日記を書けなかった原因〔ここみ日記📔現在〜〕

2024.3.30

日記なのだからとにかくその日あった事書けばいいのだと思う。だけど、心が苦しい日、そうゆう日に限ってモヤモヤしたものを書いておけば後で役立つのにと思うのに書けない。

いつもぐるぐる思考なのに停止する時がある。
他者の評価が思いがけなかった時や責められた時や常識を押し付けられた時。
人は「あなたにこそ自分の苦しみや絶望をわかってほしい」と思っていた相手からそうした態度を得られなかったり、失われたりしたら、その苦痛は大変なもの。とてもしんどかった。
思考停止して考えないのはいいことなんじゃないかなぁ?とも思うけど、胸の辺りはずっと苦しい。

最近、自己否定は減ってきている気もするし、孤独にも慣れてきてるなぁという気もするし、だけどまだまだ未熟だなぁと思う部分は他人の価値観や言動に左右されてしまうところ。
やっぱり私が悪いんだ。私が間違ってるんだって一日中、いや、一週間くらいはフリーズしてそのことに支配されてしまう。
悪くないのに。

宇宙飛行士の野口さんの本を読んでどう生きるか考えた。またまとめが書けたらいいなぁ。

手帳に抜粋して書きとめたこと。

『他者の価値観や評価から離れ、自分のアイデンティティを築き、どう生きるかの方向性や目標、果たすべきミッションを自分で見出すこと。自分の命を他者にまかせず、自分で考えて行動し、主体的に生きる』


頑張って努力して我慢して生きてた。
それとカサンドラ症候群みたいな感じだったんじゃないかな?と思って色々調べている。
自分のアイデンティティが全然定まらなくて自己同一出来なくてグラグラしていていつも涙が出る。
だけどこの本を読んだおかげで少しだけまた希望が見えた。


私の果たすべきミッションは、死なずに娘を生かすこと。母親の自己犠牲的な無性の愛はこれかぁ。と思いながら自分ではない人を見ているみたいに見ている。
私の母親は私より子どもみたいに怒ったり泣いたりすねたりするし、自己犠牲的な愛はなかった。自分中心だったし今も私を傷付ける。良い子でいなければいけなかった。言うことを聞かなければいけなかった。母親の命令や願い通りにしなければならなかった。
私も娘を傷付けるのかな。
だけど今、母親になった私とは全然違うな。
母親は母親であるだけでなんちゃらかんちゃら(たぶんすごい的なこと)って誰かが言ってた。なんちゃらかんちゃらな方の人になれたらまぁいっか。

障害がある娘をひとりで守る母親であるそのミッションは絶対存在意義だけど、外部からのミッションなので、本来の自分の心に沿った価値や存在意義は他に何か、今までの自分の棚卸しをしてそこから自分の好きなことと方向性を見つけて絶対ミッションと本来ミッションをちょうど良い具合におり混ぜて社会の理想にも共鳴出来たらいいな。
(たぶん本当は見つけてる動けないだけ)

とりあえず2年くらい社会的な生活はおやすみしたいし、人間関係の築き方も混乱するからわからないし、どんな本を読んでも最終何かがひっかかるけど、お花を見たり触ったりしたら癒されるのは本当なんだなぁと思う今日この頃。

文章力皆無な日記を書いてしまった。
本当に最近も傷つけられたので頭が回らない。
とりあえず身内からすると私がすべてわがままで悪いらしい。
知らないふりしないでやってみて考えてよ。
障害児育児。
毎日血まみれだよ?
自己実現出来たら強い気持ち持てるのかなぁ。
一生懸命生きてるのにな。


クレマチスペトリエイ

去年より少しずつ大きくなって咲いた大好きなお花𖤣𖥧𖥣。𖥧𖧧癒される

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?