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没ネタ集、または小ネタ集、または小ネタ集ではない何か

没ネタ集

noteでたまに見る書式。やってることは小ネタ集。記事として投稿しているのに没とはこれ如何に? ただ、没ネタと言いたくなる気持ちは分かる。

「小ネタをぽつぽつ発信するだけならXで良いんじゃね?」という懸念は、多くのnoteユーザーにとっての呪いである。noteではそこそこの文量&一貫したテーマで記事を投稿するべきだ。そんな漠としたイメージが「没ネタ」という後ろめたい語彙を選ばせ、「集」としてボリュームを担保させようととする。

つい長文を垂れがちな僕は、Xよりnoteの方が向いてるなと感じることは多い。ただ、究極的にはXのフォーマットに適応できるくらい文章の要領を改善すべきなのかも、とも思う。

noteって、書かなくて良い蛇足、考えなくて良い余分まで、やたら肥大化させても肯定できてしまう悪い魔力がある。そんな強迫観念はダッシュボードの数字で多少は報われることもあるが……それすら麻酔なのか栄養なのか判別は難しい。

果たしてこの胡乱な小ネタ集は、逃避なのか、はたまた適材適所なのか。一つ言えるのは、文章をダラダラ書くのは楽しいということだ。

コーヒーとエナドリ

朝に目覚めのコーヒー一杯を嗜む。
朝から目覚めのエナドリ一本をキめる。

前者からは優雅な、後者からは限界社会人的な印象が受け取れる。カフェインという覚醒作用のある中毒性物質の摂取という点においては大差なかろうに、とはさすがに過言だろうか。

コーヒーとて曲がりなりにも依存症というリスクを孕んだ飲み物だ。酒・たばこ程とまでは言わずとも、そのリスクはもっと意識されるべきじゃないかと、重度のカフェイン中毒者を身近で見ていた人間としては思ってしまう。

しかし現代において、コーヒーの愛飲に後ろめたさを感じる人は少ない。その一般感覚こそ、コーヒーという商品がポジティブなイメージ戦略に成功している証と言えるだろう。

一方で、味が好きでエナドリを飲んでいると「お疲れ?」と聞かれたりする。こちらももっと嗜好品としてのイメージを強く売り出して欲しい。適量なら健康に害が無いのも同じなんだから。

MOD文化

ユーザーによるデータの改造行為が肯定的に受け入れられている事実に、一介のゲーマーとして時折信じ難い気持ちになる。もちろん良い意味で。

世間を知らぬ幼少期の感覚では、チートにしろバグ技にしろ、多少の後ろめたさは伴っていたものだ。一方でMODはやってること自体は近しくとも、あの秘密の危険物を取り扱うような、悪巧みを画策するような、仄暗い感覚は無いように思う。

無論、厳密にはMODとチートは別物だ。Wikipediaにも語義の違いは記載されている。とはいえ、MODの種類だって多岐に渡り、まあ、色々とグレーな部分を内包する製作物だって沢山ある訳で。それらをチートとキッパリ区分して「完全にクリーンです」とはお世辞にも言えないのが実態ではあろう。

だからゲーマーにとって、データ改造関連に対する善悪の判断基準って、実は法律的な見解とはややズレている節があるのだ。言ってしまえば「他人に迷惑をかけるか否か」に終始している。オンライン要素のあるゲームでのデータ改造行為は不正として厳しく糾弾・処罰される一方で、スタンドアロンのゲーム環境なら自己責任の範疇であり、他者が批判する筋合いは無いといった具合だ。

この価値基準はかなり印象論や風潮に依っていると思う。正しさとはつくづく絶対的ではないと感じさせる身近な例である。

楽な努力

気温の寒暖や花粉に脅かされずに有酸素運動がしたいと思い、ステッパーを購入した。横長の段ボール程度の大きさは取り回しも良好で、今のところ埃を積もらせずに済んでいる。

問題は使用タイミングだ。僕は必ず週に3回は筋トレをしているけれど、僕は必ず週に1回は筋トレをサボっており、そのサボり日がステッパーによる有酸素運動日に置き換わった形なのだ。ぶっちゃけ適度に体を動かして健康ポイントを稼げれば何でも良いので、トレーニングの種目が全然違うだろというツッコミは控えていただきたい。

さて、僕はテイの良いサボリ口実を得てしまったのか、はたまた本来は無だったサボリ日を活用できるようになったのか、そしてこの場合におけるポジティブ思考とはどちらだろうか。

ちなみに、足踏みをする程度の運動は明らかに筋トレより簡単で、1~2時間なら大した苦もなく継続できてしまうことも分かった。こんな楽な努力によって、サボった日に本来抱いていた後ろめたさを払拭できてしまうのは考え物である。

終わりに

小ネタ集に「終わりに」を設けるべきではないと思う。内容がオムニパス的にちゃんと(?)独立しているのなら、統括はただの蛇足だからだ。それに、普通は小ネタ集に芯の通った共通テーマなぞ無くて良いのだ。

そういう意味では、この小ネタ集は失敗で、だから没なのである。こんな作りにしてしまって、今後また小ネタ集を書きたくなった時、一貫性を欠くことに後ろめたさを感じてしまうかもしれないじゃあないか。


冷静になるんだ。