一緒に笑えたら

 私は全盲ろうの老齢の女性の家に大学生の頃、友人とよく遊びに行っていた。家に着くとFAXや留守番電話が必ずいくつかは入っていた。目が見えず、聞こえない彼女に内容を伝え、お茶を飲んで一服してから、みんなで商店街に出掛け、夜のご飯の材料を買い物した。料理をするのはその全盲ろうの女性である。料理できるの?と思われるかもしれないが、野菜の千切りなど自分にはとてつもないと思われるスピードでこなしていく。コツは何がどこにあるのか把握できるように、他の人がものを動かさないのがポイントで、調味料には点字を打ったシールを貼って区別していた。料理を待ちつつ、テーブルのお皿の準備をしていると台所の方から「お皿は出した?」と聞かれた。足でドンと床を踏むと「ありがとう。」と返事が返ってきた。ドンと床を揺らすのは「YES」の合図だ。もし、この時に上手く伝わらなかったら、包丁の危なくないタイミングをみて背中に○や✕を書いて伝えた。
 準備が出来たら、イザみんなでご飯となるのだが、いつも(おぉ、食べ切れない…。)と思うくらいの盛りだくさんのご馳走を用意してくれた。料理はどれもとても美味しかったが、残されるのが大嫌いな彼女の為、みんな必死に食べた。ご馳走さまをするころには何が美味しかった?よりも、たくさん食べたと言う思いだけがいつも残ったが、でもどの料理も本当に美味しかったし、濃いめの味付けの品々はお酒にもよくあった。料理が一段落するとみんなでワイワイ話すのだけれど、見たり、聞いたりしなくてはわからない事(仕草だっり、他の人同士の会話)は指点字(※相手の指を点字のタイプライターに見立てて、叩くことで言葉を伝えるコミュニケーション方法)で隣の人が彼女に伝えながら話していく。そして、真面目な話に、バカ話に、恋バナに、花を咲かせてはみんなで笑って、夜がふけていった。

 そんな彼女の家も就職してからは、本当にたまにしか行かなくなった。
「今度みんなで遊びに行きませんか?」
 大学の後輩にそう言われたのはもう10年くらい前の話だ。
春に彼女の主催したパーティーで会った時には、彼女は車椅子にのっていたが、まだしっかりしていて「秋になったら美味しい鯖寿司を作って行くよ。」と声をかけていた。そして、もうその秋だった。
 金曜日に私が彼女のうちに電話をかけると顔なじみのヘルパーさんが「来るなら早くがいい。いつどうなってもおかしくないの。」と、もう長くない事を教えてくれたので、急いで友人に連絡をとり、次の日の土曜日に3人で伺うことにした。
 彼女に約束した鯖寿司をご馳走したい。でも、鯖寿司は2日がかりで作るので、今から仕込んでは間に合わない。というか、もう夜なので、そもそも美味しい鯖が今から手に入らない。でも、まてよ…と思い出したのは先週、鯖寿司を作ろうとして、鯖の仕込みが終わった状態で冷凍したままのシメ鯖があったのだ。普段は冷凍しないシメ鯖だったが、焼き鯖寿司には十分できそうだった。夜通しご飯を炊き、酢飯を作って、鯖寿司にした。

 翌日、彼女の家を友人と訪問した。みんなでよく談笑していた一階の居間にはベッドが置かれ彼女が呼吸器を付けて寝ている。部屋を見回すとFAXや伝言メモが山のようになっていて、それら全てに目を通すことはできていないようだった。
「よく来たわね。コーヒー飲んでちょうだい。」彼女の手のひらに名前を書いたら、そう言ってくれた。
「飲んでる?」ヘルパーさんの淹れてくれたコーヒーをみんなで飲んでいたが、彼女には見えない。ヘルパーさんが、彼女の顔の前でコーヒーカップをゆっくりと円を描くよう彼女の鼻先でまわした。
「いい匂いね。」
 彼女は先週私の先輩達とお寿司屋に行ったとのことだったが、それから急に体調を崩してしまい、今は、お粥しか食べらない状態とのことだった。
 ちょうどご飯の時間となったので、焼き鯖寿司をほんの少しだけお粥に混ぜて食べてもらった。
「これ鯖寿司じゃない?私好きなのよ。ちゃんと食べたいわ。」
 少し談笑した後、その日の夜に彼女に付き添える人がいないとのことだったので、友人と3人で付き添った。そして、その翌朝、彼女は亡くなった。

 通夜と告別式には、ほんとに多くの人が来て、彼女との思い出を語り合って偲んでいた。

 彼女はよく言っていた。
「眼が見えなくなり、耳が聞こえなくなった時、何もない真っ暗な空間にポツンといるようだった。こちらから、声をかければ、文句も言えるし、ご飯がきて食事もできる。でも、周りが何を言っているか全くわかない。それは、本当に孤独だったのよ。」と。

 そんな彼女を周りと繋げたのは「指点字」と言うコミュニケーション方法だった。通夜の精進落としの会場では、彼女の盲ろうの知り合いもたくさん来ていて、「指点字」「触手話」「手書き文字」それぞれの方法(※盲ろう者は、盲ろうになった経緯などにより他者とのコミュニケーション方法が違います。)で彼女との思い出をみんなと語り合っていた。

 彼女との思い出をひとつ。
JR京浜東北線の電車に乗る時のこと。ドアの場所がわかるようにドアの開閉部に彼女の手を当てた。そしたら、ドアが開いた際に戸袋に手が巻き込まれて手を痛めてしまったのだ。謝ろうとしても手に触れられないのでなかなか謝れない。
 しばらくしてふと車外をみると沿線は桜が満開だった。
 「サ・ク・ラ」
 彼女の手のひらにカタカナで書いた。そしたら、一気に顔が明るくなって、
 「あらぁ、桜がさいてるの?たくさん?綺麗ねぇ。」
 と少しうっとりした声で言って、さっきのことはひとまず脇において、お出かけを楽しんでくれた。怒るときは怒るが、終われば後まで引かずに気持ちを切り替えられる人だった。
 告別式から帰る電車の中、友人と分かれて一人になった時、喪失感から、涙があふれ、止まらくなってしまった。

 彼女にとって視覚と聴覚の両方を失ってしまったことは、本当に不幸なことだったに違いない。そんな目にならなかったらと何度も思っていたはずだし、語ってもいた。でも、“指点字”と言うコミュニケーション方法を得ることで、みんなで気持ちを共有でき、喜怒哀楽を共にできたのだ。

 私達も日々いろんな人と会い、言葉を交わしている。ふと、横を見たときにいる内輪の場の中のご新規さんにとって、理解できない話ばかりでは聞こえていないと同じで、孤独だ。そのご新規さんが、見えなくても、聞こえなくても、外国人でもみんなで同じ認識をもって、笑ったり怒ったりできればそれはとても良いことだと思っている。
 このことを実現するのに必要なことは、お互いの気遣いなのか。それとも、テクノロジーの発展なのか。結局、そのどちらも必要なのかもしれないけど、みんなが向き合って笑ったり、怒ったりできる社会になったら、とてもいい。そう思います。

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