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『ロマネスク』-太宰治

あまりにも読みすぎた分かりそうで、よく分からん。 というのが、一読した時の素直な感想だったように思います。仙術太郎と、喧嘩次郎兵衛と、嘘の三郎。彼らの特徴的な能力や、父親との関係、最終場面で巡り会ったこと。対比部分やそれらの意味を考えてみても、よく分からん。 そうして読んでいる間に、一読した時に興味を引いた描写や場面について、感想を書こうとしても、新しい気付きに邪魔されて、上手く思い出せなくなっているような気がします。 思考の軌跡を残すための読書感想文を書くならば、あまり時

    • 『満願』-太宰治

      あなたがもし本を書くとしたら、どんなものを書きますか。 想像もつかない、とかいうくだらないもの以外はたいてい、自分自身の過去に由来し、その中のある要素を切り出したものや、あるいはいつかの過去に空想した全く関係のなかったりするものからインスピレーションを得るものが大半のような気がします。 そして、実際に書き始めると、当初の想像よりも遥かに、理想のそれを完成させることが容易ではないと気が付くだろうと思います。 彩やかで新鮮『満願』は、文学作品の中でもある意味で少数派だと思います

      • 『斜陽』-太宰治

        長すぎる『斜陽』を読んでいる途中から、この作品が長すぎることが最大の違和感でした。 それは単に、物語の文章量が多い、とかいうつまらない感想ではなく、仮に作品に込められた想いがあるとして、それを説明するためだけに描かれているとは思い難い描写が偏在しているということです。例えば、火事のエピソードとか。 それは最終的にどこかで全て繋がる場合もあるから、毎回そう思い込むべきではないにしろ、『魚服記』や『桜桃』などの短い作品が印象深く残っている私には気になりました。 結果的にかもしれ

        • 『桜桃』-太宰治

          私は大学生を経験したことがないアーティストが作品のインスピレーションを求め殺人をする。 そんな物語のエピソードを一度は見たことがあると思います。過去に小説を書いた時、そんなアーティストの気持ちがよくわかりました。少なくとも私の創作活動は、自分の経験に由来する部分が大半でした。 自分の経験を元に書く文章と、そうでない文章は、少なくとも私にとって、クオリティに天と地ほど差がありました。 読書が嫌いだった私は、昔のいわゆる文豪たちは、如何にしてそんなにも多くの作品を描けたのか、甚だ

        『ロマネスク』-太宰治

          『コンビニ人間』-村田沙耶香

          あらすじは、子供時代にあらゆる人間的な社会の営みに対して違和感と疑問を抱えてつつも自分なりに適応する努力をしてきた女性が、その社会の中でコンビニ店員という自分の居場所を見つけるというものだった。 彼女が人生で初めて社会に対して大きな疑念を抱いたであろうエピソードは、友人らと公園で遊んでいる時に鳥の死骸を発見する場面から始まった。彼女は焼き鳥が好きな父親と、唐揚げが好きな妹のために家で調理して食べようと提案した。だが周りの友人や大人たちは可哀想だからお墓を作ってあげようと提案

          『コンビニ人間』-村田沙耶香

          『魚服記』-太宰治

          わからん 太宰治の作品は、正直一読しただけでは何が言いたいのか分からないものが多い。 それは私の無知ゆえなのか、時代と共に変わる文化ゆえなのか、もしくは別に何か言いたいことなんか、実はないのか。 読書経験の浅い私には判断しかねて、ひたすらに太宰治の本を読み、彼の生きた時代を調べました。 『魚服記』は、私が今でもまだ釈然としない要素の残る作品のひとつです。 太宰治は、作品内によく対比を登場させる印象があります。 『魚服記』においてそれを一番感じられる部分と言えば、大蛇と鮎でし

          『魚服記』-太宰治

          『人間失格』-太宰治

          私は太宰治です。私は読書が嫌いでした。 それはまるで、水が飲みたいのに、蛇口からほんの一滴ずつしか水が出てきてくれないような不快感を与えてくるように感じている。 それでも考えを言語化することは得意でした。 だからこそ、文学とか、文豪とかいう言葉は私にとって魅力的で、自分の持つお気に入りの武器の究極を使いこなす戦士たちと、その営みの総称だと、そう思っていました。 私は太宰治を誤解していたように今では思います。 今後の文章で、「太宰治も赤の他人から勝手に自己を推察され、決めつ

          『人間失格』-太宰治