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ソ シ ャ ゲ 愛 憎

ソシャゲくんのことは好きだけど嫌いだよ。この愛憎感情は、多くのソシャゲプレイヤーにも心当たりがあると勝手に思ってる。デイリーだの育成素材だのガチャだのスタミナだの、今となっては慣れた(ゲームを楽しむにあたって致命的な否定材料にならない程度には飼いならされた)けど、間違っても諸手で歓迎してる訳じゃねぇからな、という反骨心。その残り火を未だに捨てきれずにいるのは、きっと僕だけじゃない筈だ。

とりわけガチャシステムに関して、複雑な心境であるユーザーは少なくない気がする。リアル金銭の絡む問題はセンシティブな議題になりがちだ。個人的にはデイリーや素材集めみたいな虚無作業が定番化している問題に比べれば、取沙汰されているほどガチャに嫌悪感はないのだけれど……。

何かと世間で憎しみの槍玉に上がることの多いガチャシステムだが、実は意外なる良い側面もあるかもしれない。ええと、例えば、頑張ってゲームを100時間練習して俺TUEEEするのと、頑張って100時間働いた給金で課金して俺TUEEEするのでは、後者の方が社会貢献度が高いと考えることができる。ガチャとはやり込み廃人ニートではなく社畜をこそ肯定するシステムだったのだ。

……というのは冗談だけど。そもそも最近は対人要素を廃したソロゲーが増えてきているから、他プレイヤー相手に俺TUEEEする機会自体が少なくなってきている気がする。「ソシャゲなんて札束で殴り合うだけのゲーム」という揶揄も失効しただろう。勝ち負けに由来する課金圧って、いつの間にか結構緩和されてきているように思う。ウマ娘は知らん。

そう、2023年現在において、ガチャ……というかソシャゲ作品の運営方針は少しずつ様変わりしてきているのだ。少なくとも、この界隈の台頭当時に蔓延していた無法な「やったもん勝ち」感は鳴りを潜めつつある。ガチャは悪い文明、というミームの元ネタとなったFGOも数年を経て結構なシステム改修が入ったし、ついこの前だって、アトリエの新作ソシャゲが10連ガチャを6000円に設定して大批判を受け、リリース2週間足らずで結局3000円への値下げをしていた。

これはユーザー間において「今どき天井のないガチャはちょっと……」「10連=3000円が普通だろ」といった一般感覚が育まれ、作品の垣根を越えて基準が統一されてきたことの表れだ。そもそも10連ガチャ3000円だって大概どうかしているが、どうかしているなりに、界隈内で特有の秩序というものが築かれつつあるのだ。

こういった価値感の標準化は、何もガチャシステムに限った話ではない。グラブルの古戦場のようなリアルタイム・長時間の張り付きを要求する遊び方はもはや下火だし、リバース1999が早々に実装を発表したように、オートバトルモードは今やあって当然の機能だ。シナリオ部分とゲーム部分を切り離して、それぞれのみを楽しみたいユーザーが参入しやすい配慮をするゲームも増えた。ゲームをインストールせずともyoutubeでストーリー全部楽しめますよ、と公式でアピールするプロセカはちょっと極端な例だけど。

そんな具合で料金形態や運営方針のデファクトスタンダードが形成されつつある一方で、未だ解決に至ってない課題も山積みではある。ソシャゲって新キャラ(ガチャ)の定期更新が必須だけど、スタメン枠の制限から長期プレイヤーほどガチャを引く必要性が薄くなってしまうし、シナリオ展開だってキャラクターの販売促進CMとしての役割を担うことを余儀なくされる。そしてキャラ総数が増えれば登場機会の順番待ち・交代制は不可避となり、そもそも本筋の物語自体が群像劇・オムニパス構造の作品ばかりになってしまっている。

個人的にはそれらに加え、シナリオ上で登場しない無関係な編成キャラで戦闘するのだって、結構気になっている点だ。これもガチャ商法の成立を優先したことによる間接的な弊害だろう。ブルアカとか、メインクエ進行時は固定キャラというケースのゲームも存在するが、今度はゲーム性が犠牲になりがちだから結局は没入感とのトレードオフでしかない。

勇者が他人の家のタンスを漁るとか、古来よりゲーム都合による黙認すべき不自然なんてものは数多存在していたものだ。だから何を今さら、と思うかもしれない。けれどソシャゲ特有の「シナリオと戦闘画面の乖離現象」もまた、それらの不自然に仲間入りし、スルーして当然という認識が広まってしまうことは、少し物悲しくある。拙者、RPGのシナリオ展開に沿ってパーティメンバーが入れ替わる仕様が大好き侍と申す故……。

だったらソシャゲすんなよは紛うことなき正論である。けれどスターレイルのようにコンシューマー顔負けのクオリティの作品も頭角を現し始めていることだし、些細な不満点を理由にジャンル単位でまとめて毛嫌ってしまうのは勿体なく感じるのだ。

まあ、そんなこんなで思う所は色々あるけれど、話を戻すと、ソシャゲってすっかり社会に根付いたようで、細部の仕様や方針は未だ淘汰と洗練の真っ最中にあると思う。これをソシャゲ特有のクソ要素の醸造と思うか、創意工夫の研鑽による興味深い変遷の様相と思うか次第で、いま抱いている感情が単なる憎しみか、あるいは愛憎かの判別がつくのやもしれない。

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