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父の本棚

父といえば椎名誠なのだ。


読書家な父の趣味で、家には本が溢れていた。

歴史小説が一番多かったように思うが、新書や紀行文、現代小説、エッセイ、アンデルセンにグリム、トルストイなど古今東西の古典や詩集……ともかくも多くの本が所狭しと置かれていた。

他所の家からみても異様だったようで、友だちを家に呼べば、たいてい本の多さに驚かれた。

たいして広くもない家に本を保管するために、壁という壁に天井まである本棚を置く。

あげく一階と二階をつなぐ階段の両端にまで、背の低い本棚を設置する始末。廊下を曲がれば本棚に当たるといわんばかりのインテリアであった。


父の本棚は良い遊び場だった。
所蔵の本たちはわたしを飽きさせなかった。1日中本棚の前に座って本を読むことができる。

本棚に並べられた本のタイトルを眺めて、気になったものを取り出す。あらすじを読んだり、ないものは中を開いて読んでみる。

「こんなもの読んでんのか、父さん。」

本の内容が、知っている父とかけ離れていればいるほど「へぇ」と、なんだかむず痒いヘンな気分になる。

そんな風に父の本棚から気になったものをこっそり読んでは、勝手に父のことを考えたりしていたわけだが、

ずっと昔から存在を知っていながら読んでいない作家がいる。

それがシーナこと椎名誠氏だ。

シーナ氏は編集者を経て写真家、映画監督をつとめ、『さらば国分寺書店のオババ』を始めとしたエッセイやSF小説、紀行文を執筆している。『シーナ』は読者から親しみを込めて呼ばれて(書かれて?)いる愛称みたいなものだ。

実は父の本棚に興味を持った最初の本が、代表作『さらば国分寺書店のオババ』だ。

そこそこ教育熱心だった父と一緒に理科の問題集を説いていたとき、真横にある本棚からこの衝撃的なタイトルが飛び込んできた。

「オババだって、そんな汚い言葉で女の人を表現しているなんて・・・!」

「お父さん!この本なに!」

まだ純粋な少女であったわたしは、「オババ」などという言葉が本のタイトルになっていることに驚愕と興奮を覚えたのだ。父は勉強中だからちょっとだけだぞ、とシーナの話をした。

そんな訳で父の本棚との付き合いが始まったのはシーナのおかげと言っても過言ではない。

しかし、前述の通り『さらオバ(長いので略した)』どころかシーナの本は一冊も読んだことがない。

意図して読まなかったのではない。でも読んでこなかった。それはシーナと父をダブらせているからだ。

歳をとってから子どもをもうけた父はそろそろ70を越える。1944年生まれのシーナも今は74歳。

70を目前にして、カメラ片手に僻地に好んでいきたがる旅行家であること。
妻と子以外にはター坊と愛称で呼ばれていること。
山と酒と女を愛していること。今だに実家に電話すると、3回に1回は二日酔いで電話に出てくる。それはさておき。

いろいろと似ている一面をならべたが、あってもなくてもそんなに関係ない。ともかくわたしは勝手にシーナを父との砦にしているのだ。

父の日をテーマに原稿を書くことが決まったとき、シーナの本を読んでみようかと思った。

いつぞやに帰省したときに『さらオバ』を父の本棚から拝借してきていたのを思い出した。どうやらいずれは読む気があったようだ。

一人暮らしの部屋の本棚から『さらオバ』を出してきた。ちょっとページをめくる。

……やっぱまだいいや。

今日もまた「さらオバ」は本棚に戻された。砦の崩壊はまだ先のようだ。

編集:円(えん)さん

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