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焚書

本を読むのが好きなのですが、つい最近読んだ本に100分de名著レイ・ブラットベリ『華氏451度』(戸山田和久解説)があります。本書はSF作品で本を所有することが禁止された社会、本を焼く社会です。
そこでは、葬式が行われていません。主人公の先輩にあたる人物は以下のように述べます。
「葬式は悲しみをもたらすし、異教の匂いがする。ならばそれも燃やしてしまえ。人が死んだら五分後には、ヘリコプターで全国津々浦々どこへでも届けてもらえる火葬炉“大炎管へ直行だ。十分後にはほんの少量の黒い塵になっている。故人を偲んでああだこうだいうのはよそう。 忘れてしまえ。ぜんぶ燃やしてしまえ、なにもかも燃やしてしまえ。火は明るい。」
 本を焼き、葬式をせず、故人を偲ばない世界。それは過去の記憶、歴史を学ばない社会でもあります。
それは、反省をしないことであり、現状でよしとする世界であると解説者は言います。
過去を学ぶ、歴史を学ぶというのは、暗記することではありません。歴史的事実を知り、なぜそのことが起こったのかを知る。それは、現代社会のこの状況で、どのように生かせるのかを考えてみることが必要ではないでしょうか。
故人の歴史も同様です。寺院では、法事の終了時に時間が許すならば、故人はどのような方だったか?を聴くようにしています。それは、故人の善き部分を引き継ぎ、悪しき部分を反面教師とするためででもあります。
自己の先祖、ルーツを知ることで、今の生き方を省み、考える。そこから今を生きる。そのための葬儀であり、供養なのだと個人的には考えています。

さて上記のような考えにもつながる本に井出悦郎『これからの供養のかたち(祥伝社新書681) (祥伝社新書 681)』
https://amzn.asia/d/1Pd6U6j

があります。複数の魅力的な僧侶の方々の言葉を用いて、供養のあり方を考えたものです。他の方々の魅力的な言葉には叶いませんが、恥ずかしながら、私の言葉も引用されています。

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