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母と兄と息子と

11月末、誕生日を迎えた。
この日は母と兄にありがとうと伝えたい。

ありきたりだけど、お母さん私をうんでくれてありがとうと。
そして兄にはお腹の中でずっと一緒にいてくれてありがとうと言いたい。


私は二卵性の双子だったそうだ。

その事実を両親から聞いたのは10歳になった頃だったのだろうか。

「おまえは双子で、兄ちゃんがおったんや。」

混乱したはずだがよく覚えていない。
ただ一つだけ、たしかに記憶している感情がある。

嬉しい。
そう思ったのだ。
お兄ちゃんがいたんだ嬉しい、と。

母のお腹の中で十月十日。
同じ釜の飯ではなく、同じ羊水を飲んだ仲間。

兄というからには私より先に外の世界を見たのだろう。
お先にと手を上げて…そんな想像をしてしまう。


私より先に母のお腹を出た勇敢な兄は、たった2日で息をしなくなってしまった。


母は私が19歳の頃、亡くなった。

のちに父が教えてくれた。
お母さんは兄ちゃんにずっと申し訳ないと思って生きていたと。

私も母になり、やっと少しは分かるようになったような気がする。
子を失う辛さ。
どうしようもなく、からだの一部分を引きちぎられるような痛みを伴うものに違いない。

それは私が母をなくした時と同じくらいだろうか、それ以上なのかな。
わかったような気になってもやっぱりわからないな。


兄の命日。
私の誕生日の2日後に長男が生まれた。

生まれ変わりというものを信じているわけではない。
長男は私と夫のこどもなので兄と重ねてしまうのは夫に申し訳ないような気もする。

でも長男とはきっと縁があったのだ。


兄の分も、母の分も、一生懸命生きますなんて大それたことは言えない。
だから私が息子に願うことを考える。

元気でいてほしいとか、夢をかなえてほしいとか。
でも元気がなくなってしまっても、夢にやぶれてしまっても息子は息子で。
究極、生きていてくれたらそれでいいなと思う。
あ、警察にお世話になるようなことはしてほしくないな。
それくらい。

だから母と兄へ。
私は生きます。
生まれた瞬間、一番近くにいてくれてありがとう。

そして息子へ。
あなたの存在そのものが私の生きる力になります。
どうか私よりも長く生きてください。


母もそう思ったのだろうかと思い、また泣きたくなるのはきっと冬の空気のせいだ。







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