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子育てが最も大変だった頃の一日の流れ

子どもたちが二人とも小学生になって、日々の生活が急に楽になって、ちょっと落ち着かない。

子どもたちを保育園に預けてたころは、毎朝5時か5時半ぐらいに起きて、顔洗って髭剃って、朝食の準備。6時に妻を起こし、6時半に子どもたちを起こす。

子どもたちに朝食を食べさせ、妻と手分けして歯を磨いてあげて、顔を拭いて、オムツを替えて、着替えさせる。

この頃は妻の方が出社時間が早かったので、妻が先に家を出る。僕は全速力で自分の歯磨きと着替え。息子を抱っこ紐に入れて抱きかかえる。毎朝やってるので、息子を抱き上げて抱っこ紐に収めて背中のバックルを留めるまでの動作が僕はすごく速くて、よく人に驚かれた。

息子を抱っこし、娘の手を引いて家を出る。このタイミングで息子が抱っこ紐の中でウ◯チをする(これを我が家では「ウ◯チ攻撃」と呼んでいた)こともあり、そうなったら僕は遅刻確定だ。

そして、自転車で保育園へ出発。娘は後席に乗せて走る。

この頃、息子が1歳で娘が4歳。この年齢の組み合わせで他の家庭だと、保育園に着いたら上の子はほったらかし。下の子の部屋に行って、冬なら上着を脱がせたりとか身支度をしてあげて、オムツや着替えの補充をして、上の子のところに戻ったら自分で身支度すませてて、あとは二人まとめて預けるだけ、っていう流れ。

でも、娘はそんなことできなかった。僕は保育園に着いたら子どもたちを順番につかまえて身支度をさせ、ふたりを預けてから下の子の部屋に行って、オムツや着替えの補充。他の家庭よりだいぶ時間がかかった。特に娘は保育園に行くのにあまり乗り気でなかったから、朝は全然言うことを聞いてくれず、手間取った。でもどんなに気が急いていても、なるべく穏やかな声と表情で話しかけるように努めていた。大声で叱ってしまうと、娘はその後2, 3日は尾を引いて、いろんな行動に支障が出ると分かっていたので。

そして子どもたちを預けて保育園を出たら、人が変わったように猛然と自転車をぶっ飛ばして駅まで走り、電車に乗り、乗換駅でも常に駆け足。急ぎに急いで、ギリギリ会社に間に合うかどうか、という生活だった。

お迎えは、妻が保育園へ。子どもふたりを連れて帰宅し、晩ご飯とお風呂。お風呂から上がると、息子は必ずお乳をせがむ。やむなく授乳が始まり、妻は動けなくなる。

娘はこの頃、家では言葉を発するものの、ほとんど独り言で、親に向かって自己主張することが少なかった。妻が息子に吸い付かれて動けなくなると、娘は妻に甘えにいくでもなく、部屋の隅でひとりでしょんぼり遊んでいた。この様子を妻はとても心配し、僕になるべく早く帰ってきて欲しいと言った。

なので僕は平日の半分ぐらいはほぼ定時で退社していた。急いで帰れば、ちょうど妻が授乳しているぐらいのタイミングで家に着く。着替えて、妻から息子を受け取る。僕が受け取ると息子は泣くけど、息子を縦に抱っこしてしばらくあやすと泣きやんで、寝始める。息子はこの頃、縦抱っこじゃないと寝ない子だった。寝付いたら頃合いをみて、横抱きにする。タイミングが早すぎると、横抱きにした瞬間に泣き始めるので、また縦抱っこからやり直しになる。

横抱きにして泣かなくても、そのまま僕が椅子に座ると泣き始める。なので僕は息子を左手で抱いて軽く揺すりながら、立ったまま右手だけで晩ご飯を食べていた。食べ終わった頃には息子は深く寝ているので、抱っこ紐に入れておんぶする。おんぶしたまま食器洗ったり、ゴミをまとめたり、できる家事をする。

一方、息子から解放された妻は、娘のケア。一緒に少し遊んで、一緒に布団に入って寝かしつける。娘が寝る頃には、疲れ切った妻はたいてい一緒に寝落ちしていた。僕はそんな妻の横に息子をそっと寝かせ、娘を抱き上げて別室のベッドに寝かせる。息子は夜中に何度かお乳をせがむので、妻が息子と、僕が娘と添い寝するという担当だった。

僕はその後、洗濯物を干したりとか、残った家事を片付け、風呂に入って、寝る。

こういうわけで、僕が妻より先に起きて、妻より後で寝るという、あの歌と真逆の生活だった。と言っても、妻は夜中に何度か息子に起こされるので、体感的な睡眠時間は僕より短かったかもしれない。

ちなみに僕は、定時帰りの日が多くて仕事は遅れがちだったので、残業すると決めた日は遅くまで仕事していた。妻が子どもたちを寝かしつけた5分後に僕が帰宅しようが、僕の帰宅が午前様になろうが、妻の負担は同じなのだ。中途半端な時間に帰っても意味はない。妻からも、残業する日は「仕事が終わるまで帰ってこなくていい」と言われていた。

つまり平日は、定時で帰って子供の世話をして家事をするか、遅くまで残業するかの二択だった。疲労困ぱいだった。妻も僕もよく生き抜いたと思う。

それからいろいろあって、ついに二人とも小学生。8年間、毎朝子どもを保育園に送り続けたけど、それがついに終わった。体力的に急に楽になって、なんか地に足がつかない、ふわふわした感じだ。以前のことをいろいろ思い出してしまうのも、余裕ができたせいかもしれない。

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