『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』『Heimsuchung』(紹介する人: 見形プララット かおり)
英日・独日翻訳者の見形プララット かおりです。政治学を学んでいた大学時代から中東欧の民主化に関心を持ち、2002年から2年間かけてドイツ東部のポーランド国境にあるフランクフルト・アン・デア・オーデル(Frankfurt an der Oder)で欧州研究の修士課程を修めました。2004年にポーランドのEU加盟を祝ってオーデル川沿いで盛大に打ち上げられた花火の光景を、今もなお鮮明に覚えています(縁あって2007年から住むようになったイギリスでは逆に、2020年のEU離脱という残念な歴史的瞬間に居合わせることになりましたが)。今回ご紹介する2冊は、中東欧やドイツ東部の近現代史がテーマであるという点に興味をそそられて入手したにもかかわらず、生きていくうえでの根本的な姿勢まで学ぶことにつながり、人生の道しるべとなってくれた本です。
嘘つきアーニャの真っ赤な真実
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は、ロシア語会議通訳者として名高い米原万里が、10代前半の多感な時期にチェコスロバキアの首都プラハで「ソビエト学校」に通った経験と、その後30年余りが経過してから元クラスメートたちと再会するまでの経緯を描く、小説仕立てのノンフィクション作品です。
旧ソ連がチェコスロバキアなどの衛星国に置いたソビエト学校には、ソ連出身の子どもたちはもちろん、社会主義体制下にあるさまざまな国から来た生徒たちが通っていました。インターナショナルスクールという言葉がそっくり当てはまりますが、教育に使われる言語も、生徒間の共通言語も、もちろん英語ではなくロシア語。米原は、日本共産党に所属する父親が国際的な共産主義理論誌『平和と社会主義の諸問題』の編集局員としてチェコスロバキアに派遣されたのに伴い、1960年から1964年まで在プラハ・ソビエト学校に在籍しました。
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』には短編が3話収録され、少女時代の「マリ」がソビエト学校で出会ったクラスメートが1人ずつ、各ストーリーの主人公に据えられています。1960年代に遠い外国で社会主義教育を施す学校に通ったという部分だけでも、型破りなエピソードが山ほどあります。しかし、この本が読者の好奇心を一段と強く引きつける要素と言えば、中年になってからのマリが「あの人は今」さながらに旧友3人を探し出し、訪ねていくという展開にあるでしょう。ソビエト学校ではとても仲が良かったのに、帰国後は新たな日常に追われる中で音信不通になってしまったギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。学生時代に残された数少ない手掛かりを頼りに、マリが日本からはるばる旧友を探す旅に出ます。
とはいえ、この本は旅行記というより、推理小説のように展開します。人探し自体に探偵物の要素があるだけでなく、元クラスメートの消息をたどるという行為を通じて、少女時代のマリには断片的、あるいはぼんやりとしか真相が分からなかった出来事の数々が、歴史の大きな流れの中に位置付けられ、新たな意味を伴って浮かび上がってきます。例えば、表題作の主人公であるアーニャ。おおらかで正義感にあふれ、友達に優しく、ちょっと鈍くさいところすら愛らしい女の子です。なぜ彼女は、社会主義下での万人の平等を信じていながら、豪華な家でお手伝いさんを雇う贅沢な暮らしに疑問を持たなかったのか。なぜ「純粋なルーマニア人ではない」という言葉に激しく反発したのか。なぜ大小さまざまな嘘をつかずにいられなかったのか。
13歳にして「ソ連共産党機関紙『プラウダ』と日本共産党機関紙『アカハタ』とを目を皿にして読み較べていた」という聡明なマリは、少女時代にも彼女なりに答えを持とうとしていていました。きっとルーマニアはとても豊かな国なのでは? 母国ルーマニアで育っていないことにコンプレックスがあるのでは? 嘘は豊かな想像力の源だったのでは?
マリは1995年にルーマニアの首都ブカレストを初めて訪れ、現地で案内役を頼んだ青年とのやり取りや、アーニャの家族との再会を通じ、疑問の一つ一つに対する本当の答えを知ることになります。奢侈を尽くしたチャウシェスク大統領と、困窮した国民生活の落差。ユダヤ人が立身出世を目指すうえで直面する「ガラスの壁」。そういったルーマニア社会の実態を学ぶと同時に、アーニャの両親が党幹部として権力にひたすら迎合したこと、アーニャ本人は幼い頃から周囲への過剰適応という形で保身術を身につけたことに気づき、複雑な思いが芽生えます。自分だけが得られる特権を正当化するために現実の見方をゆがめ、「呼吸するみたいに」嘘をついてきたアーニャ。マリは大人になっても変わらない旧友に半ば失望しつつ、うっすらと見え隠れする良心の呵責を感じ取ります。同じ両親の下に生まれながら自分とは正反対の生き方をたどり、経済的な成功や社会的地位にしがみつかない兄ミルチャのことを、アーニャが心のどこかで常に意識していなかったはずはありません。
こうしたアーニャとの対比において、ミルチャだけでなく、同じソビエト学校に通ったリッツァやヤスミンカが社会主義体制の矛盾に立ち向かい、そのことで不利な立場に追い込まれても信念を曲げず人生を切り開き、派手さはなくとも自分なりの居場所を築き上げてきたことの清々しさが際立ちます。
この本を手にするたび、自分の美意識がどこにあるのか、自分の美意識に恥じない生き方ができているのか、それをまっすぐに問われているように感じます。20代後半から40代にかけて進路を迷うたびに何度も読み返してきた作品です。
Heimsuchung
日本文学は近年、女性作家の作品が次々と出版され、英語をはじめとする諸外国語に翻訳されて世界でも高い評価を受けています。実はドイツ文学の世界でも同様に、女性作家の国内外での活躍が目覚ましく、例えば2016年にトーマス・マン賞を授与されたジェニー・エルペンベックの『Gehen, Ging, Gegangen』が、日本でも浅井昌子訳『行く、行った、行ってしまった』として白水社から刊行されています。『Gehen, Ging, Gegangen』は、アフリカ大陸で住む場所を追われてベルリンにたどり着いた若者たちと、定年を迎えたドイツ人教授の交流を描く物語で、EU全体で「難民危機」が叫ばれた2015年、まさに時代を反映する形で出版されました。
一方、私が2冊目としてご紹介する『Heimsuchung』は、そのエルペンベックが20世紀初頭から終わりまでという長い時間軸でドイツ東部の歴史を描き、2008年に世に送り出した作品です。激動の近現代史にゆさぶられる人々の暮らしが、ブランデンブルク州の湖のほとりにある1軒の別荘から定点観測されるという設定を特徴とします。残念ながら邦訳は未刊ですが、英訳は『Visitation』(Susan Bernofsky訳)の題名で出版されています。
ドイツ語で「家」や「故郷」を意味する「heim」と、「探す」を意味する「suchen」。この2つが組み合わさると不思議なことに、「(災難などに)見舞われる・襲われる」という意味の動詞「heimsuchen」になります。その名詞化である「Heimsuchung」(「ハイムズーフング」と発音します)は「不幸」「災難」「神から与えられた試練」を指します。このタイトルが暗示する通り、物語の舞台となる土地には重苦しい出来事がつきまといます。別荘が建つ前、そのあたり一帯を所有する地主一族の末娘として生まれ、自由な恋愛を許されずに自殺した女性の悲嘆がこだまし続けるかのように。
ベルリンから訪れた1人の建築家は、湖のほとりの一区画を購入し、妻とともに夏を過ごす理想の住まいとすべく、間取りから内装の細部にまでこだわった別荘を建て始めます。時はナチ政権下。隣の区画を所有していたユダヤ人夫婦は、土地を売って国外に脱出する準備を進めていたところ、絶滅収容所に連行されます。建築家の妻は第2次世界大戦末期、身を隠していた別荘の一部屋で、進駐してきたソ連兵に見つかってしまいます。建築家自身は戦後、東独政府から追われて西独への逃亡を余儀なくされます。
こうした各章の間に、広い庭の手入れを黙々と続ける庭師の描写が挟まれることで、時代の変遷に翻弄される運命が、日常の地道な営みと結びつけられます。庭師は毎年、季節が巡るたびに、花壇を作り、雑草を取り除き、木々を剪定し、薪を作って冬支度をします。土地が新たな所有者の手に渡れば、新たな造園や建物の修繕、改築を手伝います。ソ連軍が去った後は植木を刈り込み、地面を耕し、ジャガイモを植え、しばらく主がいなくなれば住み込んで世話をします。そしてまた新しい所有者が現れると、再び庭師として仕え、しかるべき季節に、しかるべき手入れを続けていく。庭師の存在が、1世紀近くにわたって展開するさまざまな物語を1本の糸に紡ぐ役割を果たしています。
ドイツが今日よりもっと東方に広がっていた頃の記憶、ナチ時代の記憶、戦争の記憶、東西分裂時代の記憶と、決して軽々しく口にできない体験と思いを抱えた人々が順番に身を寄せ、そして去っていく別荘。歴代の地権者たちに仕えた寡黙な庭師もやがて老い、この世を去ります。日々の暮らしを見守り、数々の悲劇を見届けた別荘も、最後には解体される運命を迎えます。
私がこの本を手に取ったのはちょうど、15年間住み慣れたロンドンからイングランド北部のヨークへ引っ越した頃でした。1960年代に建てられた新居は、満を持して購入に踏み切ったとはいえ、お世辞にも立派とは言えず、価格との折り合いで端から妥協した部分も、住み始めてから表面化してきた問題もあり、ぜいたくなことだと思いながらも不満を完全には拭いきれずにいました。まずは無事に引っ越せれば十分と思っていたのに、一刻も早く「理想のマイホーム」にしたい、そんな欲に駆られていました。ところが『Heimsuchung』を読み進めていくうちに、きっとこの家の目線からすれば、滑稽でたまらない姿だろうと思い至るようになりました。長年住んだ前の持ち主が苦心の末に重ねたリフォームや、多少の不具合をだましだまし大事に使ってきたであろう家具や設備を、よその土地から引っ越してきたばかりの夫婦が「気に入らない」とドタバタやりだす。手の込んだ配線を片っ端から引っこ抜き、釘穴の跡を嘆いたかと思えば、今度は自らぎこちない手つきでドリルを持ち出し、思い通りの下穴が開かないと壁に悪態をつく――!
住まいを我がものにしたつもりでも、やがて去るのは自分、残るのは建物あるいは土地であり、しょせん現世は仮の宿りにすぎない。『Heimsuchung』を読み終えた後、目の前のことに汲々としていた視野がぐんと広がりました。それと同時に、住居や庭を何世代にもわたって継承していく行為の核となるのが、日々の地道な手入れであると気づかされました。時代の流れや縁の巡り合わせで自分がたどり着いた場所を、次の持ち主へ、ひいては次の時代へ、どのような形で残していきたいか。それを今、考え始めています。
■執筆者プロフィール 見形プララット かおり(みかた ぷららっと かおり)
英日・独日翻訳者
国際基督教大学(ICU)教養学部社会科学科卒業後、ドイツ東部フランクフルト(オーデル)のヴィアドリナ欧州大学で欧州研究の修士号を取得。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)日本版などで社内翻訳者を10年以上経験した後、フリーランスに。英国翻訳通訳協会(ITI)正会員、日本証券アナリスト協会認定アナリスト(CMA)。2007年から英国在住。2022年9月に刊行された『High-Impact Tools for Teams プロジェクト管理と心理的安全性を同時に実現する5つのツール』(翔泳社)が初の訳書。
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