143 ネタの鮮度と精度
古雑誌といえば飲食店、床屋、病院……
昔話である。いや、いまもきっとどこかに残っているに違いないと勝手に思っているのだけれど。
飲食店で注文した品が出てくるまでの数分間。床屋で順番を待つ間の数十分。病院で名前が呼ばれるのを待つ間の時間。そこに備えられているのは、漫画本だったり週刊誌、月刊誌だったりする。
油っぽい赤いテーブルの下に手をやれば、かなり傷んでいる古い雑誌があったりした。それをなにげなく読む。
思いがけなく「へー」と感じ入るような出会いがそこにはあるのだが、よく見れば先月の雑誌、あるいは昨年の雑誌だったりもした。
いろいろな人が読んでいたに違いないくたびれた雑誌。それをめくりながら、中華丼を食べる。そんな時代があった。
ちょっとした時間潰しなので、連載漫画の中途半端な回だけを読んでいて、それが記憶に残るのかと問われると確かに、紛れもない暇潰し。
もともとボロボロなので、ラーメンの汁が飛んだところで心は痛まない。最新の「ジャンプ」があるかと思えば「この店、チャンピオンしかないのかよ」と店主の秘かな拘りを感じたりもする。
あんまりきれいな雑誌だと気後れしてしまう。適度に古びている方がいいのである。
と、ここまで書いてみて、「コロナ禍を経て、この不衛生感はきっと一掃されてしまっているに違いない」と感じる。
コロナ禍の初年度には、「お札や硬貨も危険」などと言われたぐらいだから、こうした雑誌に食事どきに触れるなんて、ありえない暴挙だろう。
デジタル時代の古いネタ
いま雑誌はdマガジンを主として読んでいるけれど、バックナンバーも読むことができる。雑誌によってバックナンバーの期限は違うが、週刊誌はだいたい3ヵ月ぐらい遡れる。
連載もので、なぜか読み忘れている、といったことが起こる。気付かずにそのままでいればいいのだが、ちょっと気になってしまうなら、バックナンバーを探すことになる。
そして気付いたこととして、実は雑誌って、ほとんどが読んでいないページだったりする。最新の雑誌について、人によって読み方は違うだろうけど、私のように偏っていると、見たいページだけまず見る。あとは、時間があれば見る。このため、毎週、あるいは毎月見ているはずの雑誌でさえ、大半はちゃんと読んでいないままになっている。
おまけに自分の守備範囲ではない雑誌となったら、まったく見もしないから、最新号でもバックナンバーでも、未読の山となる。
SNSでも、たまに、おかしなことが起こる。
誰かがリポストしたり、意見を添えて投稿したネット上の記事、けっこう古いものだったりする。
ちゃんとコメントで「それは2年前の記事」と指摘してくれる人もいるけれど。
アナログな時代は、古い雑誌をお店でたまたま出会うことになるのだが、デジタル時代は、どんな古いニュースでも「はじめまして」な感覚で出回ってしまうことがあるのだ。
新しい話題の価値とは?
たとえば、昭和の時代には雑誌記事などに「新鮮さ」が異常に強調されていた気がする。そもそも雑誌はネットよりも制作時間がかかるので、事故現場のスマホ動画を直後にシェアする今とは違い、どれほど新鮮でも数日遅れである。それなのに、人々は週刊誌で届けられる「新鮮さ」に飢えていた。
私はXで、ドジャースネーション(Dogers Nation)と大谷情報をウォッチしているので、テレビのニュース番組を見なくてもその日の大谷さん情報をなんとなく受け取っている。まさに新鮮な情報である。
とはいえ、別に「新鮮さ」に飢えているわけではない。むしろ「見逃したくない」である。
テレビのニュースでも取り上げているから、それをもし見ていれば、別にXで確認するまでもない。あるいは、たまたま目が覚めて寝床でXを開いて、テレビを見るまでもなく知ることもできる。これは便利だ、と感じる。
だからといって、鮮度のよさだけを求めているわけではない。XのようなSNSでは、鮮度がよすぎると、記述も中途半端で結局、よくわからない、となってしまうこともしばしばだ。だったら、鮮度優先ではなく、ちゃんとした情報の方がうれしい。
鮮度に拘りすぎると、しばしば間違えて受け止めてしまうことがある。いい話と思ったらそうでもなかった。悪い話だと思ったらそうでもなかった。結局、なんだったんだよ、と調べてみなければわからない。あるいは、調べてもわからない。
最近では検索する人を罠に陥れてでもページビューを稼ごうという悪質なサイトも増えていて、ズバリ、こちらが知りたい内容らしき見出しだけで、中身は「やっぱりわかりませんでした!」とスカスカだったりすることも増えている。しかも、そういう記事でも検索上位にくるのだ。
さらにヤフー知恵袋でも「以前にあったこの解答が正しい」と引用されている先のページが消えてなくなっていることがある。その解答がどういうものだったのかとても気になるのだが、探しようもないのである。
新しければいいというものでもないけれど、古いデータも必ずしも正しくない。だから消されるわけだろうし。
私たちは日々、こうして日常を修正しまくっているのかもしれない。
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