マネの絵画における「モデルニテ」

瀧本みわ先生の「フランスの芸術」、
19世紀のフランス絵画の講義を
半期にわたって受けてきた。
その半期末小論文のテーマは
「エドゥアール・マネの絵画における
『モデルニテ』とは何か」であった。

アカデミスム、パリの『大改造』、
《草上の昼食》《オランピア》
《フォリーベルジェールのバー》の
5つの用語をすべて使いながら、
4000文字以上を書かなければならず、
脚注や絵画の写真を入れ込む必要もある。

僕は三浦篤先生やエミール・ゾラ、
オルセー美術館の館長だった
フランソワーズ・カシャンの本を読み、
課題を克服する論旨を考えた。
当時のマネの絵画への気持ちを知り、
考え方を推し量ることが重要だと思った。

鍵になるのはシャルル・ボードレールが
生み出した言葉「モデルニテ」である。
これは現代性と古典の融合である。
古典も当時は現代であったわけだし、
現代も古典になっていく。
問題は永遠性が存在するかどうかだ。

永遠性があれば醜も美に変わるわけで、
美も醜があればこそという逆説も成立する。
このボードレールの「モデルニテ」の美学を
絵画に昇華して見せたのがマネであると、
僕は考えて小論文を書いた。
ボードレールはマネの理解者であったからだ。

生粋のパリジャンだったマネはお洒落だった。
ボードレールもまた気品のある伊達者だった。
2人はお互いの考えをぶつけあったはず。
美しさとは現代を描いてこそ生まれる。
それも古典を踏まえた上での作品であること。
こうして『悪の華』と『オランピア』が誕生したのだ。

僕の小論文は気がつけば13000字に達した。
論文を実証する脚注は70を超え、
絵画はマネが参考とした古典の名作も入れ
その数30となり作品の大きさや制作年や
所蔵場所などもしっかりと書き入れた。
完成したのは締め切りの2日前だった。