友情は、様々な年代の子が混じり合い、風通しの良い人間関係の方が学べると思います。教室では硬直していた私ですが、地域の年長の子と秘密基地づくりなんかは楽しみました。親が同い年の友達を作ることに拘るので、自分に対人関係能力が欠けているとずっと思いこんでいました。あとで分かったことですが、年上や年下に比べて同い年の子ども同士の人間関係は緊張を孕み難しいところがあるようです。何だ、私大丈夫だったんじゃないの。
学校の先生になるのはご自分が学校で楽しかった人が多いから、夢を抱くのかもしれません。学校が針の筵だった元子どもとしては、あんなところが楽しいなんてどんな神経してるねんという気持ちですが。行事も子どもや保護者より先生が前のめりなことがあるようです。秋は運動会など行事のシーズンですが、口に出せなくても「そこまでいらんわ」と内心思っている子もいるのでは。
学校は何よりも勉強するところ
例の目標には勉強に関することが一言もありませんが、意図的なのか抜けているのか。
勉強する
人の勉強を邪魔しない
端的にこれだけでよいのでは。
狭く限られた人間関係のなかで「お友達作ろう」とするより、卒業するまでに分数の割り算ができるようにする方がずっと大事です。まともに勉強ができないまま大人になると、
リボ払い
多重債務
マルチ商法
詐欺投資
闇バイト
などに引っかかるリスクが高まります。
「いじめ」は犯罪であると明言して厳格な措置を
例の目標は表面上いい子でいることを求める反面、いじめや暴力に何一つ言及していません。後者の方がよほど重大です。昔からいじめはありましたが「子ども同士のことだから」と不問に付されてきました。いじめられた子が死んでも加害者は罪に問われず、いわば学校は治外法権の場でした。今でも、旭川女子中学生凍死事件のようなおぞましい事件の犯人が罪に問われていません。
とある法律事務所のHPにいじめがどの犯罪に該当するかわかりやすくまとめてありました。抜粋します。
学校生活で普通に起こりうることが刑法によって規定されている犯罪に該当します。未成年は少年法が適用されて少年審判を受けることになります。保護観察や少年院送致などの処分を受けることになります。但し小学生はこの対象になるのかわかりません。
やることは大人以上なのにいざとなると子どもぶる狡猾な子はいます。加害者の「未来がある」とかばう先生がいるようですが、放置しておくと同じことを繰り返して本人のためになりません。同時に加害者にカウンセリングや治療などを施す必要があるかもしれません。家庭でプレッシャーを掛けられた子どもが弱いものいじめをすることがあるので、時と場合によっては家庭への介入が必要かもしれません。
「子ども同士のことだから」で済まさないことが大事。 さもないと安心して教室に居られません。 同時に、子どもや保護者が先生を恫喝するようなこともどんどん司法介入すること。学校では「内内に済ませよう」という力が働くようですが、表沙汰にする方が浄化できます。
大人にとってのいい子を求めている
件の目標リストは大人にとって理想の子ども像です。 「これの何があかんねん、子どものうちに身につけるべきことやろ」と思われた方、きっと真面目で頑張り屋さんですね。
多数の引用のなかに印象的なのがありました。
あの目標の問題点が端的に表されています。あのようなものが非難の的になり、隔世の感があります。私が小学生の頃疑問を持つことは微塵も許されませんでした。生きているうちにこんなものを見られるとは、とても感慨深い気持ちです。感覚を麻痺させて毎日どうにか生き延びた幼い私に捧げます。
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普段はオンラインで数学を教えています。
滋賀県生まれ 京都大学法学部卒
お仕事ブログ https://ameblo.jp/homo-ludens3839
自己紹介
X (旧Tiwtter) 毒親育ちやトラウマのセラピーなどについて語る
https://twitter.com/homoludens496
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