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105 家ばっかり見てしまう話

他人の家を覗く

 不思議なもので、戸建てであれマンション、アパートであれ、なんとなく間取りって気になってしまう。間取りだけではない。部屋をどう使っているかも気になってしまう。
 いや、自分にそんな癖はまったくなかったはずだ。正直、誰がどんな部屋で生活していようと、気になることはなかった。
 それが、例えば「家、ついて行ってイイですか?」といった番組を見ていると、妙に気になっている自分に気づくのである。
 同じ2LDKでも、和室のあるなしで、使い勝手がだいぶ違う。和室があった方がいいケースもあるけれど、むしろ全室フローリングの方がいい場合もある。生活スタイルがかなり違う。2LDKで、どの部屋も畳だったりすると、それもなんだかよくない気がする。
 さらに、例によってゴミ屋敷。いや、ゴミと言っては失礼か。住人にとっては、「どれも捨てられない」から足の踏み場もないほど物が堆積してしまっている。
 はじめてマンションで暮らしたとき、不思議な静かさと、楽チンさに驚いた。
 生まれてから郊外の一戸建てで育った。平屋の2LDKに、広いリビングを新たに増築。さらに2階を増築。古い部分は建て直した。とくに水周り。成長に伴って、家は変化していった。
 大人になって1年ほど、風呂なし、トイレと流し共同のアパートに住んだ。隣の部屋の音が筒抜けだった。気づくと、そのアパートで自分が最年長だった。
 最初のマンション生活は、彼女の住んでいるところへ転がり込んだ。1LDKで、玄関から一番奥の部屋が見えるタイプ。全部フローリング。ホテルのような静かさがあり、快適だと感じた。少なくとも、家のことをあまり気にしないで生活できる。

豪邸がイメージできない

 豪邸といっても大きくわけて2種類ある。ひとつは、自然豊かな田舎に、殺人事件でも起きそうなぐらい、複雑な間取りのお屋敷。畳の数が数え切れない。何年も開けていない納戸がある。どういうわけか奥まった場所に、狭い部屋が忽然とある、などなど。長い廊下があって、檜の風呂。そういうタイプの豪邸で住んだことはないので、正直、手入れが大変そうだと思うばかりである。
 もうひとつは都内。いわゆる高級住宅地に、よくある一戸建てなら六軒ぐらいできそうな敷地で、広い庭を持つような豪邸だ。
 バカリズム脚本によるドラマ『侵入者たちの晩餐』を見ていて、なるほどこういう豪邸ってあるんだなと思う。隠れる場所がいくらでもあるので、かくれんぼが楽しいだろう。
 しかしこのドラマでは、そこがかなり汚れていることも明らかになる。
 掃除だ。とんでもなく大変そうだ。ロボット掃除機だって何台も必要になるかもしれない。
 いずれにせよ、そういう部屋で暮らしたい願望がまったくないので、ただ「大変だろうな」と思うばかりだ。

広すぎる部屋は落ち着かない

 慣れの問題だと思うが、広すぎる部屋は落ち着かない。
 国内の旅行で、そんないい部屋に宿泊した記憶はないのだが、たまたま若い頃に仕事でアメリカへ行ったときは、最高クラスのホテルばかりがセットされていて(私のためではなく、私がアテンドしたちゃんとした人のためなのだが)、いわゆるスイートルームで何泊もしたものの、落ち着かなかった。映画で見るような巨大なベッドでひとりで寝るのは、不安である。
 そもそもが性分なのだろうけど、広い部屋を狭く使う。自分にはこの範囲だけでいい、と思う中だけで生活する。
 それにしても、ルームサービスといい、ウエルカムドリンクといい、最高クラスになると気後れしか感じないので、いろいろ不便だ。
 ニューヨークではそんな贅沢はできなかったので、日本でもお馴染みサイズの狭い部屋だったのだが、妙にホッとしたのを覚えている。
 自分は都会派だと思っていて、わざわざ不便な場所に住みたいとも思わず、狭いというよりは「こぢんまり」とした部屋が好きだ。
 いまも、物置のような部屋でこれを書いている。落ち着く。
 かといって、自分の部屋がないのは困る。すごい贅沢はしたくはないけれど、せめてひとりになれる部屋は確保したい。
 つまり家全体の大きさが問題なのではなく、部屋の広さが問題なのでもなく、自分がひとりになれる場所だけが重要なのである。
 かつて、日本の住宅事情を揶揄した「ウサギ小屋」という表現があった。たしかそれは、誤訳で一般的な「集合住宅」の意味だったらしい、と伝えられているけれど、当時それを耳にして(ウサギだけに)、「なんだか可愛らしくていいじゃないか」と私は感じたのである。もっとも、そこにはプライバシーがない。それは好みではない。
 自分の人生を振り返ると、多くの時間を六畳ぐらいの自分の部屋で過ごしてきたように思う。一時的にリビングの片隅に自分の机を置いていたこともあるのだけど、家族がいるところならそれほど嫌ではないものの、やっぱり落ち着かなかった。
 集中するために「缶詰」になるケースもあるだろう。私もそれに習ってホテルのデイユースを使って仕事をした時もあったのだが、これはこれで、便利なようでそうでもない。ビジネスホテルは、ビジネスのできるホテルということではなく、ただ寝るだけの場所であって、そこで仕事をするにはけっこう不便だった。まだカフェやファミレスでパソコンを使っていた方が集中できることにあとで気づいた。
 しかし、集中は続かないので、ダラッとする時間があるわけで、そのとき、適度な広さの自分のスペースが欲しい。なんとか、それを終生、維持できたらいいなと願っている。
 
 
 
 

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