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とりあえず眠らせて

まず自己紹介をすると、私は現在25歳の学生である。大学を出てから社会人とニートを1年ずつ経験し、今は演劇関係の学校で演技や制作の勉強をしている。

私が新卒で入社した会社は、従業員が100人にも満たない小さな会社だった。
今や持ちネタとなっている話なのだが、研修が終わった月に研修を受けていた部署が解体され、入社半年にして社内放浪の身となった。他部署の雑用をこなしつつ、解体された部署の5人で担当していた仕事をなぜか新人の私1人でこなさなければならない状況だった。さらに、転職を妨害するような脅しや、容姿に関する言及など「THE・ハラスメント!」を繰り返す上司たちに囲まれ順調に心を病んでいき、そのまま退職した。
傷病手当と失業保険については無駄に詳しくなった。病んでも「貰えるもんは貰おう精神」が失われなくて良かったと思う。

そこから今の学校に通うまで1年ニートをしていたわけだが、ニート成り立て期はSNSを見て1日が終わることも多かった。似た境遇の人を見て安心したかったのか、同じように精神を病んでいる人の投稿をよく検索していたように思う。

その頃から、「HSP」という言葉をSNSで頻繁に見かけるようになった.
日本では「繊細さん」とも呼ばれているようだ。
調べてみると、HSPとは「Highly Sensitive Person」の頭文字をとったもので、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質をもった人」のことを示すらしい。具体的には、過剰に剌激を受けやすい、共感しやすい、疲れやすいなどの例が挙げられる。これは先天的なもので、人口の15%〜20%が当てはまる『性質』だという。明確にラインが決まっているわけではなく、受診の目安もそれによって生きづらさを感じているかどうからしい。
ただ、HSP自体は病気ではなく気質なので診断書は存在しない(HSPによって起きた不安障害やうつ症状に関しては診断書が出る)。そのため理解されにくく、本人や周囲の人に影響を及ぼすことがあるとのことだ。

だらだらとベッドに寝転びながらHSPに関連する投稿を巡る内に、私はそれに興味を惹かれていった。HSPについての投稿を1つ見つけると、返信欄や拡散元を辿ればその界隈の人々を覗き見ることができる。寝過ぎで重たい腕をわざわざ動かし、ネットの海を探索した。
今になってみると、ブラック企業での苦い経験から人の言動や行動に敏感になっていた私は、生き辛さを訴えるHSPの人達に共感していたのだと思う。

ただ、自分でも嫌な奴だなあと思うのだが、自分がニートをしている時はHSPの人に共感していたのに、学生という身分を得てからは「配慮されて羨ましい」という気持ちを抱くことも増えていった。

そんな中、HSPを自称するAさんと知り合った。
Aさんは学生になってから始めたバイト先の先輩で、HSPであることを周りに伝えており、それに伴う体調不良で遅刻してくることもあった。ただ、本人が人当たりの良い性格なのもあり、私個人としてはそれに対してあまり不快に思うことはなかった。
なんなら時には他のバイト仲間とも一緒にオンライン麻雀をする仲だった。
後輩の私にも優しく、初心者の私に麻雀のルールなども教えてくれた。

しばらくしてバイト先が規模縮小のために人員を削ることになり、私を含めて麻雀仲間はほとんど辞めることになった。辞めた後もしばらく連絡はとっていたのだが、段々とAさんからの連絡に元バイト仲間の悪口が増えていった。
私の尊敬していた先輩の悪口も含まれており、Aさんはその人にいじめられていたと言う。半信半疑ではあったが、私の知らないところで色々あったのだろうなと思っていた。
しかし、同時期にバイトを辞めた友人にチャットを通じてその話をしたところ、些細なすれ違いを拡大解釈していじめだと言い切っている疑いがあるらしかった。

そしてAさんと疎遠になってきた頃、その友人と会う機会があり、詳しい話を聞くことが出来た。バイトリーダーと親しかった友人いわく、Aさんは店長やバイトリーダーに同僚達の悪評を広めていたらしく、友人にも「自分は被害者なのに配慮してもらえない」と愚痴っていたようだ。Aさんの言う被害というのは

「同僚達が自分の悪口を言っている気がする」
「自分のミスを過剰に責められた」
「自分は同僚に嫌われているからバイトに行きづらい」

というような内容のものだった。
ただし客観的な証拠があるわけではなく、現場に居合わせた人からは、

「Aさんのミスをフォローしただけで、いじめのようには感じられなかった」
「Aさんが注意されて逆ギレした」


というような証言しか出てこなかったらしい。
バイトリーダーも、Aさんから何人かの同僚とシフトを被らせないでくれと要望を出されたそうだが、完全に応えることは出来ず、それについても揉めていたという。

先にも述べたが、AさんはHSPであること自体は公言しており、私自身は遅刻や欠勤で負担をかけられることはあったが、直接配慮を求められたことはなかった。
しかし店長やバイトリーダーに対しては、HSPを理由に

「強い言葉を使わないで欲しい」
「ストレスで体調を崩すことがあるので無断欠勤も許して欲しい」
「口調がきつい人と仕事をさせないで欲しい」

などの「お願い」をしていたという。店長はHSPという言葉を知らなかったので、診断書などがあるのか尋ねたところ「病気ではなく、生まれ持ったものなんです」と説明されたらしい。
私は、齢40くらいの強面店長が、これを聞いた時にどんな顔をしていたのか気になった。
「お願い」の内容があまりにも曖昧すぎるし、無断欠勤については経営責任者として許すわけにもいかないだろうし、シフトも1人に特別融通を利かせるわけにもいかないだろう。

もちろん真実については本人達しか分からない。Aさんが本当に被害に遭っていた可能性もあるし、実際辛いと感じる瞬間はあったのだと思う。ただ、私の持てる情報だけで整理するとAさんに軍配は上がらなかった。
HSPというのが嘘とまでは言わないが、それが原因ではないことまで一緒くたにして配慮を求めているように思えてしまったのだ。

私は友人からその話を聞いた時に、そういえばAさんに負担をかけられた時にお礼などを言われた記憶がほとんどないなと思い出した。Aさんからすればその負担は仕方のないことで、配慮されるのが当然だったのかもしれない。

Aさんの一件も一因となり、私は「配慮されるべき人」の範囲がよく分からなくなった。
本当にHSPで困っている人とその名前を利用している人の違いはどう見分けたら良いのだろう。
自己判断で「私は生き辛い気質だから仕方ないんです」とさえ言えば、周りの人はあらゆることに配慮すべきというのは、私にはどうにも理解ができない。

私はよく、寝坊をする。
昔から朝寝坊はもちろんのこと、授業中の居眠りも多かった。
居眠りは先生や親をはじめ、とにかく大人にとっては怠慢の象徴である。
親が私の布団を引っぺがし、学校に行きなさいと怒鳴った日のことは今でも覚えている。古文の授業で居眠りをした時は、私のせいでテスト範囲の現代語訳をしてもらえなかった。
そりゃ遅刻したり居眠りしたりが続けば怒りたくなるのも分かる。
でも言わせてほしい。こっちだって居眠りしたくて眠っているわけじゃないのだ。
勝手に身体が眠るのだから、私の意思だけでどうにかなることではない。
つまり、私だって配慮して欲しい。いや、されるべきだ。

というか、HSPを理由に寝坊で遅刻してきて、それを配慮すべきだと言うのなら、逆説的に寝坊が多い人はみんなHSPと言ってしまっても良いのではないだろうか。
診断書がないのだから、それを否定できる人もいないはずだ。
言ってみれば、本人の意思ではない寝坊や居眠りは、配慮されるべき生まれつきの体質であるのだから、責められるのはおかしい。なんなら過去に私を叱った人々には謝って欲しい。

でも、もし先生がHSPだったらどうしよう。

「居眠りは不可抗力なのに配慮してくれなかった先生は酷いです!」
「先生は繊細な性格なので、自分の授業で居眠りをしている人がいると気になって集中できないんです。ストレスなんです。配慮してください」

私は生まれつきの気質を責める酷い人になるのだろうか。
いや、しかし私の強い眠気だって生まれつきだ。
つまり、この場合私が言うべきは

「どちらがより繊細か勝負しましょう」

国語の教師に討論を申し込んでやるのだ。

「眠気は繊細さとは関係なく、生活習慣の乱れにより発生するもので、生まれつきではないでしょう」

と西郷隆盛を薄めたような顔の鈴木先生が言ってくる。
でも、私にとっては関係あるのだ。
嫌なことがあった日は気絶するように眠りに落ちるし、理不尽な説教をされている時は大体眠気と闘っている。つまり、私にとっての防衛反応なのだ。
これはいわゆる生まれつきの「気質」や「特性」と呼ばれるものなのではないだろうか。

この主張を良い感じに要約して伝える。
先生は屁理屈をこねるかわいげのない生徒を見るような目をしていることだろう。

……なんて不毛な闘いなのか。
そもそも誰がジャッジをするのだろう。

ところで、調べると「配慮」とは「気遣いのこもった取り計らいをすること」らしい。
意味は分かっていたつもりだが、こうして文字で見ると最近使われている「配慮」とはどこか雰囲気が違うような気がした。解説の方がどこか柔らかい表現のように感じる。

これは恐らく、配慮「される」側ではなく、「する」側として解説がなされているからではないだろうか。元々が「する」側主体で作られた言葉だとしたら、「配慮を求める」という言い方自体が実は間違っている可能性がある。なぜなら、言い換えると

「私を気遣って取り計らってください」

というなかなかに傲慢な主張になるのだ。

鈴木先生と私はお互いに「己が私を気遣うべきじゃ」と言い合っていたのである。

確かにHSPの生き辛さが「気質」として理解され、配慮されるのは正しいことなのだろう。
ただ、HSPと同じく診断がつくわけではない生まれつきの生き辛さを抱える人間はたくさんいる。私の抱える眠気に対する生き辛さもそうだ。
だから、必要なのはHSPのみに対する特別な配慮ではなく、全人類HSPかもしれないというくらいの、あらゆる生き辛さに対する想像力なのだと思う。

先生と討論を始める前に「私は配慮されるべき人の範囲がよく分からなくなった」と述べたが、きっと、配慮される・されないの線引きがどこにあるのかを考えるよりは、配慮すべきか・しないべきかという線引きを考えた方が良いのだ。

鈴木先生は私が居眠りしているのを見つけたら保健室に行くように促してくれたら良かったし、私は録画などで授業を受けさせてもらえないか打診すれば良かったのかもしれない。
怒ってごめんね鈴木先生。

もしかするとHSPを理由にする人を否定していると思われるかもしれないが、そういうわけではない。
正直、名前があるのは羨ましいとは思うけれど。
むしろ診断のつかない、証明の出来ない生き辛さが「存在する」ことが世に知れ渡ったのは良い流れだと思う。
このまま私に寛容な世の中になってくれ。

ということで、鈴木先生とのバトルで疲弊したので、とりあえず眠らせてもらいたい。
それでは、おやすみなさい。



※WARE 岩井秀人氏のエッセイグループレッスンにて作成しました

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