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「やってはいけないこと」と「絶対にやってはいけないこと」

人間社会には沢山の決まり事がある。
明確にやってはいけないことは「犯罪」として定義されているし、そうでなくとも、生きる上で知っておくべきタブーやNG言動は多い。更に複雑で厄介なことに、この社会規範には「やってはいけないこと」と「絶対にやってはいけないこと」が存在しているのだ。

何を言っているんだ、と思うかもしれない。

厳密に……というか当たり前のことを言えば、やってはいけない悪い行いに「絶対に」も何も無い筈だ。でも実際の所、上述の表現でも僕の言わんとするニュアンスは伝わるだろう。人殺しや強盗は絶対にやってはいけないことだし、道端に落ちている小銭を拾ってポケットにしまう行為(※犯罪です)は、まあ、一応、やってはいけないことだ。これはつまり社会通念の話であり、道徳的な話でもあり、捉え方によっては大概グレーな話でもある。

常識のある大人であれば、この線引きは感覚的にでも把握しているものだ。頭では「悪いこと」だと自覚しつつも、社会秩序を致命的に害さないラインを見極めて、リスクを承知した上で怠けたりズルしたりすることもあるだろう。

例えば、違法アップロードされた作品を見るとか、浮気や不倫をするとか、転売屋からグッズを買うとか、仮病でズル休みをするとか、リモートワーク中にサボるとか、道端の小銭を貰ってしまうとか、横断歩道で信号無視するとか、指定日以外にゴミを出すとか、カラオケに飲食物を持ち込むとか……。

いや、ほんとに全部ダメなことなんですけどネ。僕はどれ一つとしてやったことないですけどネ。あるいは良識ある「あなた」もまた違うと言うかもしれない。そういうことにしておこう。この手の本音の開示と体裁の繕い度合いもまた、線引きの一つだ。

ともあれ、社会全体という単位で人々を見渡してみれば、ちょっとイリーガルな近道に進むことを考え、行動に移してしまう人間が一定数居そうだなということは想像に難くない。そして、その全てが根からの悪人という訳でもあるまい。表立って公言することは無くとも、誰しも全人類が清廉潔白などとは思っていないだろうし、それでも世の中は崩壊せず何だかんだ機能しているのだ。認識の甘さから検挙される人が後を絶たない社会でもあるけれど。

決して水面下の悪事を肯定する意図は無いけれど、こういう薄氷のバランス感覚ってどこで学ぶんだろうなと疑問に思うことはある。少なくとも体系的な教育の中で身に付けた覚えはない。もっと、自分の過去の体験を顧みてだとか、周囲の大人から倫理観や信念を共有してもらったりだとか、そうやって生きていく中で、少しずつ汲み取って己の血肉にしていく類のものなのかもしれない。

少し話題が飛躍するんだけど。
だから、例えば子供に対して、そういう経験則の積み重ねの過程をすっ飛ばした上で「適当に生きてても意外となんとかなるぜ」みたいなことを安易に吹聴するのは考えものだなとも思う。危ないというか、ちょっと無責任だと感じてしまう。

教科書通りの綺麗事だけが現実的な教育ではないとしても、物事の道理や道徳観念、介在しているリスクをきちんと理解させることもまた大事なことだ。「こんな筈じゃなかった」と子供に言わせないことも、大人の役目だろう……って何の話だったっけ。

冷静になるんだ。