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ひとり親の子どもは、ぐれるのか

先日、息子が小学校を卒業しました。
娘は来春から中学3年生、息子は中学2年生。

来春から晴れて、中学生2人の母親になります。

今日は、子育ての節目と言うこともあり「ひとり親の子育て」について振り返ります。

離婚するときに

離婚するときの大きな不安要素といえば「経済面」と「子育て」でした。ほぼほぼの悩みがこの2つだったと言っても過言ではありません。

経済面の不安はそこはかとないですが、子育ての側面の不安はそうでもありませんでした。漠然とうまくやっていける自信があったんです。なぜなら、何があっても愛してやれると言う妙な自信があったんです。

けれど人間は周りの言葉に踊らされるもの。「大丈夫、片親でもいい子に育つよ」と言う応援の言葉をいただく一方で、「片親だと絶対にぐれる」「子どもが落ちぶれていく」と言う言葉もいくつかいただきました。99の自信より、1の不安に気持ちが引っ張られるのが人間の実態で、私もその1人でした。

「落ちぶれさせたくない」と言う思いから

そんな私が子育てで大切にしてきたことは、なるべく「我が子」と思わず、一人の人として向き合うこと。彼らの人生の主役はあくまで本人で、人生の決定権は本人にあると言うことを尊重してきました。

じゃあ「親としてできることは何か」を考えたときにしてやれることは、今ある暮らしの中で「選択肢を増やすこと」でした。

もちろん、ひとり親と言う金銭的資源、時間資源の中での選択肢は狭い。けれど、その狭い選択肢をさらに親の望む方向に引っ張ることだけは避けてきたんですよね。

とはいえ親というものは...

親とは、我が子に対して保守的になりがちです。安全な選択肢だけを準備して、様々なリスク回避をしたくなります。

けれど、親の望む選択肢からしか物事を選べない人生だと、子どもたちは私のために人生を犠牲にしなくちゃならなくなる。そんな見せかけの愛情だけは、何が何でも避けたい。

それに私自身の人生を振り返っても、どれだけリスクを取るかで世界の広がりが大きく変わる。だからこそ、なるべく早くから「自分で決める」というプロセスを踏むことが大切だと思うんです。

自分で考えて自分で決めたと言うデータベースの積み重ねが、他責の心を生まず精神の自立に繋がる。そう仮説立てて信じています。

我が子たちは驚くこともいっぱいしてきたし、息子に至っては小学校の最後は警察さんにお世話にもなりました。けれども、ぐれてないし落ちぶれてもない。私より立派ですし、いまのところ何となく子どもたちもいい感じです。

最後に...

手前味噌で親バカなのかもしれません。けれど、そうやって私自身が子育てに自信を持ったり、子どもたち自身が自分の意見に自信を持ったりすることはすごく意味があることだと思っています。

人が苦しくなったときに持ち堪える術のひとつとして、自分に対しての「不安」と「自信」のどちらを持つかで大きく違うが生じると思っています。自信を持つことで「助けて」が言いやすくなるし、人が集まってくる。

人が自信を持つことはそれほど大きなこと。けれど自分自身で自信を持つのってすごく難しい。だから私は、相手がより輝くような言葉を発せる自信に満ちた深い人間になりたい。

だから一つ言葉を置いておきましょう。

様々な理由で今シングルマザーになってしまった方々へ。泣くほど不安を持つのは我が子を思うが故のこと。その愛情があればきっと大丈夫。私も何とか大丈夫でやっています。自信を持って!

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