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全然便利じゃない、けれど、便利家電には今の内から慣れておくべき

便利家電がたくさん出回っている中、一定の数の人が「便利家電なんか使いたくない」と仰います。
かくいう我が家でも、乾燥機付き洗濯機は、私が難色を示していました。
●「洗濯物を干すくらい、自分でやれるのに」
●「干すだけならゼロ円なのに、電気代を使って乾かす意味が分からない」
●「全ての洗濯物を乾燥機に入れられるわけじゃない」
●「結局仕訳けなきゃいけないくらいなら、全部自分で干した方が早い」
などなど、乾燥機付き洗濯機を否定する言葉をたんまり吐いていたのですが、今や我が家にはこれがなければ家事が回りません。ビバ、乾燥機…!

■実は便利じゃない「便利家電」

便利家電は便利じゃありません(断言)
なにしろその「使い方」を覚えるのに四苦八苦しますし、その「メンテナンス」という別の仕事を生み出すからです。
洗濯なら洗濯だけしていればいいものを、糸くずフィルターの清掃だとか、月に一度の洗濯槽洗浄などの別の仕事が山積み。これなら手洗いした方がマシでは!? と思うこともしばしば。

いまの乾燥機付き洗濯機は、使い始めて6年が経過したのですが、最近乾燥がうまくいかなくなりました。個人でやれるメンテナンスはきちんと行っているにもかかわらず、です。
主人が調べたところ、「内部にあるナンチャラの機械がナンチャラな状態になっており(私には理解不能)」これは「専門業者が分解清掃するしかない」のだけれど、それには「おそらく5~10万円がかかる」とのこと。
しかもうちの洗濯機、5年保証だったので、6年目の今、その点検代は有償となってしまう。
家電あるあるな状況です。

こんなことなら大人しく、普通の「(洗濯機能しかない)縦型洗濯機」を買った方が長持ちする!
便利家電って全然便利じゃない!
そう考える人が多いのも納得です。

■しかし、慣れていくしかない。その理由①

とはいえ、ですよ。
恐らく、我々が知らない時代には「掃除機なんて便利でもなんでもない!」と思われていた時代があったはずなのです。
それがいまや、掃除機を使わない人はほぼいないような世の中になっています。
頑張って普及させた人がいるのでしょうが、時代とともに徐々に受け入れられていったから今の状況がある、はず。
遅かれ早かれその時代が来る。その時に「使い方が分からない」という人がどうなるか。

おそらくnoteを読んでいる人ならば少なからずインターネットに接続して各種の情報を仕入れている人でしょう。
しかしほんの数年前まで「スマホなんて贅沢品」「インターネットは嘘ばかり」と見向きもしない人たちが大勢いた。
それがいまや、「スマホも使えないようではこれから先の時代、困る」という人の数の方が(あくまで肌感覚ですが)多くなっている…。

今のうちに、便利家電にもそれなりに慣れていかねばならないのです。

■しかし、慣れていくしかない。その理由②

私が一番使いたくない便利家電は「食洗機」です。
いくら節水になると言われても、絶対に使いたくないのです。
というのも、

(1)こびりついた食器の汚れが取れていないことが多々ある。「予洗い(事前に軽く洗っておかねばならない)」をしなければならないくらいなら先に自分で洗った方が早いじゃん。
(2)私にとって食器洗いとは「洗い終わり、拭き上げた食器を食器棚に戻す」までを指す言葉。しかし食洗機だと異様に時間を喰うのです。これが本当にイヤ!
(3)食洗機内に食器を並べるのが面倒。CMのように揃いの皿ばかり使っている家庭なんてないのに、ちぐはぐな皿がきれいに並ばなくてイライラする!
(4)大きな鍋が入らない!一番洗ってほしい大鍋が入らないのなら食洗機を頼る理由はない!
(5)食洗機内の清掃がいちいち面倒。食器かごは楽に洗えるのに!

これらの理由をクリアしない限り私が食洗機を使うことはないと思っていたのです。

ですが…
いま、私が元気なうちはいいのです。私が責任もって、きちんと毎晩食器を洗って棚に戻しますから。
でも、もし私が病に倒れたら? その私の介護を家族がすることになったら? その際に家族に私の面倒と食器洗いを同時に任せなければならないのです。
私の健康は有限であり今後も続くものだと断言はできません。健康だったとしても年を取るごとに疲れも出るでしょう、食後に食器を洗えなくなることだって普通に考えられます。
だったら少しでも便利家電を使いこなしておけるように、今から便利家電と向き合っていかねばならないのです。

だって、「食洗機に頼りたい」と思った頃には、食洗機の使い方を学ぶだけの気力も体力もないはずだから。

■今のうちに便利家電を使いこなさなければと思った理由

「便利でもなんでもない便利家電」ですが、これを使いこなせるようにならなければ、と思った出来事があったのです。

先日、親戚の集まりに参加した時のことです。
親たちがわいわいと「免許返納をどうするか」について話し合っていました。
70~80代の私の親(とその兄弟たち)。
免許返納はしないといけないけれど、田舎だから車が無くなると生活が立ち行かなくなるので、なかなか踏ん切りがつきません。
そこでひとりの親戚が言いました。
「あと数年もたてば自動走行する車ができる。だからそれまでは堂々と車の運転をしようじゃないか! その後で車を買い替えればいいんだから」と。

それは確かに真理なのですが。
実は我が家では最近車を買い替えまして、自動走行に近い機能がついています。
ところが、私には怖くて、そんな便利な機能があったところで全く使えないのです。
恐らくこの先10年、この車の便利機能は使いこなせないままになるだろうと思います。それくらいに、手動運転になれた我々には自動走行は恐ろしいものです。

さて。私の親世代の人たちが、もし「完全に自動走行できる車」を与えられたところで、それを使いこなせるかと言えば、答えは絶対にNOでしょう。
「完全自動走行車」は、「簡単に運転できる車」ではありません。きっと恐ろしいほどマニュアルを読み込まなければならないはず。それを、80代の人間の知能で読みこなせるはずがないのです。

そう考えると、「面倒だから」と使うこと自体を避けていた便利家電も、一通りは使いこなして「テクニック」を身につけねばならないなと自戒したのでした。

■「使いたい」と思った時にはもう遅い

私のお客様には、今の時点では特に家事代行を頼む必要もないくらいお元気な方がたくさんいらっしゃいます。
ですが、「もっと年を取って自分で身の回りのことができなくなった時のために」あえて今の内から家事代行を頼んでいる、という方がいるのです。

私のお客様の中には「あえて」今のうちから家事代行を頼み、私との関係を深いものにしようとなさっている方がいます。
私も(早くに母を亡くしているので)まるで第二の母親に逢いに行くような気分でいつも楽しくお伺いしているのですが、正直「こんなにきれいなのにどうして掃除を依頼なさるのか?」と不思議に思うほど。
その皆様が口を揃えて仰るのは、「今はまだ動けるけれど、本当に動けなくなった時のために、安心して甘えられる人を今のうちに作っておきたい」とのこと。

拙noteより

年を取って、身体が動かなくなり、家事代行を頼もうと思ったり、便利家電を使おうと思ったときには、すでに自分の知能と気力とがそれらの変化に対応できなくなっている(可能性がある)。
だからこそ、いま、今の内から慣れておかねばならない。

いつもの通り極論を語っている自覚はあるのですが、何事も早め早めにトライ&エラーを繰り返しておく必要があるってコトかな。

もしサポートのご意思があるなら、お気持ちだけで。別の困っている方へ直接ご寄付ください。私と私の家族は元気なのでnote経由のサポートの必要はありません(*'ω'*)